あと1年と言われましても(1)

【病名と診断結果】

「お義母さん、先生からのお話は、結構な覚悟で聞いてくださいね」と伝えたものの、私だって「意外と大丈夫だったりしないかな・・・」と願っていた。でも、現実はなんと厳しいことか。

 夫が緊急入院し、脳の病理診断手術をした。結果が出たとの知らせを受けて、お義母さんと一緒に病院に行った。
 先生から「病理診断の結果は悪性脳腫瘍で、病名:びまん性正中グリオーマ(神経膠腫)です。グレード4です」と言われた。
 脳のがんの場合はステージではなくグレードと言うらしい。末期がんだ。
 そんな・・・嘘でしょう?・・・なんて、悲劇のヒロインみたいなセリフが思い浮かんだのと同時に、一瞬脳内がブラックアウトしたが、そんな場合ではない。先生の説明は淡々と続いている。モードを切り替えて、話を聞く事だけに全集中。
「脳腫瘍の中でも症例が少ない希少がんで、手術で取り去ることは不可能です。今後は放射線治療に切り替えますので、さらに2ヵ月間くらい入院が必要となります。人間の許容量として最大限の放射線量を当てるため、退院後は点滴と飲み薬しか打つ手はありませんし、効果が見込めるとも言えません。完治はしません」要約するとこんな感じの事を言われた。
 細かく説明してもらったが、ただの文字の羅列が耳に入ってきているような状態だった。とりあえず落書きのようなメモを取った。

 最後に先生から「何か質問はありませんか?」と言われて、初めてお義母さんが口を開いた。
「・・・治りますか?」
 治らないって言われたばっかりでしょ!何言ってんの?と心の中で八つ当たり。先生はもう一度「治らない事」を説明してくれた。
 私からは「余命ってありますか?」と聞いてみた。
「1年は持たないでしょう」
 目がチカチカして、今度は脳内が真っ白になった。気絶したことはないが、多分気絶しかけたと思う。
 病院の帰りに「お義父さんにも報告しなきゃ。お義母さん、連絡取ってもらえますか?」とお願いし電話してもらった。駅の近くのファミレスに今から行くから、会って話そうと言われた。
 私たちがファミレスに到着した時、すでにお義父さんは席に座っていた。
「何か食うか?」と聞くから
「何もいらないよ。ってか、お義父さんも話聞いたら食べれなくなると思うよ」と言ったが、
「オレは仕事終わりで腹減った。マグロ丼セットと・・・デザートはクレープにする。他は何がいい?」
 お義母さんが「私はピザにする」
・・・食うんかい!
 あんまり食え食え言うから、しょうがなく私はプリンを注文した。
 注文が揃ってから詳細を報告。ほれ見ろ。二人ともほとんど食べれてない。

 この流れで、義父母の今後についても話した。
「ついこの間までお義母さんかお義父さんの老後は、私たちが見ようと思ってたけど、大きく軌道修正しないといけなくなった。何かあっても、もう私たちには頼れないと思って欲しい。そして今回の入院でわかったと思うけど、いつだれがどうなるかなんて、明日の事は誰にもわからないんだから、自分たちの今後については、何となくふわっとさせずに、義兄夫婦や義弟夫婦も巻き込んで、もしもの時についてしっかり話し合っておいて欲しい」と伝えた。
「入院費とか、出来ることは手伝うからな。いつでも連絡してきてくれ。ひとりで背負うなよ!」と励ましてくれた。全員ほとんど食べ残して会計した。

 私の名前は「ゆま」(仮)、夫の名前は「ゆうま」(仮)。
 私が「どぶちゃん」、夫は「なむちゃん」、2人だけの時は、このあだ名で呼んでいる。

 人前ではちゃんと名前を使っているが、私と夫の名前が似ている事もあり、結婚前からお互いあだ名で呼び合っていた。
 年月と共にあだ名自体も変化していき、当時の原型が無くなって、結果、人が聞くと妙な響きのあだ名で落ち着いてしまった。
 私は50歳、夫は49歳。このあだ名で呼び合うのはさすがに恥ずかしいと思ってはいるが、本名くらいの定着感があり、今更変えられない。

 ある日「お互いに万が一の事があったら、このあだ名を人前で言える?」と聞いた事がある。
 夫は「言うよ!それしか出てこないと思うし……」と言っていた。
 その「万が一」の時が、静かに近づいていた。

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