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『音楽文』なぜ、私は米津玄師のライブに行きたいのか。 たとえ何万分の一の存在だとしても


2020年6月17日♥26
 米津玄師さんのライブ「脊椎がオパールになる頃」は、私が25年ぶりに行ったライブだった。

 なぜ、ずっとライブに行かなかったかというと25年前、大好きだったバンドのライブに行った時、とても“孤独”を感じたためだ。

 部屋の片隅で一人で音楽を聴いていれば、お気に入りのミュージシャンは自分の近くで寄り添ってくれる。けれど、ライブに行けば、その人は遠くにいて近寄ることなど許されない。そして、自分と同じようなファンは大勢いて、自分はミュージシャンにとって何千分の一の存在でしかないということを思い知ることになるのだ。

 ほとんどメディアに登場しない米津さんを観たい、歌を聴きたいという気持ちが高まって25年ぶりにライブに行くことにしたのだ。また、同じような気持ちになるのかなとは思ったのだが。

 けれど、25年ぶりに行った米津さんのライブで私は孤独を感じなかった。昔行ったライブ会場よりも大きなキャパシティで、何千どころか、何万分の一の存在だったのにも関わらず。

 その理由は、Twitterで見かけた米津さんのHYPE横浜公演のMCでわかった。「子どもの頃、ライブで感動したことがなかった。(中略)自分は、音楽を聴いて自分が底の方へ潜ってく、沈殿していく、そんな感じだった。盛り上がって美しいっていうのはわかるんだけど、入っていけないっていうか。なんかどこかにあの頃の自分がここにいるんかじゃないかって。あの頃の自分を引きずって自分もここにいて、ここにもそういう人はきっといて。そういう奴をどうしても探してしまう。」

 米津さんはステージの上から、自分のような人間を探してくれていた。

 不思議だけれど、それが伝わってきて、私は“孤独”にならなかった、それどころか温かな気持ちになった。

 私には、今秋に開催されるHYPE振替公演のチケットはない。

 今の新型コロナウイルスCOVID-19感染拡大防止を目的とした新しい生活様式を考えるとトレードもないのではないかと思われる。

 あの温かなライブに行けないのは、とても切ないことだけれど、きっと米津さんはライブに行けない人たちのことも”探して”くれていることを信じている。

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