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人とのつながりが感じられるカトリック新潟教会

みなさんは、教会に行ったことはありますか?
「観光で行ってみたよ〜」とか「結婚式で行ったことあるよ〜」っていう方も居るのではないでしょうか?
私は、キリスト教の高校だったので課題を遂行する為に何度か行ったことがあります。
取材のテーマとして教会を選んだ理由は、大学生になって教会についてしっかり学びたいと考えたからです。
そして、今回はカトリック新潟教会について神父・ラウールさんにインタビューさせて頂きました。新潟で長い歴史を持つこの教会の歩みや現在、そして観光について等々!お話を伺ったので最後まで読んでいただけると幸いです。


カトリック新潟教会ってなに?

本題へ入る前に、そもそもカトリック新潟教会は、新潟県新潟市中央区東大畑通にある新潟で最初にできたカトリック教会です。この東大畑通は、商店街やビルが立ち並ぶ町中から少し外れた住宅街です。この地域には、かつて異人池と呼ばれる大きな池が存在しました。その異人池が教会と深い関わりがあるんだとか!それについても聞いて来ました。
カトリック新潟教会の外観は、中世ヨーロッパ風で、これはロマネスク建築と呼ばれています。この教会の周辺には、住宅街が広がっている事もあり、かなり目立ちやすいです。

出典:公式ホームページより

そもそも布教が始まるきっかけは、幕末の安政5(1858)年にアメリカ、オランダ、ロシア、イギリス、フランスの5ヶ国とそれぞれ結ばれた修好通商条約です。この条約により新潟は港を開くことになりました。その後は、戊辰戦争の影響で開港が遅れますが、明治2(1869)年に新潟港が開港されました。しかし、当時は禁教令があり、日本人はキリスト教を信仰することが出来ませんでした。その後、日本で禁教令が廃止された明治4(1871)年以降、新潟には宣教師や外国人が入ってきて布教が始まります。現在も新潟には複数の教会があり、ほぼ同時期の明治初期に布教が始まりました。

ミサに出席してみて

教会では、ミサと呼ばれるカトリック教会の典礼儀式があり、毎日行われています。私たちは、7月9日(日)9:30のミサに出席しました。カトリック新潟教会を訪れる前までは、自身が過去に訪れる事のある教会と同様に年配の方が多くて、数人しか集まらないだろうと思っていました。しかし、出席してみると年配の方だけでなく、大学生や子ども、更には赤ちゃんも居ておよそ30人以上が出席し、幅広い世代の方が一つの空間に集まっていました。私は、普段見ないここまで幅広い世代の方が集まる光景に驚きました。
ミサが終わり、神父・ラウールさんにインタビューをさせて頂きました。ラウールさんは、メキシコ出身で20年以上日本で生活している事もあり、流暢な日本語でした。私たちは、初インタビューという事もあり、とても緊張していたのですが、ラウールさんは親切で距離も近く冗談なども言って緊張をほぐしてくれました。

カトリック新潟教会のつながり

教会の歴史についてお聞きしたいんですけど、教会の布教された当初の困難について知ってましたら教えてください。
「この教会が始まったのは明治時代だったんですね。最初の洗礼の記録を見ると1874(明治4)年には洗礼の記録があります。新潟にカトリックより先にプロテスタントのほうがあったらしいですね。ここに宣教しに来たのはフランスの宣教師だったんです。カトリックではパリミッションという宣教修道会があって、フランスの信者さんの援助を貰いながら、教会を建てたりとか土地を購入したりとか。信者さん誰もいなかった時代だったので結構辛かっただろうなと思ってます。江戸時代に佐渡のところにクリスチャンが行ってたらしいんですね。だからパリミッション会カトリックの宣教師が来た時に、大体昔の記録を見て信者さん、どこにあったのかとたどり着いてきたんですね。佐渡は島だったから、新潟に来たりとか、あるいは函館とか長崎とか色んなところ回ってきたんです。きた一番最初の時期は辛かったと思うんですよね。」

信者が増えるきっかけになった出来事はありますか?
「一番多かったのは戦争の後だと思います。明治時代から戦争が終わった時まで、そんな増えてないんですよね。戦争の後に多くの方が、戦争の苦しみから慰めを求めて自分たちの今までの苦しみの意義を探りながらキリスト教にたどり着いたんですよね。プロテスタントもそうだと思うんですけど。今来てるのは、その子どもとか孫とか、近頃は外国人が増えてきて、特にベトナム国籍の若者が多いですね。特別な事してないんです(笑)」

異人池がカトリック教会と関わりがあるとお聞きした事があったんですけど、それについて教えてください。
「カトリック教会と繋がりあるかどうか、それは意見が分かれてるんですよ。実の場所が実の場所が、あそこに見えるマンション(現在地からおよそ55m先)、隣にある駐車場の奥の方だったのね。一番古い地図を見ると二つだったのね奥とこっちの方。」

出典:Google Mapより

「ただ、洪水によって雨が降る場合によって大きくなったり小さくなったりして。数年前に新潟大学の元教授が『異人池復元プロジェクト』を立ち上げて、ボーリング調査をした結果で、ここまで(上記の上空写真でスコープが当てられた部分)なった時もなった時もあったんですよね。ずっとそうじゃないんだよね。だから毎年変わってったみたいですね。何でその池が出来たのかについて、2つの説があるんです。1つは異人池について語る絵本が出版されて、『ある池のものがたり』っていう本があります。その説によれば、当時のフランスの宣教師が生活のために井戸を掘ったら水が出て、それが池になっちゃった。だから異人池と、外国人が住んでた所の池という説。もう一つは、市役所あたりに土地を埋めたんですね。だから砂をここからとって、そっちに持ってって、東中通あたりに道路造ったりとか埋めた時に、ここから砂を持って使ったと。出来た穴に異人池が出来上がっちゃったという説もあるんですよね。どちらにしても近くに教会があったから、異人の人たちの近くに池が出来たからんだろうなって思います。その池の原因ははっきりしてないんです。」

実は観光に行けちゃう教会

教会についての話になるんですけど、カトリック新潟教会の特徴や観光で来た方へのおすすめの場所はありますか?
「(教会の)入口に案内のしおりが置いてあって、2年間に5000本に大体それぐらいの人が来られて、しおりを見ないで帰った人は結構いると思いますね。主に土曜日とか日曜日の夕方に来ますよね。何が特徴なのかと。このような建物は珍しいですよね。ヨーロッパっぽい建物。しかも、お寺ほどではないけれど、割合に古いですよね。そういう所が一つの魅力だなと思いますね。もう一つはステンドグラスかな。ステンドグラスはそんなに古くないんですよ。元々作った時にステンドグラスを付けるために窓とか計画したんだけど、お金がなかったんですよね。実際にステンドグラスを付けたのは1991年辺りかな。そのとき何があったかでいうと新潟地震の時。建物の前のほうが沈んでたんです。上がるための階段がなくなっちゃったんです。それを直すお金がなくて、やっと1990年にお金を集めて、土台を作り直して、そのきっかけで床を張り変えて、そしてステンドグラスを付けました。作ったところは、フィレン性の専用の工房があるらしいのね。イタリアでは、ステンドグラスが多い国ですので、フィレン性のステンドグラスの工房で作ってくださって、それは一つの魅力的な所だなと思います。」

ステンドグラス一つ一つの違う絵柄の配置にこだわりはあるんですか?
「右側と左側にある所ではこだわりがないんですね。祭壇の後ろにある大きいステンドグラスがあって、そこにペテロとパウロという聖人がいますよね。伝統的にそれぞれの教会でペテロとパウロがそこに入る。それ以上のこだわりは無いんだよね。」

左:パウロ
中央:

「あと、福音記者の絵になっている丸いステンドグラスがありますけども、それも一つのセットになっているんです。各ラテン系の教会でペテロとパウロと福音記者。あとはスペースがあったら、何でも(笑)。」

「左側にフランシスコ会のフランシスコとクララという聖人がいますよね。何でフランシスコ会関連の聖人がいたかというと、このステンドグラスを寄付してくださったのはフランシスコ会だったんですよ。長岡地区の長岡教会、上越、妙高あたりは彼らが持っていて、お金を出し合って寄付して下さったんです。だから、当時の司教様がフランシスコ会だったからフランシスコ会関係の聖人を置いておきたいって言ったら、そこに入ったんですね。」

中央:洗礼の秘跡

信者の方からここのパイプオルガンは、新潟でとても古いとお聞きしたんですけど、それは本当なんですか?
「そうですね。日本で今でも使われてるオルガンの中で一番古いだろうなと思います。ドイツで造ったオルガンの中で一番古いです。全てのオルガンを見て二番目に古いとだと思うんですよね。メンテナンスが大変だよ(笑)。『美の壺』というNHKのテレビ番組がありますよね。2、3年前に美の壺の企画で、全国のパイプオルガンを取材してたんです。ここも最後の5分ぐらい紹介されていて、丁度彼らが来た時にメンテナンスしてたんですよね。美の壺の中で各オルガンの部品が見られるので。今年また再放送したみたい。」

コロナ禍の信者さんの唯一の楽しみ

今年新型コロナウイルスが5類になった事で世間で自由に広がったと思うんですけど、コロナ禍で教会がダメージや影響を受けたことはありますか?
「そうですね。集まりにくいんですね。一番厳しい時に参加者の制限をかけて、60人くらいかな?もっと厳しい時で20人とか30人とか制限かけてやったんですよね。ただ面白いのは年配の方ね。一番危ないと言われている方々から言われたのは、“神父さん、ミサを止めないでください。私たちの唯一の楽しみですから”。買い物にも行けないし、顔も見えないし、教会に来たらお祈りが出来るという面もあったんですよね。だから、長い間ミサを9:30と11:00のミサに分けて、60人60人に制限かけてたんですよね。今はマスクも自由になったのでミサも1本になったので。もうひとつは朝の7時ですね。まだコロナの心配がある方が朝のミサに来ているんですよね。教会としてではなくて、信者の方が精神的に重いんですよね。皆さんも同じだと思うんだけど。教会といえば『集まる』ですよね。教会の本質の一つで、集まらなければ教会に成り立ってないので、集まれないという気持ちが辛かったと思うんですよね。」

ラウールさんはこの教会に務めて何年になるんですか?
「実はね、私はね2回目ですね。今回は8年目ですけど、間に7年間青山の教会にいて、前にここに5年間居ましたね。合わせて13年間。でも、最初の5年間はお手伝いみたいにやって、新津とか色んなところ回ってたんですね。今は担当になってから8年になってるんですね。」

最初に勤めていた5年と現在の8年の間の違いや変化した部分はありますか?
「1つはね、最初来た時に戦争間もなく洗礼を受けられた方が多かったんですね。年配の方が多かったんですね。まだそういう方々が教会の半分くらいだったかな?ただ、やっぱり年を召させて教会に来なくなるとか、あるいは施設に入ったりとか、それで参加する方々が変わって来た訳ですね。今はどっちかというと外国人が多くなってきた多くなってきた気がするんですよね。ベトナムの青年が集まったら、日本人の信徒より多いんですよ。毎週来れないと思うけど、ベトナム語のミサがある時にも100人、それ以上集まってくるんですよね。彼らは3年の期間だけ日本に居て戻るっていう、馴染まないんだよね教会に。そういうマイナスなところはあります。」

神父さんってどんな仕事してるの?

神父さんの仕事内容ってあまり聞いた事ないなって思って、どんな仕事をされているんですか?
「色んな事するの。これみたいな大きな教会は、信者さんの話のために勉強会用意したりとか、毎日の朝のミサとお祈りして、洗礼を受けようとする方々の勉強にも関わるし、子どもがいたら信仰の教育にも関わるし、後は教会の管理ですよね。」

神父というお仕事をされていて、やりがいを感じる瞬間はありますか?
「誰かが洗礼を受けた時とか結婚式とか。昔、寺尾教会に居たんですね。そこの教会学校に通っていた子どもたちが今年二人ここの教会で結婚式を挙げたんです。あの時は小学生だったんですよね。大きくなって結婚することになったから、11月の結婚式を合わせると、今年は3人目ですよね。教会学校に関わった子たちが。ずっと前から知ってるんですよね。そういうのあると良いなって思うんですよね。」

素敵ですね。最後の質問になるんですけど、自身にとってミサだったりとかカトリック教会はどういう場所ですか?
「神様に出会う場所と人に出会う場所。両方ですね。自分の心の実家っぽいですね。離れたとしてもそのうち戻ってきたら“おかえり”って教会の人たちと神様が言ってくれるし、一つのよりどころでですよね。」

まとめ

高野「今回のインタビューを通して、信者の方はカトリック新潟教会を必要にしている事が分かりました。また、孫の代まで教会に来ている姿やラウールさんの教え子がここで結婚式を挙げるなど、人の繋がりを感じられる温かい教会でした。」

西川「私達がミサに行った際に若い方からご高齢の方が多くいたので老若男女問わず皆さんミサを拠り所にしているのだと感じました。観光にもオススメなので現地で教会の雰囲気やステンドグラスを来てみてはいかがでしょうか!」

アクセス情報

住所:新潟市中央区東大畑通一番町656番地
電話番号:025‐222‐5024

新潟駅万代口から新潟交通路線バス「西循環(浜浦町先回り)西部営業所行き」に乗車
バス停「西大畑」で下車。徒歩2分。
料金:大人210円

出典:公式ホームページより

出典:カトリック新潟教会ホームページより
細かい詳細につきましては、以下のカトリック新潟教会の公式ホームページからご確認ください。http://cathedral-niigata.jp/%E3%83%88%E3%83%83%E3%83%97%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8/%E3%83%9F%E3%82%B5%E3%83%BB%E8%A6%8B%E5%AD%A6/

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