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無事千字 二〇二四年四月十五日 平成元年、新生活、黒色家電

 四月、入学や入社、転勤などで新たな環境での新生活を始めるひとが多い時期。ふと、大学入学を機に北海道から東京でのひとり暮らしがスタートした自分のことを思い出した。

 時は1989年、平成元年のこと。いわゆるバブル景気の時代だ。僕は、どこどこの大学に入る!より、東京へ行く!が目的だった。自分が好きなファッションにおいては、雑誌で見るすべてがあるのが東京だったから。

 ちょうど、その年の1月からフジテレビの月9では、中山美穂主演の「君の瞳に恋してる」がスタートしていて、それは”代官山に暮らす”女子大生のボーイミーツガールなドラマで、これを観た僕は、完全に4月からの新生活はこうなるんだと夢想していた。

 なんとか現役で合格し、東京での生活が決まった。住む場所は、バブルの煽りで家賃が高いこと、学校に通いやすいという理由で、大学から歩いて15分ほどのアパートになった。

 そこで家電を揃えることになるわけだが、当時はリサイクルショップが充実してなかったし、恵まれた環境だったので、渋谷にあった丸井インテリア館でひと通り揃えてもらった。

 いわゆる「白物家電」と呼ばれるものとして冷蔵庫・洗濯機・エアコンなどがあるが、この時代、特にひとり暮らしの若者向けに、これらがスタイリッシュなブラックをまとった「黒色家電」が出始めていた。

 当然のごとく、僕も「黒色家電」にこだわった。冷蔵庫・洗濯機・掃除機・テレビ・エアコン…中でも電話は絶対これと決めていたのがトップ画像のもの。前述の「君の瞳に恋してる」でも使われていたやつだ。

 炊飯器もトップ画像にあるタイプの黒だった。すべてを黒でまとめるも、ここだけはちょっとキッチュでポップなデザインでハズしたつもりなんだろうか?よく覚えてないけれど、とてつもなくダサい。

 勉強用のデスクも黒、ベッドも黒、テーブル代わりのこたつも黒…シティボーイを目指す男の家にこたつ?!…この辺がさらにダサい。

 こうして、当時の僕が考えうるベストな環境でスタートさせてもらった東京ライフ。唯一であり最大の残念なポイントが、そこは代官山からは程遠い"八王子の山奥暮らし"だったことだ。いま思えば、僕がまったく東京の土地勘がないことから、引越し先を親任せにしてしまったことが誤りだった。

 30年以上前の八王子、京王線の聖蹟桜ヶ丘駅と京王相模原線の多摩センター駅のはざまに位置するアパートは、どちらの最寄り駅にもバスで出るしかなかった。

 その後、とんねるずの音楽ユニットで日の目を見ることになる野猿街道沿いに近いそのエリアには「LOVE LOVE」という、今でいうドン・キホーテをジャンル別に◯◯館と分けた感じのディスカウントストアがある程度だった。

 札幌の実家近辺よりも完全に田舎…代官山に出るにはバスに乗り、京王線の特急を使っても1時間以上はかかった。夢見た東京ー渋谷、原宿、代官山はとてもとても遠かった。

 話は「黒色家電」に戻る。それらはとてつもなく厄介だった。ひとり暮らしの十代男子、当然のごとく掃除などせず、黒色家電は埃をかぶっていく。そして黒ゆえに余計に埃が目立つ。僕の夢見た東京おしゃれライフ(恥)は開始早々に崩壊した。

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