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2021年 「分断」と「理知」

 2021年元日は、朝日新聞に掲載された米津玄師さんのインタビューで始まった。

 朝日新聞は私が幼い頃から、朝届けられる「知」であった。

 そして、それは思春期を迎える頃に、「夏目漱石は朝日新聞の専属作家だった。」『「『天声人語』は受験によくでる。」といった話を聞くにつれ、確信に変わった。

 大人になり、自分の世間が広がるにつれ、どうやら周りのほとんどの人が地域に馴染み深い地方新聞を購読していることを知るのだけれど、その中であえて、朝日新聞を購読するのは私の家族の矜持でもあった。

 その朝日新聞の元旦のオピニオンの紙面に米津玄師さんのインタビューが掲載されたのは、私にとっては得心がいくことだった。

コロナ禍で米津玄師がみせた理性と知性

 私が寡聞にして知らないだけかもしれないが、コロナ禍の中、理性的な発言をしていた著名人は作家でも、学者でもなく、29歳の音楽家米津玄師さんだった。

 これは、2020年2月26日のTOUR HYPE中止もしくは延期のお知らせの時の声明だ。

 この時、すでに後日、問題となる悪質なデマや差別的表現への言及がある。

 しかし、この後、コロナ禍による日本の、そして世界の混迷に対して米津さんは、全く発言をしなかった。今の世の中を見て、彼の心のなかに様々なものが去来しないわけはないのに。

 だが、彼は音楽家として、最もふさわしい形で「発言」をした。それは、自分の作品ニューアルバム『STRAY SHEEP』を通して、音楽という誰も直接的には責めない、二項対立する意見の中庸に立ち、人々を分断させない方法で、だ。

 朝日新聞のインタビューの中で、音楽家や著名人が政治的な立場を明確にするようになった、二項対立するものに対して、どちらにも言い分があるという米津さんの考え方はずるい立場に見えるかもしれないと、インタビュアーに聞かれていた。

 米津さんの答えは、朝日新聞を読んでいただくこととして、政治的立場を明確にしないことについて、私の思うことを書きたいと思う。

母性社会 日本の病理

 『母性社会 日本の病理』これは心理学者の河合隼雄の著作の題名だが、日本というのは、母性社会だと思う。

 母親という意味ではなく、母性というのは、曖昧で、すべてを包み込んでしまう。我が子ならば、どんな子でも愛してしまうというものだ。

 この感覚は、自分が好きな著名人が言ったことならば、盲目的に信じてしまうことに通じる。

 例えば、米津さんが現政権に批判的なことを言ったら、ほとんどのファンは、今の政権は悪いと思うだろうし、反対に、現政権を称えたら、良い政権だと思ってしまう気がする。自分の頭で考えずに。

 自分が好きな著名人の発言だとしても、一旦自分で考え、自分で正しいかそうでないかを判断する。その上で、「あの人の、音楽は好きだけど、この発言は嫌だな。」と冷静に、好きな部分とそうでない部分を「分けて」、考える。

 米津さんは自分の影響力を十二分にわかっている。だからこそ、これが、できるようになるくらい、日本が成熟しない限り、米津さんは政治的立場を明確にすることはないと思う。

 何か決定するときも、その場をつつんでいる「空気」が優先され、結局、誰が決めたのかが、曖昧になり、ひいては責任の所在がはっきりしないという経験は仕事をしているしていないに関わらず、日本の社会に参画していれば、誰しも経験しているのではないだろうか。

 この曖昧さ、今のコロナ禍での政治判断にも言えることだ。

 誰かを悪者にしたいわけではないが、誰がどのように判断したのかが、誰が責任があるのか、可視化されないのだ。

 皮肉なことに、この曖昧さが返って、感情的な「分断」を促している気がする。曖昧にしておけば、分けることはできない筈なのに。

 このコロナ禍では日本が「空気」に支配される曖昧さから卒業しする良い機会かもしれない。冷静な「分断」ー一つのことに必ず、良い側面と悪い側面両方ある、それをどちらを選ぶか、また、選ばないでおくかーを、判断できるようにする。理知的な「分断」を行うことによって、「分断」を超える何かを見つけることができるのではないだろうか。


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