見出し画像

私の話をしようと思う。3

あらすじ:弟が死んだあと私は音大行ってリア充!

音大での毎日は充実していた。4年になって現場に出るようになってからは、あまり授業に出られなかったけど、貯めた単位があったので卒業はなんとか出来そうだった。

だが9月頭、オペラの師匠が自殺した。

その一報を受けたとき、今まで何事もなく立っていた地面が突然崩れ落ちたように感じた。
先生に相談すればオペラのことは何でもわかる…現場大変だけど大丈夫! と、思っていた、寄りかかっていた柱が突然折れて、倒れ込んでしまうような。

お葬式に行ってからすぐ、私は入院し、1週間寝続けたあとけろっとして退院した。
現場もなんとか終えることができた。

周りの人が死ぬのに、私の場合は特に自殺するのに、慣れられるか? というと、それは無理だろう。
突然に死んだとしても、長い闘病の末の死だったとしても、慣れることはない。何度あったとしても。

ただ、そこからの回復は、慣れられると思う。

私は1年で会社に勤められるまでに回復した。(当時は週3だったけど。)
弟の時は、2,3年かかったように思う。

人は、誰だっていつか死ぬもんね。
そこから目をそらしたら余計辛いことになる。
周りの人だけじゃなく、自分だって。

今の私にとって、正直音楽は二の次で、もっと大切なことがあるんだけど、まあでも重要なのは何が大切かではなく、何が大切かわかっていることだと思うし。
それがわかってて、それのために生きるなら、死ぬとき「ああ、もっとこうやって生きれば良かった…」って後悔することも減るだろう。
そう信じて生きている。

蛇足ながら、タイムリーな話題なので。
京アニの件、皆さんが「辛い」と感じるなら、まずはご自身のメンタルを整えることを考えた方がいい。
「京アニにもっと課金しよう!」というのは、メンタルが整ってからやってほしいなと思う。
でないと死者が増える。

そして、これは祈りに過ぎないのだけれど、亡くなられた方や負傷された方ご自身だけでなく、そのご家族の方のこともすごく心配。
どうか、心安らぐ日が取り戻せますように。

人の死を定義(?)づけるのって、死んだ本人ではなく、残された周りの人間だったりするから。
周りの人間が、「英雄の死」か「犬死に」か決める。
だからこそ周りの人間である我々がメンタルを整える必要がある。

気持ちが落ち着いたら、さあ、今日が始まる。

この記事が参加している募集

自己紹介

あなたの気持ちが、巡り巡ってやがてあなたの元へと還りますように。