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解像度を上げても明晰にはならない

 さてさて「解像度を上げる」がやっと借りられました!

 と言いますのは・・・以前にこのnoteに書いたのですが「なぜだか最近の若者が『解像度を上げる』と言い出しておる。一応、印刷系デザイナーの僕としては言わなくてはならない! 後から解像度を上げたってダメだから! 最初からちゃんと高い解像度でピントのあった写真を撮らないとダメだから!!」てなことを書いたのでした・・・。




 で、その記事を書いた後に調べてみましたら「解像度を上げる」という書籍があることがわかりました。「なるほどなるほど、この本を読んだ最近の若者が『解像度を上げる』と言い出したのであるかぁ」と納得したのでありました。



 で、その本を読んでみようと思いまして、図書館で予約をしてから幾星霜・・・借りられるまで約4ヶ月もかかりました。僕は知らなかったのですが、とっても人気がある本なのですね・・・。



 ということでございまして、若者向けの自己啓発本のようなのですが、初老の僕も読み始めました・・・で、その本の中から引用させていただきますが・・・。

 仕事をする中で、こんな経験をしたことはないでしょうか。
 議論の見通しが悪いときや、言説の内容が曖昧なとき、論点がはっきりしないとき、物事を十分理解できていないと感じたとき・・・。カメラのピントがあっていなかったり、視力の悪い人が眼鏡なしで、あたりを見ようとして、世界がぼやけて見えたりするような感覚とも、表現できるでしょうか。
 しばしばこうした思考の状態のことを「解像度が低い」と言います。逆に、明晰な思考ができている状態のことを「解像度が高い」と表現します。

 これだ、これだ、最近の若者が言っている「解像度が高い」っていう言葉の意味は! ・・・で、これはおそらく「解像度」という言葉を比喩として、用いていると思うので、日常生活では問題はないと思うのですけれど、印刷生活では少々問題があるので、印刷系チラシデザイナーから、厳密に言わせてもらいますが・・・違うんですよ!

 えーと、何が違うかと言いますと「カメラのピントがあっていない写真」と「解像度が低い写真」は別物なのでした。なので、「ピントがあっていない写真」だけれど「解像度が高い写真」があったり、それから「解像度が低い」けれども「ピントがあっている写真」があったりするのですよね・・・さらに引用させていただきますと・・・。

 解像度の低い「最後の晩餐」の画像と、解像度が高い画像を比べてみましょう。

 とありまして、本にはレオナルド・ダ・ヴィンチが描いた「最後の晩餐」の絵が2枚掲載されています。右の画像がボケている、ぼんやりした写真。左の画像はピントがあっている、はっきりしている写真。それに対して説明があって・・・。

 右の画像はぼんやりしとしか見えず何が描かれているかわかりませんが、左の画像であればキリストたちが描かれていることが分かります。はっきり見えている方が高い解像度です。

 ・・・という説明があるのですが・・・また同じことを書きますが、「ぼんやり見えている」からって「解像度が低い」とは言えないのでした・・・なので、「はっきり見えている」と「解像度が高い」も関係がないのです。えーと、例えばですが・・・。


ぼんやりしている写真
はっきり見えている写真

 上の2点の写真は、昨晩に残ったお鍋の具を、そばにのっけて食べた僕の昼ご飯です。「最後の晩餐」に比べて「貧素な昼飯」の写真で申し訳ないです・・。

 で、上の画像は、ぼんやりしています。下の画像はピントがあっています。けれども、どちらも解像度は4608×3456ピクセルで撮影してあります。・・・noteはアップされた画像を自動で縮小してくれるようなので、現状アップされている画像をダウンロードすると違う数値になっていると思いますが・・・解像度が4608×3456ピクセルの写真をアップしました。

 では、なぜ同じ解像度なのに、上の画像がボケているのか? それは・・・

 僕の撮影がヘタだからです!

 ・・・ははははは・・・とほほのほ・・・。

 ・・・えーと、言い訳させてください・・・これって、2mぐらい離れてズームで撮っているのです。最近の僕が、その撮影方法に、はまっていまして・・・個人的に「黒澤明的撮影方」と呼んでおるのですが・・・。


 2mぐらい離れてズームで撮るのだったら、三脚を使えばいいのですが、三脚をセッティングするのが面倒くさくって手持ちで撮っているのでした。そうしますと、どうしても、ぶれるんですよ・・・ぶれぶれ写真のボケボケになる・・・って、あ、撮影方法の話は置いておきまして・・・。

 ということでございまして、「ぼんやり見えているから解像度が低い」というわけではないんですよね・・・。なので、この僕の昼飯の、ぼんやりしている写真は「ぼんやり見えているけど解像度が高い、撮影がヘタな写真」です・・・って、「撮影がヘタ」って失礼な! ・・・って。まぁ、ヘタなんですけど・・・とほほ。・・・あ、では、今度は、こうしてみましょう。ピントが合っている方の解像度を下げてみると、どうなるのか?

解像度を500×375ピクセルに下げました


 ピントがあっている画像の解像度を500×375ピクセルまで下げました。解像度を下げたけれども、ピントはあっていますよね・・・ん? けど、画像の天地左右がが小さくなりましたね。これはnoteの設定の影響だと思われます。・・・今度、noteがどういうルールで画像を縮小しているのか調べてみよう・・・で、さらに、この画像をちょっと補正してみます!


解像度を400×300ピクセルに下げました

 補正して明るくしてみました。ついでに、さらに解像度を400×300ピクセルまで下げました。解像度をどんどん下げていますが、画像はどんどん明晰になってきています。・・・けど、画像の天地左右もどんどん小さくなっちゃったなぁ・・・スマホだと普通サイズで見えてるのかしらん? (注)としましては、僕はデスクトップのパソコンの、でっかい画面でこの記事を書いております・・・。ではこの400×300ピクセルに下げた画像を、今度は600×450ピクセルまで拡大してみます。


解像度を600×450ピクセルに上げました


 ついでに湯気を足して、さらに明るくしてみました。・・・なんだか荒い画像になっちゃってきましたが、最初のボケ画像よりは解像度が低いですが、ピントがあって、はっきりしていますよね。ということで、もう一度、一番最初のボケ画像を見てみますと・・・。


解像度が高くても、ぼんやりしている写真


 ということで、解像度が高くても、ボケている画像はボケているのでした。・・・ついでに、今度は逆に、このボケている画像の解像度を上げてみましょう。「強化」という方法で、なんと9216×6912ピクセルまでの高解像度にしてみましたのが、こちら!


強化!


 超高解像度にしてみましたが・・・ボケている画像は高解像度にしてもボケているのでございました・・・。ちなみに、この「強化」って方法、僕もまだ、なんだかよくわかってないのですよね・・・今後の研究材料でございます。ちまたでは「スーパー解像度」などと言われているようですが・・・。


 最後に、さらに「解像度を上げる」から引用させていただきます。

 もともと別の意味を持つ言葉が転用されるということは、「何かを伝えたい、けれど、既存の言葉ではうまく言い表せない」という、もどかしさがあり、何とかそのニュアンスを表現しようとしているからではないかと思います。そうであれば、解像度という言葉で表現したいことの内実を探り、整理することで、より有用な概念となるはずです。

 ということですので、作者の方は「解像度を上げても、ボケた写真はボケたまま」ってことは知っているような気も致します。なのですが「解像度」という言葉が若者にキャッチーな表現なので、使用しているのかなぁ・・・。

 ・・・ですがですが、狭量で度量の浅い印刷系チラシデザイナーの僕から若者たちに言いたいことは・・・若者たちよ、解像度を上げても写真は明晰にはならないぜ! 解像度を上げるよりも、オイラといっしょに撮影の勉強しようぜ! まずは物撮りやろうぜ!!

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