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無事千字 二〇二四年四月五日 必需品でなく必潤品

 本日、54歳の誕生日を迎えた。毎年思う。「こんな感じで大丈夫か?」と。髪はすっかり白くなったけど、人間として成熟はしているのか?と。

 仕事で一緒になる方々には「若いですね。」と言われるが、ほぼ年下だし、話半分で聞いている。というか、最近は「それって、おじさんとして、まだまだ仕上がってないってことでは?」と、少し不安にすらなる。

 だからといって、何かのスキルアップのための勉強をするわけでもなく、トレーニングに勤しむわけでもなく、誕生日を契機に…とはならない。

 数日前から右肩が痛み、上げづらくなった。「これって五十肩?!」とビビり、ここ2年ほどサボりがちだったストレッチを再開した。いくつになっても追い込まれないとやらない性分は直らない。

 話を誕生日に戻す。4月に入ると、さまざまなECサイトから、誕生日クーポンなるものがメールやアプリに送られてくる。主にアパレルショップやスニーカーメーカーからのものだ。僕はこれに弱い。自分が登録してるサイト(アプリ)だから、大抵欲しいものがいくつかあって、お気に入り登録している商品もあったりして、改めてそれらを見直してしまう。

 「1週間7日しかないのに、靴何足持ってんだ?」
 「春のコートも、羽織ものもあるだろう」
 「冬のダウンもウールのコートも持ってる、持ってる」
 「セーターも、パンツも間に合ってるぞ」

 こんなことを自分に言い聞かせてなだめている。

 モノが欲しいではなく、買い物という行為をしたくなることがある。自分が欲しいと思うものが、軒並み値が張るものが多いし、前述の通り、間に合っていて、あったらいいな程度のものばかりだ。

 そんなとき、無印やユニクロで、それっぽいものを目にすると、買い物という行為に走ることが”あった”。これは必ず失敗する(すぐに着なくなる)ことが過去の経験で分かったので、今はしなくなった。

 欲しいモノの代替えであることが、最大の理由なのはもちろんだけど、とにかくトキメキが無い。

 必需品や消耗品であれば、そんな感情は必要ないけれど、ハレの日とまではいかずとも、仕事のとき、外出時に身に付けるものとして、やはり少しくらいは気持ちを後押ししてくれるくらいのトキメキは欲しいものだ。

 例えば、白いシャツなんて、すぐに黄ばんでくるし、消耗品だろってひともいるだろう。でも、少なくても僕にとっては違う。オックスフォード生地の厚み、サイズ感、襟の絶妙な大きさ、ボタンダウンのロール…やっぱいいなぁなんて思いながら袖を通す日がある。

 必需品ではなく、僕の気分を潤してくれる必潤品なのだ。この一年ほどは、だいぶおとなしくなったものの、己の物欲との戦いは、まだまだ続いている。





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