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スタンプのようなRIPは止めない?という話

12/16。ギタリストのCANDY MANです。

冬が始まるこの季節。たまに暖かくなったときに春の匂いがちらつくのがたまらなく好き。本当はまだまだ春は遠いけど、でも確かにそこにあるんだということが分かるだけで耐えられるものはある。まるで遠距離恋愛みたい。

最近悲しいニュースにやたらと“RIP”(あーるあいぴー)という言葉がついているのを見かける。俺はこの“RIP”という言葉が苦手だ。

今日のテーマは「スタンプのようなRIPは止めない?」です。

RIPとは、"Rest In Peace"の略語で「安らかに眠れ」の意味。海外では墓石に刻まれていたり、新聞の見出しとして使われている印象。

SNSでは誰かが亡くなると一言"RIP"で済ませている。まるでチャットのスタンプ機能のように、「私はそれに対して反応しました」の合図として使われている印象を受ける。

それが苦手、というかすごく嫌だ。
例えば。自分の家族とか、昔からの友人が亡くなったときに"RIP"一つで済ませられたらどうだろう。そんな一言で済ますならいっそのこと放っておいてほしい。

そもそも、SNSで哀悼の意を表さないといけない風潮をどうにかしてほしい。知らない有名人、大して聴いていなかったミュージシャン、たまに見たことある俳優。全てに"RIP"をつけてSNSに流す必要なんかないんじゃないだろうか。SNSくらいのプラットフォームじゃ死を受け止めるにはあまりに軽過ぎて。

そこにはその人を生きがいにしていたファン、恋人、家族がいる。その人たちを思うと"RIP"だけで済ますことはしたくない。

と思う一方で、追悼の仕方は人それぞれだよなと思う気持ちもある。有名人が亡くなったといって国民全員が喪に服す必要はない。

SNSの良い点として自分の知らない、その人のフォルダにしかいなかった本人の姿や人となりを見知ることができるところがある。普段はイカツイ顔しているのに笑顔を見せていたり、ほっこりエピソードを知れるのは嬉しい。でも本人が生きてるときからその写真見せてよ、普段からそのエピソード話してよとも思っちゃう。面倒くさいやつだ。

誰かが亡くなっても、無常にも世の中は動いていくということを私は父の死から身を持って体験している。何で芸人の結婚式を大々的に放送してるの?と思ったこともあったし、今でもその芸人には少しムカついてる。でもそのおかげで元の生活に否が応でも戻れる。

RIPくらいのラフな感じでいる方が生きやすいのかもね。大切な人が生きていた証を残すためには俺らが前を向いて生きていることが何より大切だし。


I'm wishing "You" a peaceful journey to the afterlife.

以上。

今日の一曲 THEE MICHELLE GUN ELEPHANT「世界の終わり」

やってくるときを、待ち焦がれてる。


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