この人生は私が装備品を選んできたのかも…

私は自分に
「HSP気質だ」とか
「アダルトチルドレンである」とか
色々と自分にラベルを貼っていたように思う。

そしてそのラベルを
印籠のように『ドヤッ』て掲げてた。

だけど先日
印籠のように掲げていたそのラベルが
ただのシールのように感じるようになったなと
気付いた。

「こんなに大変なの」ってアピールしてたのが
私を構成する要素の1つであるだけって
認識に落ち着いたような感じ。

そこでふと浮かんできたことがある。
それは
「HSPなどの装備を
 自分で選んで生まれてきたのかも?」
ということ。

カウンセラーの根本裕幸さんの
ブログや本によくこんな話が出てくる。

「たとえば『平和』の才能(ギフト)をもっていたとして、その才能を活かせるのって、平和で安全な家庭と、親が不仲だったりする家庭とどっちだと思う?」

(間違ってたらごめんなさい〜)

あとはスズキチサさんも以前こう話していた。

なんでも願いが叶う世界にいたから、現世では色々なことを経験したいんだよ。

(間違ってたらごめんなさい〜)

こういった考え方が私の中に残っていたからこそ
出てきた発想かもしれない。

生まれる前の私が
お空の世界の担当者(笑)に
「現世に行く時、何を装備して行きたい?」
って聞かれて
「じゃぁ、HSP気質と、アレルギー体質と
 性格は何でも背負いたがりで
 精神疾患の母親と、威圧的な父親と
 才能(ギフト)は平和でお願いします」
って答えてるようなイメージ。

自分自身でハードモードを選んでる感じ(笑)

そんなふうに考えたら
ちょっと面白くなってしまった。

にっちもさっちもいかないこの世界が
自分でハードモードを選んだ結果だとしたら
笑うしかない、というか本望でしょ?って感じ。

そう思ったら
なんだか少しだけ気持ちが楽になった。

なんだろう
自分ではどうしようもできない事柄だと
思っていたことが
実は自分がそう望んできたのかもしれないと
考えたら、ちょっと救われた感じがしたんだ。

なんだかうまく言葉にできないけど。

誰かから勝手に与えられたものではなく
自分で選んできたのだと。

どうしようもなく翻弄されているのではなくて
ちゃんと自分で選んでここにいるんだと
思えるからかなぁ。

わけも分からず与えられたものではなく
自分で選んだものだから
この先の未来を選ぶのも自分でいいって
思えるからかな。

得体のしれない『人生』ってものが
少しだけ『見えた』ような気がしたんだ。


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