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河の流れは変えられる

まじでか。あいつも結婚か。

2019年の大晦日。
天変地異に襲われた日本列島。奇々怪々な芸能ゴシップ。不可解な理由で起きた殺人事件。政府の陰謀が見え隠れする政局がうずまく日本。そんな年の最後の日。

僕にとって、どんなことよりも、大晦日最後の日の一大事だった。

まぁ考えてみれば至極当然。そりゃそうだ。お互いに30半ば。ここまで馴染みでも人生はひとのもの。自分がどうこうできるもんでもない。

「付き合おうよ」
彼女は僕に告白してくれた。
彼女に告白されたのは2回目。
まだ13才のころ。天真爛漫な彼女を外から見ていた。そしてちょっと女の子の体つきから、女性の体つきになっている彼女にときめいていた。
幼稚園が一緒で、今となっては記憶に遠いが、仲良くしていたみたいだ。
なぜ、告白されたのかわからないけれど。思春期に生まれて初めてラブレターをくれたのも彼女だった。
「I like you♡」
茶系の便せんに、真ん中に一行。
無垢な自分には、刺激が強かったのは記憶に強い。

ラブレターを受け取ってからどうしたかは、覚えていない。
多分、振ったんだと思う。

それから、彼女とは、社会人になってからまた繋がった。
どうしても何とかしないといけなくて、すがる思いで助けてもらった。
思えば、彼女のおかげで今の自分がいるけれど。

それから、毎年大晦日に夜の初詣に誘うようになった。幼馴染の繋がりで、社会人になったつながりで、年末になると誘っていた。

「初日の出、見に行こう」
そんな年もあった。自分の車で山まで行って、初日の出を待った。
日の出を待つまで車のシートを倒して二人で横になった。彼女は、自分の胸に頭を乗せ、二人でまるで付き合っているカップルのように、まどろみの中、新年をまった。そこに男女の関係はなかったけれど。

「ムリだ。今の自分にムリだ。」
彼女が告白した瞬間。食い気味で言葉を放った。
いつもそうだった。人に向けられた好意を素直に受け入れられない自分。
割り切った関係でしか、受け入れらない。内面に突き刺さる付き合い方ができない自分。
「いま自分の年収は誰かを支えられるもんじゃない。むしろ今自分の資格や給与を上げるために勝負しないといけないから。遠距離になるならむしろ無理。」
そんな言葉をつらつらと放った。
「わかった、あきらめる」
それが最後の付き合う、付き合わないの最後だったんだと。

結局それからも年末誘っていた。ただ、都合次第。会えていなかったんだ。
そして2019年。結婚しました。の報告。

自分がそれなりになれば、告白をする勇気ができるものだと思っていた。
まだ、挽回のチャンスが自分にあると信じていた。もう機会がないと思っていた。でも結局。自分の決断しなかったのと、動かなかったのと、言わなかったのと。
結局、都合のいいようにしか考えてこなかったのだ。いつもそう。

そう、思ったらそう。
自分の未来を変えたければ、決断して、進むしかない。
何もしない、何も決めない、何も言わない、はいい未来は絶対来ない。

そう、自分を変えることが出来るのは自分なのだ。



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