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「自分に足りなかったもの」

NGO CBBインターン生の今西雄飛です。

今回はカンボジア農村部での生活を通して自分に足りなかったことに関して書きます。

その前に高橋義浩さんの記事を紹介します。

学生さんの「海外でボランティアをしたい」という気持ちは立派なのですが、ある国をよく知りもせずに援助したいというのは、その数多く国に対して失礼だということに気づいてほしいのです。たとえば、「ネパールでボランティアをしたい」という前に、まず、「ネパールという国を知りたい」という動機があってしかるべきです。
知りもしない、行ったことすらない国の「貧困や無知」を勝手に想定し、そこで援助したいと希望する人には、きつい言い方ですが、その人の発想の「貧困と無知」がすでに見え隠れしています。
現地の生活を無視した援助の暴走が、すでに大学生にして始まろうとしているかのようです。

国際協力に憧れがあるとしても、最初のうちは、ボランティアなど忘れて、まずその国を楽しく旅したらどうでしょう?即戦力のある専門家でもないわけですし、急ぐことはありません。
まず、アジアを、世界をよく知ることが先だと私は思います。
たとえば、東南アジアの寺院で、地域の人たちと一緒に手を合わせてみてください。南のビーチで、のんびりと夕日が沈むのを追ってみてください。北の山岳地域で、少数民族と出会いながら歴史と文化に思いをはせてみてください。美しい自然にふれ、歴史を知り、文化を味わうこと。これが学生ならでは旅であり、きっと東南アジアの人々も喜んでくれるはずです。
そして、2回、3回と訪問を重ねて、片言の現地語がつぶやけるようになる頃、自分自身の目で東南アジアが抱える問題もまた見えてくるようになります。ボランティアを始めるのは、それからでも遅くないはずです。いえ、それからの方がもっと確かなことができるはずです。

飢えた子どもたち、内戦で傷つけられた家族、貧困から立ちあがれない人々・・・、たしかに世界にはそんな人たちがたくさんいます。でも、学生時代から、世界のそんな悲しい側面をクローズアップしすぎてはならないと私は思っています。本当の意味でアジアの人たちを「隣人」と私たちが感じていくためには、こうした偏見というか、部分的な見方というのを乗り越えていく必要があるのではないでしょうか?


今回の渡航でカンボジアは4回目の渡航になるのですが農村部で生活するのは初めてでした。

今までは1泊10$前後の宿に泊まって、晩御飯は日本食を食べて、そのあとはマッサージに行ってという生活をしていました。

このような生活をしていては、「現地目線で物事を捉えることは難しい」ということが僕の伝えたいことです。

現地の人と同じ物を食べて、同じ床で寝ることで同じ目線で物事を見れるようになるんだと思いました。 

カンボジアへ来て1ヶ月で気付けたのは良かったです。

通りすがりで見ず知らずの人でも、目が合えばニコッと笑って手を合わせてくれるこの国が好きです。

僕は国際協力で世界を変えるような大それたことはできないけど、日本でもカンボジアでも目の前の人を笑顔にすることはできる。

世界中の人が目の前の人を笑顔にできると、より幸せ溢れる世界になっていくのではないでしょうか。

よし、今日も明日もずっと目の前の人を笑顔にして良い循環を作っていくぞ!!

#国際協力 #カンボジア #NGO #日本語教育

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