見出し画像

ドラゴンボールの今後

 2024年3月1日にドラゴンボールの作者である鳥山先生が亡くなった。自分はドラゴンボールが連載終了した1995年に生まれたため、連載中をリアルタイムで体験した世代ではない。にもかかわらずドラゴンボールには多大な影響を受けてきたし、今でも折に触れて愛読している。

 リアルタイム世代ではないのにドラゴンボールに親しみを持てるのは、連載終了後も盛んにメディア展開されたからだ。GTのようなオリジナルアニメはもちろん、スパーキングシリーズのようなゲームソフトも大いに反響を呼んだ。鳥山先生がドラゴンボールに再び積極的に関与するようになった2013年の映画『神と神』以降の、いわゆる「超」(スーパー)シリーズになってからは、それほど熱心に追わなくなった。少年時代ほど新鮮な面白さを感じなかったからだろうが、ビルスというキャラクターのかっこ悪さ、更に悪い意味で理不尽な傲慢と横暴、しかもその私利私欲の破壊行為が「神」として世界観的に正当化されている(悟空たちがその理不尽に打ち勝つストーリというわけでもない)ことに納得ができなかった、要するに内容的に「つまらない」と感じたのが一番の理由だと思う。

 これは「超」シリーズが始動する前後のメディア展開にも感じていたことだが、原作へのリスペクトを失い、ただ「ドラゴンボール」という巨大商業コンテンツを延命させるためだけに付け加えられていく新設定(バーダックの超サイヤ人化などはその象徴だ)の連続に激しい違和感を覚えた。ただ、それはあくまで派生作品としての扱いだった。しかし超シリーズ以降は原作者がノリノリで本筋のシナリオ構成に絡んできて、「公式」を銘打つ新展開が次々と登場したので、余計に嫌悪感があった。今でも私はドラゴンボール超シリーズを、「公式がする二次創作」だと捉えている。(もちろん、現在未公開のダイマシリーズにも内容の良し悪しに関わらず同じ解釈をするだろう)

 ファンの間で有名な話がある。人造人間編の主敵(ラスボス)は、当初19号と20号(ドクターゲロ)だったという話だ。しかし当時の編集者に「デブとジジイじゃないですか」と駄目だしされ、17号と18号を出したが、「ガキじゃないですか」と言われ、セル(第一形態)を出すも気持ち悪いだかかっこ悪いと酷評、第二形態はブサイクだとなり、あの完全体セルがラスボスになったという顛末だ。(公式ファンブックの鳥山先生へのインタビューで語られていたと記憶している)

 私はドラゴンボールの中でもセルはかなり好きなキャラだ。それも変に斜に構えるようになった大人の今よりも少年時代の時の方が熱烈に好いていたと思う。理由はシンプルにデザインがかっこいいから。世界征服などの俗な野望を持たず、ひたすら完全体に執着する、どこか憎めないクールさにも魅力を感じた。それまでのあらゆる戦士の細胞を取り込んだシリーズの集大成ともいえる実力を備えた強敵として悟空たちの前に立ちふさがったという展開にも非常にわくわくしたのだろう。

 ところが超シリーズのメインのボスキャラはビルスという内面的にも外見も全く魅力を感じない。これは鳥山先生が「分かりやすくかっこいい」キャラを嫌う意図があったと聞くが、外せばいいってもんじゃないと思う。それも新シリーズ展開にとって一番重要なキャラなのに。まあ、このあたりは好みの違いもあるのでささいな話だが、ビルスの内面のひどさやその後の不自然なストーリ展開(未来トランクス編が強引すぎるバッドエンドとなったことなど)や、お粗末すぎるキャラ理解(悟空がキスをしたことがないなどの幼稚化・白痴化)を見ると、「ああ、誰も鳥山先生のファーストアイデアに『待った』が出せない状態なんだろうな」と悲しくなった。今のワンピースにも、ナルト終了後のサムライ8にも言えることだが、原作者に対等な仕事仲間としての立場から意見を言える編集の存在は、商業作品としての「面白さ」を保つ上で絶対に不可欠だと痛感する。

 鳥山先生に哀悼の意を捧げるのは当たり前だが、今に至るまでのドラゴンボールの展開を(何しろ「公式」と誇らしげに謳っているのだから)無批判に絶賛すべきとは思わない。もちろん、死去のタイミングに便乗してTPOを弁えず持論を展開するのは迷惑だし醜いが、これはnoteの単なる独り言なのでそこは勘弁してほしい。

 ドラゴンボールという(漫画作品ではなく)コンテンツが今後も続くだろうから、せめて連載当時の原作ベースで行ってほしいものである。GTは内容の良し悪しはともかく、原作を尊重しよう、シナリオを自然で面白く工夫しようとする努力が感じられるので個人的には好きである。髪の色を変えればいいとしか思ってなさそうな超シリーズとは違い、大猿の要素を取り入れた超サイヤ人4という発想も非常に刺激的で面白かった。何よりGTは原作者がほぼ絡んでいないので、超より露骨な「公式」アピールがないのが謙虚で好感を持てたのだと今になって感じる。あくまであれはアニメオリジナルストーリーだった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?