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映画『新聞記者』を観て

昨晩、レイトショーで『新聞記者』を観て、自分の中の何かが揺さぶられたのだろう。就寝前と起床後に、その感想をフェイスブックに連投した。こちらにも転写する。(一部ネタバレあり)

【 就寝前の感想 】

 「新聞記者」を観てきた。最近の時事(加計問題や詩織さんのこと等)からヒントを得た原作を役者陣が丁寧に演じ、完成度の高い作品に仕上がっていた。シム・ウンギョンと高橋和也の演技が光っていて、松坂桃李は美しかった。ただ、あえて一言いうなら、「これはドキュメンタリーではない」と言い聞かせながら見るようにしよう。さもないと、リアルとフィクションの間で迷子になる。それくらい、観ている者を巻き込む力のある映画だ。観終わった今、いろいろと考えることもあるが、この映画が上映禁止にならないのだから、この国はまだ大丈夫なんだと思う。いや、そう思いたい。国会前でプラカードを持っていた私としては…(^-^;

【 起床後の感想 】

『新聞記者』がモヤモヤするので、もう少し書いてすっきりしよう。

この映画は、「国のため」と思って意にそぐわない仕事をし、責任を負わされ、自殺した官僚の、その死の真相を探ろうとする女性記者と後輩官僚の言動を追ったものだ。観る人によって印象に残るシーンは様々だと思うが、私が一番熱くなったのは、女性記者と後輩官僚の出会いのシーンだ。

自殺した官僚の葬儀の後、記者に囲まれる遺族をかばい「それは今聞くことではないでしょう」と割って入る女性記者、そしてその女性記者に対し「あなたはそっち側の人ではないのか」と言う若手官僚。ありえない話だけれど、仮に私が新聞記者であの場面にいたとしたら、反射的にあの女性記者と同じ行動をとったと思うのだ。

このシーンでは「正義のためなら何を聞いてもいいのか、何を言ってもいいのか」という問いが投げかけられている。この問いに対し、若い頃の私なら「いいに決まっている」と即答しただろう。しかし、歳を重ね、正義は人の数だけあることや正義は極めて主観的なものであることを知り、「本当に聞いてもいいのか、本当に言ってもいいのか」が悩ましくなっている。それを、丸くなったとかヒヨったとか言うこともできるだろうし、相手の立場や苦悩に寄り添えるようになったと言うこともできるだろう。とにかく、少なくとも、聞いたり言ったりするTPOはわきまえなければならないと考えるようになっている。考えていないと、何でも聞いたり言ったりしてしまい、知らずに誰かを傷つけてしまうタイプなので、なるべく考えるように心がけているのだ。だから、このシーンが一番刺さったのだと思う。クライマックスとは遠いところにあるささやかなシーンなのだけれども。

結局のところ、時事問題にしろ、映画にしろ、主観からしか観ることができない。そういう当たり前のことをあらためて感じた。お時間が許すなら、皆さんの主観でこの映画を観てみたらいかがかと思う。作品としても面白いし、自分の主観を観察する機会にもなると思う。

(映画『新聞記者』のサイト https://shimbunkisha.jp/ )

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