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134 忠臣蔵の里・播州赤穂へ

昨年の9月、私は兵庫県の赤穂市に来ていました。

赤穂市の中心駅は播州赤穂駅。岡山から相生までの間は山陽本線と赤穂線が並行するように走りますが、その赤穂線の中心駅です。飯田線の駒ヶ根駅がかつて赤穂駅(あかほえき)と名乗っていたため播州を冠していますが、普通なら播磨赤穂となるべきところ、播州と名乗っている全国的にも稀な駅名です。

駅の案内板の上にでっかい「忠臣蔵」。

赤穂といえば忠臣蔵。忠臣蔵といえば赤穂、というぐらい忠臣蔵は赤穂の代名詞。忠臣蔵は歌舞伎の演目の一つで、赤穂藩士・浅野内匠頭が吉良上野介に江戸城の松之大廊下で切りかかり負傷させたことで即日切腹処分となり、これを不服とする赤穂藩家老大石内蔵助を中心とする赤穂浪士(赤穂四十七士)が江戸の吉良邸に討ち入りに入り首を取ったという赤穂事件がもとになっています。かつては討ち入りをした12月14日(旧暦)になるとテレビで毎年時代劇ドラマも放送されていました。

播州赤穂駅から、かつて浅野家が居城とした赤穂城跡まで歩いてみることにします。

赤穂城は海に面した城であり、その周囲にできた城下町も塩水しか出ないような土地でした。そこで千種川から上水道を町全体にひいたのですが江戸初期にこのような上水道は珍しく、江戸、福山と並ぶ日本三上水といわれています。モニュメントとして遺る噴水が涼しげでいいですね。

加里屋息継ぎ広場には大きなからくり時計。残念ながら時間が合わず見られませんでしたが、毎時0分には忠臣蔵の名場面を人形が再現して見せてくれるそうです。

20分も歩けば赤穂城跡に到着。城自体は残っておらず石垣や堀などがいこうとして遺ります。この高麗門二層隅櫓や城門など復元された建築物もあります。

壁に開いた狭間(さま)。一見現代アートのような幾何学的な穴ですが、長方形は弓、その他は鉄砲用で、使う穴の形ごとに班が分かれていて素早い攻撃を行っていたそうです。当然ですが、江戸時代の城はデザインではなく機能重視でした。

石垣の上に立ちかつてはここに赤穂を司る城主たちの居城が構えられていたのだなを思いを馳せます。かつて浅野内匠頭が事件を起こし自刃に追い込まれたとの報をここで聞かされた大石たちの驚き、悲しみ、そして憤りはいかほどのものだったでしょうか。

こちらは赤穂城跡の中にある大石神社。大石内蔵助や赤穂浪士をまつる神社として明治時代になって建立されました。江戸幕府の処分に反抗して事件を起こした者を祀る神社であり反対もあってなかなか作ることができず、大正期になってようやく竣工したものです。

市民がここで願うのはやはり「大願成就」。大願を成し遂げた大石内蔵助らに肖りたいとこの神社を訪ねる人は多くいます。

こちらは鳥居前に立つ大石内蔵助像。

参道には赤穂浪士四十七士たちの石像。亡き君主に忠誠を誓い、熱い思いで吉良邸に討ち行った赤穂の英雄たちの勇ましい像を目にすると自分も物事を簡単に諦めずに成し遂げるように努力しなければいけないな、と気が引き締まります。

城から駅に戻る途中、浅野家ほか歴代赤穂藩主の菩提寺となり、大石内蔵助の祖先や義士の墓もある花岳寺を訪ねました。

かつてこの地を治めた藩主たち。また忠臣蔵のもととなった赤穂事件で忠義を貫いた義士たちが静かにこの地に眠ります。

ちなみにですが、吉良上野介の菩提寺は愛知県西尾市(旧吉良町)の華蔵寺にあります。その隣にあり吉良家の子孫たちの菩提寺は「花岳寺」。偶然とは思えない何かを感じます。

こちらの郵便局。赤穂忠臣蔵郵便局。町全体で赤穂四十七士に対する愛情を感じました。12月になればどこかで忠臣蔵を観る機会があるでしょう。この赤穂の町の姿を思い出しながら芝居を見てみたいと思いました。

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