見出し画像

「死にたい」について

死にたい

じゃあ死ねば、と言う人もいるけど、「死にたい」という人が本当に望んでいるのは死ぬことそのものではない。

欲求には「積極的欲求」と「消極的欲求」がある。
積極的欲求:「〜したい」「より良い物を得たい」「より良い状態になりたい」
消極的欲求:「〜したくない」「悪いものを手放したい」「悪い状態を脱したい」

「死にたい」は消極的欲求である。

①「死にたい」の発生源

精神的に追い詰められた人は急に死にたくなるわけじゃない。「死にたい」に辿り着くまでには沢山の思考と感情を経験する長い道のりがある。
いじめ、ハラスメント、虐待、病気。
ご飯が美味しくない、テレビがうるさい、本が読めない、身体が痛い、眠れない、何もしてないのにずっと悲しい。

例えば、私の場合。
中三の時、とある少しのきっかけで不登校になった。イジメなどではなく、私自身の自己顕示欲に実力が追いつかず、怠慢も重なってどうにもならなくなった結果、心を病んだ。今思えば私はあの頃から鬱病である。
心を病んだ結果、不登校の原因である自身の問題を自力で解決出来なくなった。学校に行って、何も頑張り過ぎずに淡々と授業を受けていれば解決した問題だったが、それが出来なくなった。そもそも学校に行けなくなったし、常に悲しくて不安で恐ろしい気持ちを抱えているようになった。そして、とてつもなく死にたくなった。
もう自分はどうしようもない、学校にも行けない、怖くて電話も出来ない、親は学校に行けという、でも行けなくて嘘をついてしまう、怒られる、殴られる、どうしようもない。だって学校行けないんだよ。どうしようもない、死にたい。

精神的に追い詰められた人は、問題を解消する方法などこの世には存在しないのではないか、と考えてしまう脳の回路になってしまっている。特に鬱病などの精神疾患は、思考がポジティブな方を向かなくなってしまう病気である。
また、頑張って辛い状況を変えようとしたのに結果に繋がらなかった、という、ある種の裏切りを何度も経験して、状況を良くすることを諦めてしまうこともある。

本当は、カウンセリングを受けたり、休養したり、ストレスの元から離れたり、病院に通ったりすれば良くなるかもしれないのに。死にたくならずに済むかもしれないのに。

「死にたい」の発生源は「この状況から抜け出したい」
そして、その状況から抜け出すには死ぬしかない。
本当に「死」という行為を望んでいるわけじゃない。数多ある選択肢の中から「死」が最適だと選んでいるわけじゃない。

「死」以外の選択肢がないのだ。

これは持論だが、「死」は最高の幸せではない。動物は生まれてきた時から、死に近い状況を怖いと感じる。つまり、死ぬことは良くないことであるとDNAに刻まれているのだ。

②「死にたい」という人へ。

「死にたい」という人が真に求めているのは、死ではなくより良い状況である。

もし目の前に「死にたい」という人がいたら、絶対に「死にたいという願いを後押ししてやった方がもう楽なのではないか」などとは考えないで欲しい。
もしその人が死を選んだら、死の瞬間には大きな恐怖を味わう。
「死にたい」の後押しをする人は、その恐怖の責任をとれますか?
その人の問題が解決した後の未来にあったかもしれない幸せを失った責任を、とれますか?
何度も死のうとしている人は、何度も何度もその大きな恐怖と対面しているんだよ。何度も何度も未来を捨てようとして、それでも踏みとどまってくれた人と、踏み出してしまった人がいるんだよ。
もうそんな苦しい選択、させないでよ。

……取り乱しました。失礼致しました。
とにかく、「死にたい」人が望んでいるのは「死の後押し」などではなく、「現状の解決」である。

これから、「死にたい」という人へ、私がこれをするといいよ、と思っているものを3つ話す。

①まずは、カウンセリングを受けてみて欲しい。カウンセリングの力はすごい。悩みや現状を話しながら確実に肯定され、時にはその悩みを解決する手助けまでしてくれる。「絶対に相手を否定しない会話のプロ」の力を侮ってはいけない。家族や友達や先生に話すのとは全く違う。プロのカウンセラーに話すことが何より重要である。
学校や職場のカウンセリングでもいいし(細かいデータや事情などをわざわざこちらから提示しなくていいのは施設付属のカウンセリングの大きなメリット)、最近は電話やチャットによる無料カウンセリングも行われている。死にたい本人に合ったカウンセリングを選んで欲しい。

②次に、ストレスから離れ、休養をとること。  離れ方はなんでもいい。教室のいじめがしんどかったら保健室にいるのでもいいし、SNSで心が削れている感覚があるならTwitterをアンインストールするのでもいい。
休養も、1週間有給を取るだけでもいいし、半年休学するのでもいい。
とにかくストレスの元となるものから離れて、エネルギーをしっかり回復させて欲しいのだ。(死にたくなるほどしんどい人には、少し長めの休養をオススメしておく。くれぐれも無理をしてはいけない。)

休養中は何もせずじっと家にいなければならない、と思っている人もいるかもしれないが、そんなことは全くない。休養の目的は「エネルギーの回復」。心身のエネルギーが回復されるなら、ゲームをしたり友達と会ったり旅行に行ったり、何もしてもいい。

エネルギーとは、未来を待つためのものである。死にたい人は、心が擦り切れているから時間が解決してくれるのを待っていられない。だから、休むことで擦り切れた心を分厚くして、時間が解決してくれるのに耐えられるようにするのだ。

③最後に。それでもどうにもならなくなったら、病院に行く。
内科でも心療内科でも精神科でもなんでもいい。とにかく今の心身のしんどさを、お薬の力で解決しようということである(環境が変わる訳では無いので注意)。

心の病って、世間からすごく偏見を持たれている。暴力的だとか、犯罪者になりやすいとか、全員幻聴や幻覚に苦しんでるとか。そんなことない。現に私も鬱病の治療中だが、精神科の待合にいるのは大体普通の人達である。あと私も普通の人だ!!!どん!!!会うだけだと私が鬱病ってわかんないと思うよ。あと人殺しちゃダメだよ。精神病だからといって確実にその辺の判断が鈍る訳では無い。

精神科のお薬も、偏見がすごい。依存性があるとか、飲むから治らないとか。そんなことないよー!そもそも、精神科のお薬は「治すため」のお薬じゃない。菌をやっつけるとかじゃないからね。効果はどちらかと言うと解熱剤に近いと思う。
まず、精神疾患は脳内の物質のバランスが悪くなることで精神的に不安定になっているから、薬の力でぐいっとバランスを整えて心を元気にする。そして薬の力で元気になったおかげで自力で回復するためのエネルギーを貯めやすくなる。そしてそして時間が経って、自力でのエネルギー補給と回復が上手くいって、脳内物質のバランスが薬無しでも整うようになったら、薬を辞められる。このタイミングは精神科医がしっかり判断してくれる。
長く飲まなきゃならないし、急に飲むのを辞めると脳内物質のバランスが大きく崩れてしんどくなるから依存性があるように見える。飲むから治らないとか、飲むと人格が狂うとかも間違った偏見。薬を飲んで療養して、しっかり寛解した人が何人もいますよ。

大丈夫。病院や薬は怖いものじゃない。しんどい時は、何科でもいいからしっかり頼ろう。

③「1人で死ね」について

最後に。「1人で死ね」について。「周りを殺して自分も死ぬ」タイプの犯罪者に対して「1人で死ね」と言う人がよくTwitterにいる。
きっと本意は「他人を巻き込むな」だと思う。それには心から同意する。本当にその通りだと思う。自分の感情や人生に他人の命を巻き込むな。
しかしながら、「1人で死ね」はあまりにも言葉が悪すぎる。そもそも死にたがっていた人間に対して「死ね」と言わないでくれ。そして「1人」にしないでくれ。
もしかしたら、カウンセリングとか、薬とか、地域のサポートとか、仕事とか、そういう周りの環境が少しでも違っていれば、彼らは死にたくならなかったかもしれないし、誰も傷つけなくて良かったかもしれない。

「死にたい」は1人で死んで解決出来る問題ではない。

どうか、助けてください。
協力してください。
お願いします。


少しでも価値があると思ったら、サポートしていただけると嬉しいです