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272 武雄温泉は大正期に計画されたスパリゾートだった。

昨秋新幹線が開業して活況に沸く武雄市を旅しています。

武雄市といえば武雄温泉。駅名にも温泉の名をつけているとおり肥前地域を代表する歴史ある名湯です。ちなみに新幹線駅で温泉の名がつく駅は4つ(かみのやま温泉、黒部宇奈月温泉、嬉野温泉と当駅)でこのうちの2つが西九州新幹線にあります。

市内にはバスも運行されていますが、多くの観光名所は徒歩圏内にあります。町の雰囲気も知りたいので温泉街まで歩いていきます。

10分程度で武雄温泉のシンボル、楼門に到着します。

武雄に温泉があることは1300年前から知られており、宿場町として栄えた時江戸時代にも温泉を利用する人は多くいましたが、明治以降温泉街ができ多くの観光客がより一層押し寄せるようになりました。そんな温泉街のシンボル的な存在として、佐賀県唐津出身で日本の近代建築の礎を作った辰野金吾氏が設計して1915年に竣工したのがこの楼門です。

竜宮城の門のような佇まいの朱塗りの門は100年以上武雄温泉のシンボルとして観光客を出迎えてきました。

2012年、楼門の2階の天井に十二支の東西南北を示す子、卯、午、酉の四枚の彫り絵が見つかりました。辰野金吾は東京駅も設計していますが、その天井にはのこり8つの干支が描かれています。東京駅にはなぜ8つの干支しかないのか謎とされていましたが、残りはここに隠されていました。これは辰野金吾の遊び心とされています。是非それを観たかったんですが、残念ながら朝1時間だけの限定公開。旅程の都合上断念しました。。。

楼門を潜ると奥の方にもう一つ目を引く建物があります。こちらは武雄温泉新館。当時すでに元湯が存在しており、そのあとに建てられたため「新館」と名付けられました。こちらも辰野金吾が設計に関与しており、楼門と同じ年に落成しています。老朽化が著しく一時は閉鎖されていましたが修復後資料館として使われています。

実はこの新館に飽き足らず、ここを開発した宮原忠直氏らはこの地にサウナや演劇場などを建てる計画もしていました。必要なのか疑問はありますが、楼門も三つ建てる予定だったとか。完成していれば一大レジャーランドができていたんですね。

辰野金吾建築の中にあっては珍しい和風建築の新館ですが、男性浴室の天井はモダンな不等辺八角形の天井。東京駅も八角形の屋根がありますが、当時の流行だったのでしょうか。

腰タイルは有田町で生産されたタイルを用いました。日本初の工業化タイルであり、地域の産業の発展にも寄与しました。ちなみにこちらの入湯料は5銭だったそうです。

ちなみにこちらは入湯料10銭の高級浴場。床のタイルがスペインのマジョルカタイルなんだそうです。

貸切風呂なんてのもあったそうです。上々浴室は20銭。木製の浴槽は日本人の憧れですね。現代人でもなかなか入る機会がないです。

2階はお湯に入った後の人々の休憩所になっていました。道後温泉なども同様ですが、やはりお風呂あがりは高いところで涼んで休憩したいですよね。

窓の向こうに楼門が見えます。今はマンションなどが建っていますが当時は向こうの山まできれいに見渡せていたのではないでしょうか。

新館の横には公衆浴場「鷺乃湯」があります。旅館の温泉も兼ねていることもあっていい意味で大衆浴場感のない造りになっているそうです。

楼門の内側にはほかにも老舗の元湯や蓬莱湯、殿様湯という外湯が集中してあります。違う形ですが宮原氏や辰野金吾らが構想していた温泉レジャー施設はのちの人々の手によって完成していたのかもしれません。

そんないくつかの温泉の中、やはりここは元湯に入りましょう。1876年(明治9年)に建てられた日本最古の温泉施設です。蓬莱湯も同じ建物なんですが、互いの往来はできず、それぞれの料金が必要です。

温泉内は写真が撮れませんが、しっとりしたいいお湯でした。
ぬる湯とあつ湯があるんですが、ぬる湯でもそこそこの温度です。あつ湯に入った人はみんな5秒くらいで出ていきました。きたれ、100数えられるチャレンジャー。

ちなみにこの日は楼門から少し南に歩いた「大正浪漫の宿京都屋」に泊まりました。こちらでも日帰り入浴が可能ですよ。

アンティーク家具が対象モダンの世界へと誘います。


夕方再び楼門を訪ねました。電灯がともり始めていい雰囲気です。楼門をくぐれば非日常感を味わえる温泉レジャーランド。当時の開発者はそんな施設を目指していたのかもしれません。

次回は温泉以外の武雄の魅力をお届けしたいと思います。



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