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日本に貨幣が誕生した「きっかけ」とは?

前回からスタートした「マネー・貨幣をゼロから学ぶnoteマガジン」。私自身が「お金や経済の本質を理解したい!」と思ったことから、勉強したことを図解して公開していく主旨で刊行しました。

そんな中、早速前回の記事の購入者が!!

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これは嬉しい。お買い上げくださった方への感謝を胸に、今日も記事を書いてまいりたいと思います。

本日のテーマは、「日本に貨幣が誕生したきっかけとは?」です。今回も飯田泰之さん著「日本史に学ぶマネーの論理」(発行元:PHP研究所)を読んで勉強したことを図解していきます。

きっかけは「白村江の戦い」

はい、いきなり答えを言ってしまいました。白村江の戦いです。日本史で出てきましたよね、皆さん覚えていますか?

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例によって私は「えーっと、どんな戦いでしたっけ…」という感じでした。ご安心ください。そんな方でも理解できるように解説していきます。

まず、白村江の戦いは663年に起こっています。当時まだ「日本」は存在せず、豪族が各地を治める「倭国」でした。朝鮮半島では、高句麗・新羅・百済の三国に分かれており、倭国は百済と伝統的に友好国だったようです。中国王朝は唐の時代です。

白村江の戦いは、「唐・新羅連合軍」vs「倭国・百済連合軍」の間で起こった戦争でした。

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この白村江の戦い、倭国・百済連合軍には作戦らしい作戦がなかったそうです。「倭国と百済が我先にと攻めれば敵は勝手に逃げるっしょ!いえーい!」的なノリでした。当時、倭国は豪族の寄せ集めだったこともあり、指揮命令系統を持って戦うことができなかったと思われます。

一方の唐軍は十分な訓練を受け、整備された命令系統を持つ軍。さらに相互の連携が重要になる水軍での戦いだったこともあり、倭国・百済連合軍はボロ負けしました。倭国は人口の約1%にあたる大損害を出したそうです。

そのような反省から、豪族の寄せ集めではない、中央集権の強い国を作るしかないと政府は決意します。

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この中央集権型の国づくりの過程で、国号として「日本」が定められたのです。日本誕生の瞬間ですね。

中央集権国家を作るためには何が必要?

しかし名乗るだけならば簡単です。名実ともに中央集権の国を作るために、政府は何を必要としたでしょうか?

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