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お夜ですね。こんばんは。

ヒューマンビートボックスの真似事をしながらマンションの階段を降りている時に、マンションの住人と出くわす時ほど、他の惑星に移住したくなる時はありません。

恥ずかしさのあまり、逆に「え?ヒューマンビートボクサーですけど?どうかしました?」というような傲然とした態度になったりします。

あるいは、たまたま電話がかかってきたふりをして架空の友人と絵空事である、週末レジャーの約束をでっち上げておしゃべりをするのもいいかと思います。

「モンキーの赤ちゃん! 髭生えたぎゅーにゅー瓶! モンキーの赤ちゃん! 髭生えたぎゅーにゅー瓶!」と喚き立て、その住人をヒヤリとさせるのもいいかもしれません。
「ああ。ヒューマンビートボックスなんてまだ軽い方じゃないか」と対象を撹乱することが出来ます。
その際に、あるはずのない四葉のクローバーを熱心に探してみたりすると尚効果的であると思われます。

自意識が過剰なのでありましょう。
全住人がぼくの動向などに関心がありませんから、そもそもぼくのヒューマンビートボックスの真似事でさえ彼らの耳に入っていないでしょうし、口をとがらせて「ドゥクドゥクパッ」なんてやってみても彼らの意識を米粒ひとつ、いや七味一粒ほども注意を引くことはまず有り得ないでしょう。

そういうケースで連想されるのは、ルーレット付き自動販売機です。

世の中にどれほどルーレット付き自動販売機があるのか分かりませんが、ちこちこ出会します。

ぼくに関していえば、生涯で1度たりとも当選した経験はございませんから、人間の時間をコツコツ浪費させる、機械の反乱なのでは?くらいにしか認識していません。
さりとて、人間ですから欲に突き動かされているものです。

ドリンコを選択し、ガコンと受け取り口にドリンコが落下し、ピピピロピロンピロ♪とひょうきんな電子音が聞こえて来ると、当たるはずもないのに真っ赤なデジタル数字に6秒ほどの暇を献上する羽目になります。
頭では当たりっこないと分かってはいるのですが、自動販売機の腰あたりで
激しく躍り狂うデジタル数字を見ている自分。

すぐそばに男子中学生が数人いようものなら、とてもじゃないですが自動販売機の抽選を熱心に見ているところを見られるのは恥ずかしいものです。

自動販売機のルーレットが当たりっこないというのは共通認識でございますから、ボサッと立ってボサッとした髪の、ボサッとしたジャンパーを着たいい大人が、狭き門の先にある、米粒ひつとほどの、いや七味一粒ほどの門をくぐり抜けて当選する120円程度の清涼飲料水に想いを馳せているとは思われたくないのです。

ですから逆に、そういったシーンでは、ドリンコがガコンと落下してきたと同時に対象をひっぱりだし、あたかもこの世にルーレットなんて存在しないんだという素振りですぐ様立ち去ってしまえばよいのです。

「ああ。へえ。自動販売機ってルーレットついてるんだ。ふーん。まあ。もし当たったらあげるよ、君に。うん。好きに飲んじゃって?」というような意思の目つきを対象の男子中学生達に向ければ尚よいと思いますが、当の男子中学生達は熱心に彼らのおしゃべりをしているでしょうし、そもそもぼくという人間の存在すら認識していないと思います。 

認識といえば、日々の生活の中で狭い往来を歩いていると前方からサラリーマン風の2人組や、カップルなんかが歩いて来ることがあります。
当然狭い往来でありますから、行き交う人々はスムーズに行き交えるようにスペースを折半してすれ違うようにするべきであると思うのですが、大抵の場合、前方からやって来る二人組はピクリとも羽をしまおうとしません。
つまり自分という存在が認識されていない訳です。

大抵ぼくが立ち止まり、対象の二人組が通り過ぎるのを待ったり、車道に一旦出たりしてやりすごすのですが、こういう時はやはり切ない心持ちになるものです。

おしゃべりに夢中で、1人の人間として認識されず、取るに足らない存在であるというレッテルを顔面に強打されそのままコインパーキングあたりまでふっとんでいる様なものです。

当然コインパーキングまで飛ばされてたぼくは後頭部を強打し失神。そのまま存在の上にはうっすら金色の輪っかがプワアンと浮かぶ訳です。

存在を黙殺するのっていとも簡単に出来るのです。
無洗米を軽くすすぐくらいに造作ありません。

そんな感じです。どんな感じです?

読んでくれてハッピーです。ありがとうございます。寒いですがファイト燃やして2月を楽しみましょうね。架空より。