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チームワークとは言いません(2)

今日は、移動が多い日で、仕事をする時間はほとんどないことが分かっていたので、共同研究の申請書などについて僕の担当部分だけ加筆してお返しすることだけはやろうと決めていました。にもかかわらず、昨晩遅くて眠かったので、1度目の移動の際は寝てしまいました。2度目の移動の際に集中して概ね書き込み、移動から次の用事までの間に、喫茶店で終わらせて送信しました。

終わってみると、まったくもって大した量は書いていないのにだいぶ時間をかけてしまいました。こういうものを、サッと書けるようになりたいですね。

長い文章も時間がかかるし、中身は濃いものの字数に制限があるものなどは、簡潔かつ具体的に書かなければならないので、内容のアイデアも必要な上に字数をコンパクトにしなければならず、かなり時間がかかります。研究費の申請書などですね。論文も、間違えがないように書かないといけないので、その点で時間がかかります。とはいえ、大学のHPとかシラバスとか、ちょっとした文章でも時間がかかってしまうなぁと、最近感じます。事実関係に間違えがないか、とか、漏れなく内容を記載しているか、とか、専門的になりすぎてないか、リンクを入れる、関係者の原稿チェックなどがあるので、時間がかかるのですが、正味1hで終わらせたいものです。要するに、僕の能力の低さの問題かな...

一昨日の日記でも書きましたが、このように、書くということは現代ではいつでも必要なのだから、それを的確に早くできると、アドバンテージになると思います。

ゼミでの議論、学生の研究テーマ、ラボの日常

昨日の日記で書きそびれたことです。

僕自身がゼミに参加したことがあるラボというのは、数えてみると5つだと思います。「1度だけ参加した」とかではなく、期間が長いにせよ短いにせよ在籍していたり、共同研究で外研的に通っていたりなど、定期的に参加していたラボの数です。それらラボはどこも生物系。今自分がいる部署は人文学科の心理学コースです。心理学は、海外ではサイエンスに類していて、日本で心理学が文系と認識されているのとは、ちょっとニュアンスが違う印象。Department of Psycology and Neuroscience みたいなところも結構ある筈。

生物系は、筆頭著者が主だった実験をして論文を書くものの、プロジェクトとしてはラボ単位で動くことが多いというのが通例なのに対し、人文系は学生のうちから個として扱われる。具体的には、生物系だと研究テーマは学生本人の興味関心を聞いた上で、最終的にはボスが与える。人文系は、学生だとしても自分で問立てから始める。形式としての違いとして現れるのは、投稿論文の筆者で、生物系では連名、人文系ではこの時代でも単著が多い印象です。学位論文は、学生本人の単著なのは分野問わず変わりませんが、おそらく理系はどの分野も、提出前にボスのチェックを受けます。ところが人文系だと、全部本人が書いて、書類上の指導教員も、提出されて初めて学位論文に目を通すと思われます。日本の心理学分野では、なんとなく、この中間のやり方で進んでいそう。

何が言いたいかというと、卒論くらいであっても、研究テーマの選定は非常に難しい、ということ。いまの僕の場合、人文系の部署にいるので、学生たちはみんな自分でテーマを決めます。指導教員と相談したとしても。とはいえ、僕のラボは現実、生物系の手法を使うので、全部自分でテーマを決めて実験をするのは、ほぼ不可能です。お金がかかるという現実、お金はほとんど外部資金で回しているので、僕の研究テーマから大きく外れたことはできない。これは、使徒の問題と、機材が僕の研究テーマに沿って揃えられているからです。正直「これをやりなさい」と言ってしまった方が、データが出るのも早いし、論文になる確実性も上がるでしょう。でも、周りはみんな自分でテーマを考えているので、自分たちだけそれができないというのは、モチベーションがあがらないことは確実です。僕も、やらされ仕事はやる気が起きません。もう、絶対にやらないですし。

そう、個人的に、個人主義なのです。

なので、早い段階から、テーマ決めと研究のスケージュリングの大枠を決めました。3年生から所属がはじまるので、卒論研究の期間は2年間。目標は、最初の半年でテーマを概ね絞ること。その半年のゼミでは、4年生の研究報告と文献紹介を聞きながら、研究の雰囲気に慣れつつ、自分でも1回文献紹介を担当。文献紹介と研究報告以外で設けているゼミの課題は、研究テーマ決めと運営のミーティングです。とにかく、ゼミという場を、ただ課題をやらせて発表する場ではなくて、プロジェクトミーティングにしたかった。ゼミの他にも研究相談のための時間を取るのは、特に3年生のうちは他の授業との兼ね合いで大変でもあるので、ゼミという場が、何かを解決して次のステップを明確にする場にしたいわけです。

3年生には、先日のゼミとその前のゼミで、前期の終わりまでの間で大枠を決めた卒論テーマに対し、研究計画を発表してもらいました。それぞれ、興味関心を聞きつつ、僕の部屋でできる方向性にすり合わせを行います。この話し合いの作業に、足掛け数ヶ月かかりますね。

先日のゼミでは、計画が実験手順までだいぶ明確なメンバと、概念的にはやりたいことがはっきりしているけど実験手続きが明確になっていないメンバが半々でしょうか。実験系の研究は、とにかくデータが出ると面白くなるし、その過程で研究というものがわかってくるし、自分の課題が明確になって、文献探しなどもしやすくなるので、とにかくはやく研究をはじめられるような状況に僕が持っていくのが肝要だと思っています。結果として、当初の仮説が外れてその後僕の指示で実験の方向性を転換するとしても、最初から僕がテーマを与えたのと自分でテーマを考えたのとでは、モチベーションに雲泥の差が出る気がします。時間はかかりますが、必要なプロセスですね。それに、僕の手持ちのアイデアだけでは、僕自身の幅が広がらないので、僕自身の研究を広げていくためにも、結構良いやり方かなと思っています。

何にしても、思考の面でも行動の面でも、個として動いて欲しいという思いがあります。僕が手足として学生を使う方が、効率がいいこともあるのかもしれないけど、僕自身の心情的にもできないし、メンバも望まないと推測しています。チームワークというと聞こえはいいのだけど、ラボという共同生命体の歯車になってしまっても困るし、そんな生命体はそもそも存在しないのです。それぞれのキャリアがあるし、将来の目標も違います。みんで一緒にやったから助かった、とか、自分がピンチの時に助けられた、みたいな、セーフティネット、もしくは共有リソースとしてのラボ、というカタチが、良いのかなぁと。個のモチベーションにとっても。

ラボメンが自分でテーマの方向性を決めつつ、最終的には、何人かのメンバのデータをコンバインしたり、僕自身がデータを足したりして、メンバーみんなのデータを編集的に構成して、英文原著論文として投稿していけるサイクルを作りたいなと思う次第。まだまだ、そのサイクルが走り始めたとは言えない段階で、僕自身が頑張らないといけません。とはいえ、すでに芽が出ている実感もあります。英文論文にするのは僕自身の時間を割かないといけませんが、他大学の院に進んで研究を志す予定のラボメンは英語で卒論を書くことにしてみました。そうすれば、すぐ投稿もできます。

インフラ整備も大事

もう一つ、実験室など、ラボが使いやすくていやすい場所となることも大事だなと。だいぶ整備できてきましたが、実は、日常的に時間がかかる点の一つがこのような整備です。昨年やっと飼育設備の目処がついて本格的に動き出したところで、ケミカルな実験系の整備がまだまだです。モノが揃っていないというばかりではなく、溶液の扱い方や廃棄の仕方、安全面の配慮含めて、メンバに分かりやすい説明書やマニュアルなどの整備がまだできていません。この秋には、概ね整えたい。最近、ソフトウェア系はだいぶ揃えて、ネカフェと呼ばれるスペースもできました...

長くなってきたので、その辺の話はまたいつか。

今日も結局遅くなってしまいました。明日は、研究や仕事の進捗な何もない予定。

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