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令和5年6月21日水曜日(旧暦皐月四日 夏至) 三日ぶりに活動 大きなデトックス? 田んぼの泥の感触・土とともに生きること 二人で生きること・・

5時30分起床。
山椒の実から種を外す。
いろいろ動くと夫を起こしそうで、静かにやれることをしようと。
その後起きて築地(ついじ)の水の見廻りに行って帰宅した夫に朝食を用意。
一人分だけ。

わたしは今日も食欲がない。
18日と19日、ほぼ丸二日間寝ていた。
食事もほとんど食べず。
昨日も食欲が湧かなかったので、三日間で口にしたのは食パン一枚、豆乳丸パン一個、ゆずきち酵素ジュース、スコーン一個、ご飯半膳におかずをほんの少し。
朝ご飯を食べないでいたら、それに対して夫がまた切れる。
何か言って欲しいみたいなこと、だったかな。
なんというか、不満とかではなくて、現状に対して何か話し合っても平行線。
わたしがどうしたいか、それがハッキリとした形にならないと納得しないのでは?と思ってしまって。
わたしの道は?
これからどうしたいのかが全く分からなくなった。
無というか、空虚。
それは、わたし自身が閉じていたから、二人で暮らしているのに一人でなんとかしようと思っていたからだと思う。
自分自身のことを愛し理解するのはもちろん大事。
だけれども、今こうして目の前にいて、一緒に暮らし新しい生き方を二人で創造しようとしていることを忘れていた。
一人で出来ることならそうしたらいい。
でもわたしは、家族を持ちそのみんなでやる方を選んだ。
そうしたかった。
わたしが家族とできなかったことを。
そこがスポーンと抜け落ちていたんだな。

これからの壁塗りのために、奥の部屋の片付けを少し。
雨がやんだら田の草取りをしたいけど、風も強くて横殴りの雨、というか霧雨。
お昼もいただいたビワと杏、ブラックベリー。
それと自分で摘んだヨモギのお茶が、お腹に沁みる。
珈琲豆をミルで挽いていたときなんか目がショボショボしたけど、あきらかに食べるものが変化しているような。

ずっとマリネしていた猪のバラ肉を燻製してベーコンに。
薄い肉だけど良い具合に仕上がった。

14時30分頃、雨が上がったので田に入る。
かなりウリカワ、オモダカが茂ってきた。
稲の栄養を取るので取った方が良いとのこと。
確かにそうなんだろうな、と思うけど、やりながらみんな草を邪魔者扱いし過ぎじゃない?とも思う。
夫は、わたしがこんなだと(休み過ぎ)、来年は除草剤をまく、と言っている。
そうはしたくない。
無農薬にこだわっているつもりはないんだけれども、夫に言わせればこの除草の時間を他のことに使った方が有効だし、除草剤の影響もそんなに大きくはないから、使った方が良いという考え。
わたしは、なんというか余計なことをせず、自分の手と足と体を使ってやることが当たり前だと感じていて・・。
昨年の田植えの時もわたしが何日か寝込んで中途半端になったので、夫にしたら責任感もなく口だけでそんなことを言っても説得力がないだろう。
ただ、今はわたし自身が大きな変化の真っ最中で、いろんなことに戸惑っているのも影響していると思う。
ここにくるまで福岡で5年と7ヶ月、一人でワインと手料理のお店を切り盛りしてきて、それ以前も札幌の前夫の中国料理のお店を手伝ったりとずっと飲食の仕事。
生活も街の中。
一人暮らしで自営という、全てが良くも悪くも自分次第で好きなように出来る日々。
それをまたしたいとは思わないけれども、体がここの生活、農と土と共に生きる暮らしに沿うのに戸惑っている、少しそれに飛び込むのに躊躇していると感じる。
やはり変化するのは怖い。
それが大きなものほど、そうなのだろう。
ハンターの夫の、突然の生き物への対応などで予定が読めない生活、そして博愛主義者の夫の考えやわたしを蔑ろにしていると感じてしまうことなど、結婚して2年、いろんなことが積もっているのだろう。

草を取って田の中を歩くのは楽しい。
泥の感触も柔らかくて、仄かに温かい。
カエルたちがわたしが寄ると右往左往。
小指の爪より小さなカエルたちも元気に泳いでいる。
可愛い。
17時頃、雨も強くなり出したので仕舞いにする。
背中が結構濡れた。
田靴を水路で洗う。
つま先の小石がなかなか流れない。

軽く着替えて夕食の準備。
今日は出来立てのベーコンを食べようと思う。
ほぼ三日ぶりのご飯。
お腹は大丈夫かな?

帰宅した夫と日本茶、チョコマフィン、ハチミツウイスキーケーキでお茶。
ポテトサラダなどいろいろやり出してしまう。
早めにお風呂沸かして入ろうと思ったのに。

20時過ぎに猟友会の総会から夫帰宅。
お風呂に入り夕食。
猪ベーコンと赤玉ねぎ杏のソテー、ポテトサラダにキャベツとブロッコリーのナムル風、ご飯に大根とお揚げのお味噌汁。
久しぶりのご飯は噛み締めると甘くて美味しかった。
オカズは少しずつ。
でもお腹は満足。

パンの販売方法について、身近な人を大事にした方がいい、と夫に言われ、わたしは充分そうしているんだけど、と言い合いのように。
これに関しては、今はちょっと休んでいたい。
作ってやるのはわたししかいないけど、もっとわたしも相手も楽しめるやり方、環境などを整えたい。
ここはじっくりとかまえてやりたい。
安易に人の期待に応える必要もない、と、誤解を恐れずに言うと思っている。
身近な人というのも、距離ではなく心と感性の通じ合いじゃないかな、と。
もちろん、食べたいと言ってくれている俵山の人達には何かしらやり方を変えて届けたい。
けれども、前のやり方を続けていては、わたしが疲弊してしまう。
そこに縛れて、やりたい事が分からなくなってしまう。
それは嫌だ。
澄んだものを作りたい。
澄んだやり方で。
人の行為に左右されず、でも人の想いを感じながら。

矛盾するようで表裏一体のことばかりのこの世界。
陰と陽、どちらもあってどちらも大事。
上下や優劣もない。
ただ、ある。

23時過ぎに寝室へ。
少し動けて良かった。
いろんなことが不具合を起こしているけれども、それさえも楽しめるようになれたらなあ。

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