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続・愛とは何か

昨日、続・愛とは何かを書き上げた後、夜になって衝動的に蛇足を書き上げ本編とすり替えたのですが、一応正当の続編も上げておくことにします。


前回、愛について書かせて頂き、沢山の方に読んでいただきまして誠にありがとうございました。調子に乗って同じテーマを続投させていただきます。

さて、前回、人間とはデフォルトとして愛を欲し、愛そうとする生物だと書きました。それは生物のアルゴリズムとして組み込まれた、本能的なシステムです。
つまり、人を愛している状態というのが人間にとって至極自然な状態、最も自分らしいと言える状態といえるでしょう。ニュートラルなのです。
悲しみに暮れてもう長いこと人を愛したことがない?
それはお辛いでしょう。どうか立ち上がる勇気になりますように。

あなたは誰かに愛していると伝えたことはありますか?
その時、どんな気持ちになったでしょうか?
もしそれがドロドロとして苦しかったり、悲しかったりするならばそれは歪んでいるのです。
気分が晴れやかになり、澄んでいるならばそれは間違いなく愛であり、あなたの心は健康で自分らしくあると言ってよいでしょう。

一人の人をほんとうに愛するとは、すべての人を愛することであり、世界を愛し、生命を愛することである。

フロム「愛するということ」

愛とは本来、自己完結するものなのです。
愛とは、自分らしくあることで他者を受け入れる余裕が自分にあるということです。
それは、目の前にある対象がどんなものであれ、まずは良いところに目が向くということです。
ひとりの人を本当に心から愛すことによって、あなたはその愛する人が地球上で生きているというその事実だけで満たされて、自分の中に愛を溢れさせることが出来ます。
溢れた愛をあなたの目に映る全ての物に分け与えることが出来ます。
自分の中から泉のように愛が溢れてくるので、分け与えても分け与えても枯れることも疲れることもありません。
それが誰かを心から愛しているということなのです。

もしあなたが狂おしい気持ちで愛していると言って、枯れた心と飢えた瞳で相手を見つめるならば、それは本当の愛ではありません。
あなたが誰かを束縛するとき、束縛されているのはあなたの心です。
愛とは奪えるものではありません。
ましてや他人が作ったものでは一時的には快感を得ても必ず霧散します。
あなたがあなたの心を他の人が作ったもので満たそうとする限り、あなたの心は穴の開いたバケツのように永遠に全ての物を零してしまうでしょう。

どうやったら人を愛せるのでしょうか。
まずは自分を解放して愛してやらねばなりません。
人を心から愛せるという状態は、もっとも生物として鎧を着込んでいない、身軽で自分らしい状態といえます。
生きていくうえで沢山のルールや束縛にガチガチに固定されて身動きの取れない魂をひとつひとつ解き放っていくしか方法はありません。

自分にとって一番大切なものはなんですか?
我慢しすぎていませんか?
やりたくないことをやる我慢。やりたいことをやらない我慢。
そういったものから自分を解放してやらないと本当の意味で人を愛すことは出来ません。
固定観念で我慢し続けて、嘘っぽい愛で心を満たすのをやめてみましょう。
自分自身である自分が好き、それが愛の出発点だからです。
そこから生まれる相手の反応などおまけでしかないのです。
本当ならばあなたはあなた自身の愛だけでも満ち溢れるように輝いて世界を照らす灯りになれるから。

やりたくないけどやる、といっても自分で納得してやるのと、誰かに言われたからという理由だけで我慢してやるのとでは違うのです。
自分はどうしたいのか。
自分らしく生きるにはどうしたらいいのか。
それを縛っているのは何か。ぶち破ってください。
世界に愛を届けてやりましょう。

今日のBGMは優里さんの「うぉ」でした。
お読みいただいてありがとうございました。


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