3、「好き」を仕事にすると幸せか?

 Paypayドームでコンサートなど興行の仕事をしていた時、ライブを観にいくとステージセットや音響照明、客入りの具合、演出などが気になって、純粋に楽しめなくなった時があります。

 同様に映画の仕事をしている時も、カット割りやシナリオ、役者のキャスティングや演技が気になって、映画そのものに入り込めなくなり、泣けなくなったことがありました。今はそうした仕事を離れて時間が経ったせいか、はたまた年齢のせいか、普通に泣けるようになりましたが(笑)。

 その時、思いました。「好き」を仕事にすると、「好き」なことを楽しめなくなりそうだと。

 でも、こんなことも思います。
 野球を好きだからと言って、イチローや松井秀喜みたいになれるとは限らないが、イチローや松井秀喜は間違いなく野球が好きなはず。

 その仕事を好きな人が上手とは限らないが、上手な人は必ずその仕事が好きなんですよね。

 「努力できるのも才能」とも言いますが、「好き」だと「努力」と感じないで、やり続けることができるのだろうと思います。

 実際、僕もリクルートで働いている時、毎日終電まで残業し、休みの日も仕事関係の本を読んだり、勉強したりとかなりの時間を費やしましたが、「しんどい」と思いませんでした。

 それをすることが好きで、楽しくて、成長する自分が嬉しくて、時間を忘れるくらい働きました。

 人間の才能の違いで、2倍3倍違うことは稀だと僕は思っています。
普通は多くても1、1倍とか1、2倍程度でしょう。
その程度の差ならば、努力する時間で充分挽回できます。

 就職試験で学生が「ゼミで00をかなり勉強してきたので、その知識を活かしたい」と熱く語ってくれることがあります。
それはそれで素晴らしいのですが、仮にゼミで毎週10時間2年間研究したとしても、合計1000時間にしか過ぎません。
 
 会社に入ると、残業無しでも1日7時間、1年間働くと合計1700時間です。

 1から初めて遅いことは何もないし、逆に学生時代の勉強にこだわりすぎて自分の可能性を狭める必要もありません。
 大学選びもゼミ選びも、広い社会と自分の適性を本当に知って、選んだ学生は数少ないと思うからです。

 僕が大切だと思うのは、その仕事について努力することが苦にならないか、嬉々として勉強できるか、ゲームに熱中するように、今やっている仕事に夢中になれるかだと思います。

 「自分は好きでやっているだけなのに、他人から見たら努力しているように見える」
そう思える仕事かどうかだと思うのです。

 でも、実際にそう思える仕事につくなんて、メッタにないんじゃない?と思いますよね。

 僕も、自分にぴったりの天職に出会うというのは確率が低いと思うのですが、それは「職」を探そうとするからじゃないでしょうか。

 違う観点で仕事をみると、努力を努力と感じない、努力が楽しくなる働き方ができると思うのです。

 ということで、今回はここまで。続きは次回に。


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