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言い方は発言内容と同じくらい大切である

 カタカナ言葉は本来の意味から浮遊して空疎な言葉遊びの道具になりがちだ。コミュニケーションもその一つだろう。私はよく意思疎通と言い換えている。つまり、お互いの思いを正確に伝えられるかが目的となる。

 世の中には「厳しい言い方だけど、あなたのためを思って言ったんだ」という主張がよくある。これは誤解であり、言い方が厳しければ、発言内容も厳しいと相手に受け止められるのが普通だ。

 私の愛読漫画ワンピースでビビが幼少期に火薬庫に入りペルにビンタされて激怒された場面がある。これはペルがビビの身の安全を思い、あえて厳しく叱責したわけだが、これは、ペルの発言内容が「厳しくない」理由になるのだろうか?どう考えても発言内容(火薬庫には近づくな)も厳しい。だから悪いわけではなく、「言い方は厳しいが」という前置きは、でも私の意図は優しいものなんですよという言い訳にはちっともなってないということが重要だ。


ペルの入隊記念日を祝いたかったビビ
なんだかんだビビに頭が上がらないペルも可愛い

 言い方と発言内容はほとんど全ての場合、連動(リンク)している。私は今日、部署長に承認を得るための文書案を作成したが、部署長は案の立て方がおかしいとまくし立てて、極めて無表情に突き返した。その後、部署長はフォローしたいと思ったのか、笑いながら部署長より更に上の人間は厳しいから、やはりこの点は見直した方がいいという風に発言した。なぜ、それを最初にできなかったのか?その時は、忙しくて感情の整理ができていなかったのかもしれない。

 私は、この部署長に修正を指示されたことではなく、その言い方があまりに冷たく腹を立てた。そもそもこの件は更に上の部長クラスの人間が気にしているからこそ、部署長にも相談したわけだが、彼は「かめちゃんが持ってきた余計な仕事にダメ出しをする」以上の責任感はなかったように感じる。以前は部署長の作る経営改善の計画に、私が今抱えている話も組み込まれていたから、やたらと細かく進捗を確認していたが、あまりに増収額が乏しいからと削除されたらしい(1円に笑い1円に泣け)。それからは彼の中でこの件は「自分の仕事」の範疇から外れたのだろう、実務担当者である自分に全てを丸投げして、今に至る。彼の冷たい言い方は、恐らく、自分が直接は関係なくなったことも一因のはずだ。具体的にどうすべきとも明確に話さず、ごにょごにょと「絶対言われますよ」(文書を突き返す)というクソムーブの背景には、業務の指揮系統すら曖昧な私の会社独自の歪みがある。

 文字を書く時は上手か下手かではなく丁寧に書けと教わった。話し言葉についても、全く同じことがいえるのではないだろうか。

 

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