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昨日を愛おしむということ

自分がいる場所が夢なのか現実なのか分からなくなることが多い。朝起きた時、授業中、街灯の少ない帰り道、それはふと、私の意識なんてものが初めから自分の中に無いかのようにスッとやってくる。寝ている時に見る夢に近い時もあれば、全く違う世界で違う人間として生きているかのような気分になる時もある。

多くの大学生が成したいと思っているであろう「自己成長」。何かを成すためにはそれを成そうと思った段階での起点が必要になる。あの時と比べて、とか。そういうやつだ。成長もダイエットみたいに数値化してくれればいいのになとしばしば思う。

ふわふわした気分の時も、明確な成長目標がある時も、今の自分の居場所を確かめたい時に人は過去を見る。あの時の自分と、今までやってきたことと、過去に成したことを、丁寧に並べて今の自分と比較する。大きくズレていないだろうか。大きく伸びているだろうか。私は今、本当にここに在るのだろうか。
今を生きるとはいうものの、記憶の中にある昨日までの自分というものは、いつも何時も私に働きかけてくるのである。良い時もあれば、悪い時もある。


ここまでのこと

そんな過去の1ピースとして存在するここまで生きてきた毎日は、なんとなくひとかたまりな気がしてしまう。それは、幼稚園の時、小学校の時みたいな、場所ごとの括りだったり、旅行に行った時、イベントの準備をしている時といった期間ごとの括りだったりする。その区間の終わりに自分が抱いた感情が、いつも自分の過去の記憶として残っている。年を重ねれば重ねるほど、そのひとつひとつの出来事がファイリングされすぎてしまって、自分の中の「思い出」の中身が私の頭の中からこぼれ落ちてしまう。

楽しい記憶が残りやすい人もいれば、苦しかった、つらかった記憶が残りやすい人もいて、ある過去を生きていた自分がその時あらゆる感情の中で激動していたとしても、最終的になんらかの記憶でその過去を括ってしまうことが怖い。

毎分毎秒全ての記憶や思い出を残そうとは思わないけれど、せめて24時間、その記憶にたどり着いた前の日、どこかとある1日の昨日を愛おしく抱いていたいと思う。思い出というと、なんだか良いことをまとめたアルバムのようなイメージがある。それでもあえてつらかったこと、忘れてしまいたいあの日のことも思い出という言葉に括って綴りたい。がむしゃらに頑張ったけど思いが届かなかったあの日のことも、思い出したくもないくらい傷付いたあの日のことも、そんな「あの日」に消されてしまっている「あの日の昨日」のことも。


経験に思い上がる恥ずかしさ

悲しみや傷を負った人の方が強いとは、私は思わない。よく、人があまり経験していないことを知っている/しているからといって、天下を取ったかのように「経験卍人脈卍自由卍」みたいなことを叫んでいる人を見かけるが、共感性羞恥心がエナジードリンクを注入されたかのごとく作用してしまう。

確かに、あらゆる経験はその過程を経ないと得られない何かを与えてくれるかもしれない。でもそこで得たものが本当に万人に共通するものなのだろうか。恋人と別れて自殺を考える人もいれば、けろっとして数日後には新しい恋人を作る人もいる。友達と上手くいかなくて外に出られなくなる人もいれば、スパッと割り切って新しいコミュニティを開拓する人もいる。必ずしも汎用性が高い出来事とは言えないものをマイノリティーであることに驕って、正しいと、周りの人間はくだらないと見下して、「Going my way」理論を振りかざしてひたすらに突き進むことが仮に強さなのだとしたら、そんなもの持たない方がマシである。


自分という人間が生ききった昨日

私は生きたくない。でも別に死にたいわけでもない。生きる死ぬを選択するより先に毎日がやってくるからただ時間を過ごしている。死ぬのはあっけないくせに簡単だ。せっかく生きてしまっているのなら、嫌なものよりは良いものになった方がいいだなんていうそんなちっちゃいこだわりが、私を駆り立てる。人並みに頑張っていなければ、勝手に批判されるし勝手に傷つく。ほんとうのほんとうに1人でいることが平気になってしまいたい。でも私はその世界を寂しいと思ってしまうから、今日も生きたくもないのに無理をしてしまうのだ。

昨日は、そんな私が生ききった節目。よく自分の味方は自分だけだなんて悲しいことが叫ばれるけれど、自分の味方はちゃんとたくさんいるような気がしている。でもそれでも私は私しかいないから、私が昨日なんとなく大切にしていたものやなんとなく生きた頑張りを私が繋いであげるのだ。

昨日の私が1人ぽっちにならないように。

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