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私は被災者じゃないと思っている全ての人へ


あの日、宮城の普通の女子高生だった友人のこと

数年前に読んだ、忘れられないfacebook投稿がある。

震災の時宮城にいたって言うと「どうだったの?」とか「何してたの?」ってよく聞かれて大抵「家は山沿いだったから被害少なかったよ」って答えるんだけどこの言葉じゃ事実の10%も伝えられてないよなあっていつも思ってる。
海沿いの人達に比べたら自分たちは被災者って呼べないなって気持ちと「被災者面するな」って思われたくないって気持ちが強くてこういう言い方しちゃうんだけど
本当はどんなことがあったか、誰かがちゃんと伝えないとどんどん事実が風化していっちゃうんだよね。
校舎からシャトルまで行くのに道路が水没してた中歩いたこととか
全部持ってかれた土地に船とか、潰れた家とか、ひしゃげた自販機が残ってたこととか
見えない放射線に怯えて「これで死ぬならみんな一緒」って友達と本気で励まし合ってたこととか
数年後の田植えの時期に、久しぶりに田んぼに水が張っててすごく嬉しくなったこととか。
特に放射線については、大袈裟かもしれないけどチェルノブイリの事故から4年後に白血病患者が増加したって知ってたから成人式まで健康でいられるかわかんないねって話もしてた。
幸せなことに私と同級生はみんな健康で成人を迎えることができたわけだけど。
ここまで書いてて、全部本当のことだけどやっぱり被害者面するなって言われるのが怖い。(中略)
私だけじゃなくて私の周りも、震災のこと伝えなきゃって思いながらしんみりさせちゃうのが嫌で震災の話題にはなるべく触れない人が多いように感じる。
震災時にテレビを観てた人は、被災地にいなくてもそこがどんな惨状だったか十分に知ってると思うけど
あの時産まれてなかった子がもう5歳になって、これからもっと震災を知らない子どもが増えていくから
この記憶が風化されないで伝えられていったらいいな、と思って書いてみました。


死亡者約15,000人、行方不明者2,500人、負傷者約6,000人──
甚大な被害を出した、2011年3月11日の東日本大震災から7年。
あの頃産まれた子どもは、もう7歳になった。

私は当時京都に住んでいたので、ほぼ全く被害を受けていない。
こんなに被害の大きな災害だったのに、親戚や友人のほとんどが西日本に住んでいるので、被害を受けた知り合いもいなかった。

だから関東の大学に進学して、初めて震災で被害を受けた人と出会った。
上記を投稿した友人(以下えみと呼ぶ。その方が私にとって自然だから)も、その一人だ。
いつも私のnoteを読んでくれていて、快く掲載を許可してくれた。ありがとう。

「私は私も被災者だなんて絶対に言えない、言うのが怖い、震災で何もかも無くした人もいるのに」ってえみは言うけど

私にはえみも被災者に見えた。


被災者と呼ばれないけど、震災に殺されたかもしれない人たち

ちょうど一年前の冬、研究会(他の大学ではゼミっていうのかな)のメンバーで宮城の被災地を訪れた。えみも一緒だった。
研究会の教授が、つてで語り部の方のツアーを手配してくれた。

被災地を訪れる前に、教授が語り部さんのことを少し聞かせてくれた。
私のお父さんより少し年上で、私たちと同じくらいの年の娘を亡くしているということだった。
教授は「震災で亡くしたというわけではないそうです」という言い方をした。

何を理由に亡くなったのかはわからない。
私はもしかすると、彼女もまた震災に殺された「被災者」なのかもしれないと思っている。
単なる思い過ごしかもしれないけれど。

色んな人の震災にまつわるストーリーを聞いた。
仮設の小さな倉庫のような建物で、津波に全てが流されていくビデオを、皆でただ茫然と見た。何もない宮城の海辺のまち。


グラデーションのなかの「被災者」

誰は被災者で誰は被災者じゃないって、誰が決めるんだろう。

えみの投稿と同じような気づきを得た記事がある。
ちょうど同じくらいの時期に配信された記事だと思う。

3.11 中間被災者の孤独

記事の筆者は、震災発生当時東京に住んでいた。
だから直接被害を受けてはいないけれど、家族や友人は東北の沿岸部に住んでいて、孤独でつらい想いを味わったことが書かれている。
筆者は自身を「中間被災者」と定義づけている。
この記事で私は初めて中間被災者という言葉を知った。

「中間被災者」で検索すると562,000件のページがヒットする。
私が知らなかっただけで、そこそこ一般的な定義なのだと思う。

被災者と被災者じゃないのあいだにあるのは、溝じゃなくて坂だと思う。
被災者と被災者じゃないのあいだは、きっとグラデーションになっている。

(↑こういうイメージ)

真っ黒でも真っ白でもない、グレーの人がきっと一番多い。
あんなに大きな災害だったんだもの。
限りなく黒に近いグレーの人もいれば、白と見間違うほどのグレーの人もいる。


被害者面するななんて絶対に言わない

私の周りの中間被災者は「被害者面するなって言われるのが怖い」って言う。

被害者面するななんて絶対言わないよ。
私だけじゃなくて、たぶんたくさんの人がそんなこと思わないよ。

私たちみたいな1mmも被害を受けていない人間は、悲しいことに震災があったこと自体すぐに忘れてしまうから。話してほしい。知りたいと思っている。
震災のことをじゃなくて、震災と向き合ったあなたのことが知りたい。あなたのことなら全部知りたい。

話せ!なんて言うのめちゃくちゃ残酷だと思う。思うだけでもいい。
私は被災者じゃないと思ってる被災者が「私も被災者だったのかもしれない」って自分で思えることで、少しだけ楽になったりしないかな。


語る資格はなくても

何度も言うけれど私は震災を経験していない

京都のぼろ家がちょっとゆらゆらした、それだけだ。
ポポポポーンのCMを何度も見ただけの人間だ。

だからこの件に関しては何を書いても「それは上から目線なんじゃないか」「何も知らない私がこんなこと言っていいのか」「複雑な想いを抱える人たちの気持ちを本当に理解できてるのか」って何度も何度も自問自答したし、何度も何度も公開を迷ったけれど
以下の記事の一節を読んで、公開しようと決意できた。

語る資格なんて、誰も持っていない。けど、思いを馳せる資格はあるだろうね。あなたがそれだけ考えてくれていることが、何より嬉しい。

被災地出身、でも被災者じゃない。「中間被災者」として考えたこと / ハフィントンポスト)

上の記事は、たまたまこのnoteのために調べ物していて見つけたけれど、
私が言いたかったことが500倍くらいの納得感と切実さをもって書かれているので、ぜひ読んでみてください。


「私なんかが被災者ですっていいのかな、もっとつらかった人もいるのに」って思うような
優しい人がくるしい世界をもうやめたいです。

優しい人からどんどん順番に幸せになればいい。




この記事は上の記事のアンサーnoteとして書きました。
ありがとうえみ。ずっと好きだよ。



#東日本大震災から7年

(とにかくひと段落めのえみの文章を色んな人に読んでほしくて、拡散ご協力いただけるととってもうれしいです。)








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