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穏やかに過ごすには

noteを初めて6ヶ月

早いもので、noteを初めて約半年が経ちました。
昨年10〜11月はタイカブで走り過ぎてしまい、記事のアップが追いつかない程に(桑崎分校訪問や牛首峠から有賀峠を巡ってきたこと、その他諸々を結局未だアップ出来ず)。

春を待つ苔

生活の変化は割合少なく、人生の中で一番穏やかに過ごしている感じです。
子育ても終えて、仕事の浮沈もとりあえず無く。
50歳以降は親の介護に追われましたが、父親は昨春亡くなり、あとは95パーセント没交渉の母親のみ。
波といえば、この母親の時々の暴走への対処。

両親共々、この二人の子育てや大人としての振る舞いと異なる行いをすれば世の中で良しとされるデフォルトに合致していく、という意味で、すばらしい反面教師の鑑です。
正直、残された母親の言動や立ち振る舞いに接する度に手が震え、どうすればここまで人は愚かで自分本位になれるのだろう・・・と未だ毎回思えてしまうのです。
義母とは真逆で、妻の実家は居心地が良く、義母と妻と三人で年に数回小旅行をして同じ部屋に宿を過ごせる程に良好な関係。
私が悪魔であればこういうことはあるまい、と自身を俯瞰してみるようにしています(都合のよい解釈かもしれませんが)。

渓谷の空気も少し丸い感じです

とはいえ、冒頭の通り私もずいぶん穏やかになりました。
それでも日々の刺激の中で、キーワード的な言葉や立ち振る舞いに出逢うと、トリガーが引かれてしまうことはあります。
色をなして怒るような形ではなく、法令の条文のように定型句慣用句を並べて隙のない文言で返す形ですが(それが相手をより追いつめて立腹させることも承知)。

薄氷

我が家の居間に置かれた水槽には、20年間生き続けている金魚が1匹います。
私が水槽に近づくと、屈託のない表情で餌くれダンスをして見せるかわいいヤツ。
居間の灯りを消そうとすると、水槽の角に顔を上げて全身をくねらせて「まだ消さないでーっ」と訴えてくるのです。
水槽自体、多少の模様替えはすれども環境は長らく同じ。
先日その彼を見ながら、私が過ごしてきた20年間に消費したエネルギーと彼のそれとを思わず比較してしまいました。

餌を食べる。
ぐるぐる泳ぐ。
寝る。
餌を食べる。
寝る。
ぐるぐる泳ぐ。
毎晩のように消さないで〜の儀式を交わして寝る。
そして日々楽しそうな顔でふわふわ浮いて漂う。

森はまだ寒い

そりゃ子育ても労働もないけれど、なんて無駄の無い生き方をしているのだろうか。
それに引き替え、この20年間バカみたいに金銭と労力をリミットまで稼ぎ使い、神経を消費し、疲労疲弊し、喜怒哀楽を上下させている私はなんじゃいなと。

金魚に負けた。

この20年間を一言で表すならばそういうことです。

先日の急性胃炎で噴出性嘔吐を3回繰り返し、我が家の廊下とトイレと脱衣場を未消化のピザ(生のチリインオイルを大量に塗りたくって食べたやつ)で汚した男性のさまとして、ここらでエネルギーの無駄遣いやらを控えていかないと、学習も教訓も身につかないただのアホなヤツになってしまいます。

これからは、金魚の生き様に近づいていくことを目標にしてみようか・・・

一匹だけの金魚と違い、社会参加だとか納税とか課せられた義務を果たすのに必要な労働はするけれども、心のネガティブな波を自ら招かない環境づくりは大切に思えます。

本当は漂っていたいですね(笑)

もっとも、ネガティブな時間や出来事を打ち消すためのポジティブな行動が出来るのがヒトの技だと思うので、よい意味での刺激のある仕事とカブでのツーリングは、昨年にも増して果たしたいところです。

来週は暖かくなりそうなので、どこか走りに行こうかな・・・。

渓谷の地衣類


渓谷の夕暮れは静か

自然観察の時間は、とても穏やかになれます。

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