ソアリンに乗って気づいた、「夢の国」からの目覚め

この前、ディズニーシーに行って新アトラクションのソアリンに乗ってきた。

悪天候の中、160分待ちの表示だったが確実に200分は待っただろう。トイ・ストーリー・マニアもオープン当初はそれくらい並んだが、それよりもはるかに長く感じた。そしてやっとたどり着いたアトラクションに、あろうことか、大した感動も、面白味も、何も感じられなかった。今日はそんな自分の話をする。

ディズニーリゾートで特筆すべきはその人を夢中にさせる徹底的な世界観の構築だろうが、その「夢の国」に、ある日突然飽きてしまうことがある。それを誰がうまいこと言ったか、「夢から覚める」という表現をするのだが、自分も数年前からなんとなく「夢から覚めた」ような感覚があった。どこでそれに気がついたのかを挙げてみよう。1つでも共感すれば、あなたも夢から覚めた人かもしれない。

まず、ディズニーから帰るときが悲しくなくなった。自分の日常生活とディズニーの世界は紛れもなく延長線上にあって、ディズニー以外にも楽しい世界がたくさんあり、例えばディズニーに行くのと町のおしゃれなカフェに行くのと、どちらも楽しさは変わらないようになったのだ。だからディズニーからの帰り道に悲しくなることがない。夢の国への没入感というか、この特別な空間から去ることへの寂しさのようなものを、全く感じなくなった。帰り道に見るイクスピアリの服屋のショーウィンドウに心が踊るようになった。

次に、ディズニーをビジネスの面からも見始めた。アトラクションの提供企業がどこか気にしてみたり、商品開発の点に感心してみたり、とにかく「裏側」の存在を気にし始めた。スタッフ一人一人は教育研修を受けていて、最近は写真のための迷惑行為にも注意して、「夢の国」ブランドをこのSNS社会で保つのは大変だろうなぁとか、とにかく「運営側の人間」の存在が近くなった。これは自分が社会に近くなった、大人になった証だろうか。

そして、ディズニーの世界が、実在する世界観の「模倣」でしかないことに気づいた。ディズニーの敷地内に表現された美しい外国の景観、おしゃれなレストラン、かわいい建物、全てが模倣である。これは自分が実際に海外に旅行したり、レストランに行ってみたりした経験が増えていく中で得られた気付きだ。ディズニーはその「子供が憧れる大人の世界」を模倣し、夢の国を作り上げている。そしてその模倣品は、本物を知ってしまった大人にはもう通用しないのだ。

そんな悲しき夢から覚めた大人には、ソアリンは少々苦しいアトラクションだった。
アトラクション内容をざっくり説明すると、巨大スクリーンの前で大きなリフトに乗り、乗客は飛行体験をするのだが、その空を飛んで行く先で見る風景が、あまりにもありふれているのである。
アルプスの山々、南の島、サファリ、万里の長城、タージ・マハル………はっきり言って、Googleで「世界の美しい場所」と検索した結果を垂れ流しているのと大差はない。途中、「あーこれWindows10のロック画面でみたな」と思った瞬間、自分はもうソアリンの乗客として失格だった。

断っておくが、ソアリンの映像はとても美しい。空を飛んでいる気分にもかなりなれる。あなたが途中でWin10のロック画面を思い起こさなければ、200分並んだとして損はない。だが、それ以上のものはないのだ。逆に夢の国を楽しむとして、映像が現実世界にありふれているものでいいのか?と心配になった。これでは「BSプレミアム 世界一美しいワールドツアー(※そんな番組はない)」ではないか。これだったら、ディズニー映画の世界を順番に巡るフィルハーマジックの方が、よほどディズニーのアトラクションとして優秀であるし、せっかくディズニー映画の実写化がそろってきたのだから、実写版フィルハーマジックにしてしまった方が良かったのではないか。オリエンタルランドは大丈夫か。

アトラクションが終わると、周りの乗客は一斉に拍手をしていた。そこで自分は気づいた。自分はもう、夢の国が楽しませようとしている人間ではないのだと。

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