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96 大阪市中央区久太郎町4丁目…渡辺?! 世にも奇妙な地番がある話

私は子供のころから地図が大好きです。

三度の飯も、地図も好きです。

暇さえあれば地図を見ていました。

レアな地名や地形、飛び地とか大好物です。

そんな地図マニアの私が飛びつかないわけがないだろう場所が、大阪のど真ん中、本町にあります。

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渡辺。これだけだと ああ、渡辺っていう集落なのね、と思われて終わりなのですが、

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ここは大阪市中央区久太郎町4丁目渡辺。普通、この「渡辺」の部分には1とか2とか「番地」が入るのが通例のはずなのですが、ここは意表を突く「渡辺」。全国でもこんな地名はほかにないのではないでしょうか。

一体どうしてこんな地名になったのでしょう?

それにはここにある神社が深くかかわっています。

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この渡辺の地にあるのが「坐摩神社」。これで「いかすり」神社といいます。

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ちょうど「夏の大祓」の時期でした。茅の輪って周り方ちょっと考えちゃうんですよね。

…と、それはいいんです。坐摩神社は大阪のビルの合間にひっそり佇む神社。ですが神功天皇が新羅から帰られた際に坐摩大神を奉斎したのが始まりとされる由緒ある神社。この日も熱心にお参りする方がいらっしゃいました。

この神社は元からここにあったわけではありませんでした。もう少し北の天満橋あたりにあったのが、豊臣秀吉の大坂城築城の際にここに移ってきたのです。その元あった場所が「渡辺津」。

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ここから船に乗って熊野古道の参拝に向かう、重要な交通拠点でした。平安期にこの地に住む人々が「渡辺」姓を名乗りはじめ、坐摩神社の宮司も渡辺姓を名乗りました。戦国時代に今の場所に移った際も「渡辺町」と称されるようになったのです。ここは全国の「渡辺さん」発祥の地なのです。

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この「渡辺町」に危機が訪れたのが平成元年。東区と南区が合併して中央区ができた際、ここは「久太郎町4丁目」となり渡辺の地名は消滅するはずでした。

これに対して坐摩神社の宮司が市に陳情。由緒正しい地名であることを訴えかけることによってこの部分だけ地番として「渡辺」の地名が残ることになったのです。「久太郎町4丁目渡辺」にあるのは神社とその関連施設、それに宮司の家のみです。

多くの姓のルーツは複数あるか不祥である中で、嵯峨天皇の子孫がつけた姓ということで特別扱いされていたということもあり、この渡辺姓のルーツはここひとつだといわれています。それだけに全国の渡辺さんにとっては思い入れのある場所なのに違いありません。

もしこの事実を知らなかった渡辺さんがいるようでしたら、是非一度ルーツを訪ね大阪を歩いてみてはいかがでしょうか。

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地名を深く掘り下げていくとこんな面白いエピソードにたどり着きました。だから、地図は楽しいのです。

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