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明けましたね。こんばんは。

あけましておめでとうございます。

2020年となりました。

ニーゼロニーゼロです。ニレニレです。

ニーゼロニーゼロで思い浮かぶことといえば、中学1年生の頃の給食後のことです。

ぼくの中学校は給食を食べ終わった後、三々五々歯磨きをします。

大抵の生徒は歯磨きをしました。

思春期でしたから、歯磨きをサボろうものなら、不潔玉だとか、黒塗り便器だとか刃の様な言葉でもって糾弾されかねません。

とにかく思春期というのは、日々同じ私服だと、「服を買ってもらえないのか」「洗濯してないのか」などと、言われるような気がして妙に過敏になったものでした。

そんな歯磨きタイムがあったのですが、唯一N君は威風堂々と歯磨きをボイコットしていたのです。

そもそも歯ブラシ自体学校へ持ってきていないらしく、小心者のぼくには到底考えられない無頼な振る舞いに思えたのです。

かっこいいな、N君。などと少し嫉妬したりしていました。思春期でしたから。

そんな時、ぼくと同じようにN君のソロ歯磨きストライキに気付いたH君が、N君に対し、

「N君、、8020運動って知ってる?」と揶揄するように尋ねるのです。

そのやわらかいユーモアセンスに当時はニヤリとしたものです。

今でも面白いなあ。と思ったりします。

「きったねー!歯磨きしないでやんのー!アヒハハフヒヒラ」

などといじわるを言うことも出来るのに、なんともウィットに富んだフレーズなのでしょう。

N君をズサリと傷付けるようなニュアンスもないですし。

中学生といえば12、13才ですから、H君のユーモアセンスって今思えばとても高かったなと思います。

12、13才にはユーモアセンスがないとは言いませんが、カート・ヴォネガットが何かの本の中で、子供の頃食卓での会話には子供の自分はほとんど話題に入れてもらえなかったが、気の利いたジョークを言うと一目置かれたりして、大変に気分がよく、冗談を考えるのが好きになった。というようなことを言っていて、ユーモアというのは全世代・全世界に通用する素晴らしいツールだなと思いました。

確かに面白い冗談ばかり言って笑わせてくれる明るい父親なんかいるとその後の人生でのユーモアセンスに影響を与えそうなものです。

話は戻って、

丁度その頃、保険か何かの授業で、80歳までに20本は自分の歯を残そう。その為には日々の歯磨きや歯医者などの定期検診、オーラルケアに注力するように。と教わっていた矢先だったのです。

学んだばかりのことを、すぐさまユーモアに昇華させていたH君は剣道部でした。

朝練後の剣道具の匂いをクラスメイトに無理矢理嗅がせる愉快な人でした。

とまあ、新年早々8020運動という脈絡のない話をしてしまいました。



バスで移動すると、バスに乗るわけですが、座席に座り前方を見ながらボウっとしていると、

バス車内にバス運転手の物と思しき荷物があるのを目にします。

運転座席部分って我々の座席エリアより、一段高く設けられていて、その運転座席の脇あたりに、大きなリュックサックや、コート、傘などが雑然と置いてありますよね。

あれって不思議だなといいますか。

バスの運転手の方は、どこかのバスの運転手が集まる会社に出勤して、事務所などで朝礼などをしてロッカールームかなんかに自分の荷物を仕舞って、そこから自分の担当バスに乗り込み、業務終了後にまた会社へ戻り、ロッカールームで着替えて荷物を持って帰るものだと勝手に想像していたのですが、

わざわざ全荷物をバスに載せるものだろうか?と思ったりします。

出勤したらそのまま直でバスに乗り込むのでしょうか。

だとしたら、バスの運転手の制服は自宅から着ているのか?

もしそうであるのなら、会社までバスの運転手がバスに乗って通勤することもあるのか?と考えてしまいます。

出勤といえば、ぼくはフランソワ・トリュフォーの「華氏451」で主人公モンターグがファイアマンとして、その会社へ出勤するシーンが思い浮かびます。

それぞれ男たちがロッカールームにぞろぞろ集結し、出動のサイレンが鳴り響けば、床に丸い穴が空いて、下の階に繋がっているポールにしがみつきヒュンヒュンと降りてゆく姿です。

うろ覚えなので、まるっきりそんなシーンないかもしれないので、やんわり受け取ってくださいませ。

それはさておき、全荷物が自分のすぐそばにあるってどんな感じなんだろう。


インタネットで、ワード検索をすると自分が調べたい事柄に対してほとんど情報が出てこないことがあります。

ちょっと古い映画のちょっとした端役で気になった俳優の経歴とか、

大変に面白かった作品が、その文学者のあまり知られていないもので、その作品を同じように面白いと感じた人っているかな?

などで、調べる前からそう沢山ヒットすると期待はしませんが、いくつかヒットすると嬉しいものです。

揚々とその記事を読み終わった後に、その記事が書かれたのが数年前のものであり、ブログなんかの場合トップページへ飛ぶと、最終更新日も既にとうの昔だったということがしばしばあったりします。

情報を拾いにやってきただけとはいえ、なんとも言えない寂寥感を感じると同時に、時空を超えて繋がったようなときめきを感じます。

それはまるで、大好きな映画の上映を最寄りの名画座で数日前まで上映していたのをたまたま知ったような感覚といいますか。

そういった何年も前に更新がされなくなった、ホームページやブログのミイラってこの広いインタネット海上には何万とあるわけです。

ふと想うと、このぼくのnoteもそんな風にデジタルミイラ化しているんだなあと感じる訳です。

久しぶりの更新になりました。

くだくだしく言い訳みたいな戯言は毎度ながら抜きにして、また文章を紡いでいけたらなと思います。

皆様にとって、楽しく、よりよい世界が広がるような、やってみたかったけど、なかなかチャレンジ出来ていなかったことにチャレンジ出来るような年になって欲しいなと願っております。

2020年もいい加減なぼくをどうぞよろしくお願いします。

架空より。