見出し画像

お弔いー未完の名ライブ 米津玄師2020TOUR/HYPEー

これから、ここに書くことは、私の心の中に巻き起こったこと。

冷静で正確なライブレポは他の方にお任せし、私は私の心象風景を露わにすることによって、未完の名ライブ 米津玄師2020TOUR/HYPEをお弔いし、心の中に墓標を立てたいと思う。

震えながら取ったチケット

去年の今日、2020年2月9日(日)、私はサンドーム福井で行われた米津玄師2020TOUR/HYPEに参戦していた。

CD封入先行、オフィシャル先行、一般発売、同伴者の申込みも全て落選していた私は、毎日トレードに明け暮れてやっととれたチケットで。

チケットが取れたのは、公演前日の午前中。

それもスーパーの買い物途中にふとスマホでトレード画面を見て、運良く取れたもの。

朝のスーパーで震えながら、スマホを操作する50歳近い私は、周りにいた人からは、さぞかし不気味に見えたかと思う。

そして、運よく会場近くのホテルも取れ、ライブ当日、私はひとり雪の福井へと向かった。

ライブ会場へ

席は2階の最後列で、米津さんの右真横が見られる場所だった。

ステージには、御簾のように、ひも状のカーテンが引かれていた。

「登場するところが見やすいかも?」

実は、前年の脊椎がオパールになる頃も福井で参戦したのだが、その時も右真横の席で、登場、退場がこちら側だったのだ。

そして、1曲目の“LOSER”の前奏が聴こえてきた。

米津さんはすでにカーテンの中にいた。

そして、カーテンの中から花道に出てきて歌唱。

2曲目〝砂の惑星”は、カーテンの中で、時折、いたずらっぽくカーテンから顔を覗かせたり、手でカーテンを触ったりする。

「もしや、このまま、カーテンの中で、ずっと歌うのでは!?普通はやらないけど、米津玄師なら、やるかもしれない……。」

そんな、不安にかられていると、〝Flamingo”の前奏でカーテンがバサッと落された。

私の席からは、米津さんが目視できたけれど、会場からは「あれ、どこ?」という声も聞かれた。

「米津さんの……」

米津さんは、横たわっていたのだ。

そして、それがステージ上にも映し出される。

できるだけ、ライブレポを読まないようにしてたのだが、「米津さんの寝っころがり」という言葉だけは目にしてしまっていて、「これか!」と思った。

「米津さんの寝っころがり」は、わたしの想像の中では、涅槃物の様に横向きに寝っころがるイメージだったのだが、実際は胎児の様に体を丸めた横向きから、仰向け、反対側横向き、そして二番で立ち上がる、だった。

横たわったまま歌う〝Flamingo”。

その様は、曲調も相まって大変色っぽく、“パプリカ”を聴きにきた良い子の皆さんにお見せしてしまっていいのかしら?と心配になる程。

まさかの選曲

そして、ライブで聴きたいと願いつつも、まさか聴けるとは思わなかった、“眼福”と“ララバイさよなら”。

“眼福”は2014年に発表された米津玄師としての2枚目のアルバム『YANKEE』の収録曲。

“ララバイさよなら”2017年に発表された6枚目のシングル“orion”のカップリング曲。

2曲とも、華々しい曲ではないけど、私のお気に入りの曲だ。“眼福”は上等な小説の様に、その情景がありありと目に浮かぶし、“ララバイさよなら”は、“orion”の明るく希望に満ちた曲調を補てんするかのように、孤独がヒリヒリと伝わってくる曲だ。

この2曲をセットリストに選んだということは、「私の」お気に入りだけではなく、米民と呼ばれる米津さんのファンの多くの人のお気に入りだったのだろう。

本当に、幸せないい時間を過ごすことができたライブだった。

けれど、HYPEは途中で延期・中止せざるおえない状況となり、振替公演も中止となってしまった。

叶わないことだけれども、米津さんを好きな人全てにこのライブを観せてあげたい、聴かせてあげたい。

そんな、切ない気持ちになった。

未完の名ライブとして、語り継がれるであろう米津玄師2020TOUR/HYPE。

この文章でお弔いとしたいと思う。

ちなみに「お弔い」をパソコンで入力すると「音貰い」になる。

ああ、そうだ。あの日確かに米津さんから美しい「音」を貰った。

「音貰い」でもあったのだな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?