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151 江戸と昭和の香り漂う伊予の小京都・大洲(後編)

伊予の小京都、大洲市を訪ねた旅。今日はその後編です。

赤煉瓦の和洋折衷洋館・おおず赤煉瓦館

ポコペン横丁の裏手にある赤煉瓦造の建物。こちらは明治時代に大洲商業銀行として建てられたものです。船での流通や製糸業で隆盛を極めた大洲。そこに融資するため銀行もつくられました。このころの銀行は世を席巻する西洋文化を取り入れた洋館風のものが多くありましたが、この赤煉瓦の建物も例外ではありませんでした。
今は地元の特産品などを紹介、販売する「おおず赤煉瓦館」として活用されています。

中庭もおしゃれ。

肱川随一の景勝地を望む名園「臥龍山荘」


大洲の町の東、肱川沿いに位置するこの趣深い建物は「臥龍山荘」。大洲藩三代藩主加藤泰恒が命名した「臥龍」と呼ばれる景勝地に、木蝋の輸出で財を気づいた明治の豪商河内寅次郎が築かせた名園です。

臥龍院から眺める庭園は見る者の心を落ち着かせてくれます。

不老院とよばれるこちらの建物は廊下が川に突き出した格好になっておりそこから眺める肱川の眺めは絶景です。すぐ隣の茶室では抹茶を愉しむこともできます。

秋には真っ赤に染まった紅葉も楽しめそうです。

神社前に聳える昭和燈


異様な高さで存在感をアピール

大洲神社の長い階段の前に建つ12メートルもの高さの灯篭。かなり存在感があります。昭和燈と呼ばれ、昭和3年、昭和天皇が即位した際の記念事業で建てられたものだそうです。35メートルの高さで当時は東洋一の高さ。ここも東京ラブストーリーに出てきたんだそうです。わかる人います??

旅の最後は町のシンボル、大洲城へ

ここからは一気に西へ歩を進めます。

肱川沿いの小高い山を登ると現れるのが大洲城。黒塗りの壁が特徴的です。明治時代に全国の多くの城は破却されましたがこちらは一部残りました。ただ、明治21年に老朽化のため天守は解体。その後110年以上を経て平成16年に復元されています。手前の高欄櫓などは解体を免れており国の重要文化財となっています。

全国でも珍しいキャッスルステイを実現。店主や櫓に宿泊するという貴重な体験をすることができるのも大洲城ならではです。


左の滑り台のようなところから石を落とし外敵を攻撃します。

城からは伊予の小京都の様子が一望できます。見晴らしがとてもよく、外敵の様子をここから常に監視していたのでしょう。

町とは反対側、肱川もよく見えます。肱川で行われる鵜飼の様子なども眺めることができたのでしょう。

大洲城を起点に栄えた伊予の小京都、大洲。江戸時代の街並みだけではなく明治期の繁栄を物語る庭園や、静けさを取り戻したあとの昭和の町の様子もポコペン横丁で再現しているといういくつもの時代が共存するみどころの多い町でした。

松山から特急で30分ほどで来ることができますので、ぜひ散策に訪れてみてください。



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