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こんばんは、こんばんは。

道を歩いていました。 駅の下辺り、線路の下の部分沿いの道。
名前あるんでしょうか。 それの名前。 検索しても出てきませんでした。検索方法がよくなかったのかしらん。
仮に出てきたとして、その名称を使って他者に伝わるのかどうかもわかりません。道を歩いていました。

下を向いて歩くのが常ですが、ふと顔を上げると、前方から会社帰りと思しきスーツ姿の男性が歩いてきます。
夕方でしたからあたりは暗く、ファストフード店や、コンビニエンスストアが放つネオンの光が街を牛耳っている時分です。

そのサラリーマン風の男は、右手にエナジー・ドリンク、オレンジ色のモンスターを顔の前にかかげながら歩いてくるわけです。
その顔を見ると、何やら、やや呆気にとられたような表情をしています。

視線の先にはオレンジ色の缶。
成分表を凝視していたのですね。
恐らく、電車から降りて、駅内のコンビニエンスストアーで「なんだこのオレンジ色のモンスター。飲んでみるか」ということで、購入し、改札を出て、いよいよパキリと開封し、家路につきながら飲もうという考えだったのでありましょうが、味わいながら、不思議な味だなあ。何が入っているんだろう。
と、成分表に目をやった瞬間と、ぼくが顔を上げた瞬間がバチリと合ったのです。

モンスターは大好きですが、オレンジ色のものは飲んだことありませんでした。

彼の表情を見て察するに、変わった味なのだろうなあ。と思いました。

人が「なんだこの味?」と怪訝な表情になる瞬間に立ち会えてちょっとラッキークッキーもんじゃ焼きでした。

中島みゆきさんの『悲しみに』があまりによくてずっとループで聴いていまして、仕事の支度をしながら・食器を洗いながら・歯を磨きながら流しているのです。

シャワーを浴びながら聴いていると、だいたい“3〜4悲しみに”でシャワーが済みます。

『悲しみに』の歌詞の中で、
”悲しみは白い舟 沖をゆく一隻の舟”

とあります。
悲しみと舟をかけていて、舟と悲しみ? となりますが、思い浮かべてみると、なるほど海に浮かんだ一隻の舟、それは船ではなく、いわゆる舟。
せいぜい人が2.3人しか乗れませんよね。きっと。

ちなみに、調べたところ、「船」と「舟」の違いは、動力の違いみたいですね。
船は、原動機がついたもの。
舟は、原動機がなく、手漕ぎによるもの。
なるほどなあ。

そう考えると、ポツリと海に浮かぶ舟は頼りなく、悲しみに満ちているように思えます。

蓮見重彦氏の映画評論本を読んでいましたら、溝口健二映画に言及する章で見かけたのですが、
溝口健二の作品では、その後によくないことが起こるシグナルとして画面を船が横切るのだというのです。

そういえば『山椒大夫』も『近松物語』も船が出てきたように思いますが、あらためて作品を観ない限り、蓮見氏のいわんとすることがきちっと理解できないのですが、その一文を読んだだけで、中島みゆきさんのいう”悲しみは白い舟”にどことなくコネクトする部分があるので、それだけで、ああ。ああ。と首肯せずにはいられないのです。

そのまま仕事へ出かける時もイヤホンで『悲しみに』を聴いておりましたところ、

電車の座席に座り、西日を背中に浴びながら読書をしていると、ラインの通知がありスマートフォンをカバンから取り出す時にふと顔を上げると、ぼくの正面に座った淑女の表情がハッとするほど悲しみに満ちていたのです。
トロンとした瞳で、うつろな表情をして、向かい合いったぼくのちょうど左下あたりの一点に視線を投げかけていたのです。

もしかしたら、ぼくの左下に小さな映画館がありキャンパスノートくらいの大きさのスクリーンで、タイタニックが上映していたのかも知れません。

こういう具合に、セルフミュージック・ビデオが日常にヒョイコと現れることもあるのだな。という発見をしました。

たまたま聴いていた音楽と情景がリンクするような場面というのは今までにもあったかもしれない。と思い返してみると、
いつのことだったか、イヤフォンでレディオヘッドの『Nice Dream』を聴いていた時、ふと見ると妹が眠りこんでいて「あれ?マッチしとる...」と思ったのを思い出しました。

ミュージック・ビデオは日常にひそんでいるのだなと思いました。

これからは、ラジカセを肩に乗せ、バンバカ好きな音楽を流し、双眼鏡を首から下げ、日常にひそむミュージック・ビデオを狩りに出かけるのもありだな。と思いました。

表情って饒舌ですよね。では、またここでお会いしましょう。
架空より。