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黒よりも黒いグレイ 第八話(+連載お休みのお詫び)

 警察で突き放され、法テラスで説教され、僕の頭は思考を停止してしまった。とりあえず、仕事の帰りにジムで汗を流し、一人カラオケでミスチルを熱唱し、明け方近くまでゲームに興じた。そんな風に現実逃避しながら一週間程経ったある日、大阪本社の業務開発部長から電話が入った。

「大型マンション修繕の件、やっと先方の総会で議決されたよ。よかったな。この後、東京で先方と調印式だ。社長もそちらに行くから」

 一気に現実に引き戻された。大阪本社の社長が来る。複雑だ。勿論、仕事が回り出して工事代金が入ってくるようになれば公庫への返済は楽になるから嬉しい。しかし、社長と顔を突き合せたら、まだ伝えていないホワイト商工ローンの件について、話さざるを得なくなるだろう。

 単なる報告であれば、今一人で背負っている荷物が軽くなるわけだから何の問題もない。しかし、ぼくが今回の事件の犯人として大阪本店を疑っている以上、どのように振る舞うかは非常に悩ましい問題である。

「おい、どうした?聞いてるか?」

「あ、はい。聞いています。で、社長が上京されるのはいつ頃でしょうか?」

 少しでも先であってくれとの祈りも空しく

「来週中だね」

という答えが返ってきた。来週だって?おっと、ここでうろたえた素振りを見せてはいけない。

「了解しました。来週の水曜以降は空けておくようにします」

「おう。よろしく頼むよ。正式な日程が決まったらまた連絡するから」

 僕は、力なく受話器を置いた後、自分を包み込む静寂を振り払うように武者震いをした。さぁ、作戦会議だ。自分をミッション・インポッシブルのトム・クルーズだと思えばいい。ただ、僕にはチームがない。指令もない。自分の危険回避の本能だけを頼りにサバイバルしなければならない。

 翌週水曜午後三時、神田の線路沿いにあるスターバックスで社長と待ち合わせをした。社長を待つ間、僕は二階の窓から見える神田駅のホームを睨みながら、オレンジ色の電車が停まる度に「社長はあれに乗って来たかもしれない」と思って身構えた。しかし、実際に社長が現れたのは全く的外れなタイミングだった。

「よう。東京駅からタクシーに乗ったら道が混んでてな。遅くなって悪い」

僕は立ち上がって

「お疲れ様です」

と言った。社長は

「先方待たすと悪いから、すぐ行くぞ」

そう言ってくるりと背を向け、スタスタと階段を降り始めた。僕は慌てて後を追った。

 調印式は、明友レジデンシャルサービスという不動産管理会社の一室で行われる。その会社は、そこから須田町の交差点に向かって徒歩数分の所だ。社長は僕の前を早足で歩きながら、振り向かずに言った。

「印鑑は持って来ただろうな」

 印鑑という言葉に一瞬足がすくんだ。ああ、情けない。これから契約に行くにあたって忘れ物がないかどうか確認されただけなのに。僕は肩をすくめて

「はい」

と答えた。

 明友レジデンシャルでの調印式は短時間で終わった。契約書の原稿は、大阪本社と先方との間で既に完成されていたから、その場での質疑応答はなかった。

「この高橋が、キラキラリフォーム東京の代表です。まだまだ若いですが、フットワーク軽く頑張っていますので、何卒よろしくお願い申し上げます」

 社長からそのように紹介され、名刺交換をし、契約書に署名と捺印をした。ここ最近、捺印することの重大さについて考えることが多かったが、この契約については先方が大手であることもあり、それ程不安はなかった。むしろ、そんな大手の偉い人と対等に話をしている社長がとても立派な人物に見え、「この人は例の事件の犯人ではなさそうだ、むしろ僕が心を開いて相談すれば助けてくれる人かもしれない」そんな風に思った。

 帰り道、

「寄っていくか」

と誘われ、鰻屋「きくかわ」の暖簾をくぐった。自分では手が出ない特上の鰻重を食べさせてもらい、鰭酒を飲ませてもらい、すっかり気を許していたので、切り出してみた。

「社長、お話ししなければならないことがあります」

 社長が顔を上げた。僕は意を決して、ホワイト商工ローンから身に覚えのない督促状が送られてきたことを話した。

 社長は、追加で頼んだ白焼きを箸で切りながら、顔色を変えずに聞いていた。だから僕はほっとして、父親に甘えるような気持で、複利で年15%だからにこの3か月で元本が30万円近く膨らんでしまった話までした。

 社長はもぐもぐと頬張った白焼きを日本酒で流し込んだ後、ゆっくりと僕を見据え

「ゆゆしき問題だね。借りたのが君であっても君でなくても、これは君の責任だよ」

と言った。その瞳は、色が薄く、底がなく、低い温度でキラリと光った。


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最後までお読みくださってありがとうございます。予定より1日早いアップとなりました。それには理由がございます。仕事の関係で春まであまり創作の時間を取ることができないため、11月23日(月)以降、文章のアップをお休みさせていただくことといたしました。詳しくはこちらに書かせていただいた通りです。https://note.mu/candycandy/n/n8868ae075037


私的な理由による連載の中断を恥ずかしく思いますし、また、楽しみにしていて下さった方には誠に申し訳ないです。創作を仕事にできなかった者の定めとしてこれから数か月は本業で食費を稼ぎます。また、この期間、創作は音楽に限って続けていきたいと思っております。


こんな私ですが、これからもnote友達でいていただけると幸いです。では。