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仕事道 キャリア・カウンセリング/キャリア開発のための人事制度講座(45)

 本日3月5日(註:2005年3月5日)はキャリアデザイン学会の研究会があって、玄田有史先生の「キャリアと仕事道」と題したお話を取り上げたのでした。

 内容についてまとめたり、コメントしたりというのは時間もないし、コメントなんて滅相もないので、聞きながらPCに打ち込んだものを箇条書き、抜粋してお知らせします。

★まずは最初、川喜多喬先生のご挨拶・・・

 キャリアとは道筋のことである。
 映画ベン・ハーのシーンにでてきたあれである。
 室町時代には仕事のことを道といった。
 ちなみに「トリビアの種」(註:当時、とても人気だったテレビ番組のこと)のビアもみちのこと。
 3つのみちでトリビア。
 フランスの基本的な学数科目を指す。
 もっとも基本的なものでとても簡単なので「取るに足りないこと」の意味になった。
 三つのみちといえば、三途の川のも3つのみち。
 生前の行いによって、川を渡るルートが違って、それが浅瀬から深みまで3種類ある。
 渡り終えたときの服の濡れ具合で生前の罪の深さが分かってその先の地獄に違いが出るが、こっそり人の服と入れ替えてしまう輩がいる。
 濡れた服を着せられるので「濡れ衣」という。

 う~ん、いつもながらにお見事。
 もっときちんと再現できればな~。

★本編「キャリアと仕事道」(玄田有史先生のお話)

 仕事道とはキャリアの意訳。
 キャリアの良い訳が無くて考えていた。
 「14歳からの哲学」と「漫画道」のぱくりではある。

 「ニート」で取り上げた兵庫のトライやるウイークは、もともとはキャリア教育ではなく酒鬼薔薇事件であり、地域で中学生を支えていこうというのが目的だった。
 最初は非難囂々。勉強はどうする、事故が起きたらどうする。
 でも子供の顔が本当に変わって、理解された。
 実際に何をやっているのか? 派遣された職場で言われているのは「ちゃんと挨拶しろよ」。
 中学生にとって、親、先生以外のオトナとのつきあいは苦しい。
 これを9時から3時までやると本当に苦しい。
 挨拶をしなければならないのも苦しい。
 でも2,3日目にできるようになる。そこで顔が変わっていく。

 行き先は基本的に行きたいところ。
 女の子は美容院が多い。
 美容院は一人親方なので結構厳しい。最初はよく起こられる。でも3日目にはできるようになる。そこで気を利かして「次何しましょうか」と声を掛けたらしかられた。
 お客さんの頭にはさみを当てているときにはしょうもない話はしないものなのだと。

 DPEショップでは、「お店を出ていく絶妙のタイミングでお客様にありがとうございましたといえ!」といわれる。
 絶妙のタイミングとはお金をもらう、おつりを渡すときではなく、お店から出ていくときの背中に向かって言う。
 最初は間が悪い。帰り際に声をかけたら「何?」と立ち止まられたりする。それでも最終日には、うまく言えるようになる。

 目に見える効果の一つは不登校の子が学校に行くようになること。
 彼らには家にも学校にも居場所がない。
 どこへ行きたいと聞いても答えない。どこに行きたくないかと聞くと「人混みは嫌だ」というので、「じゃぁペットショップはどうか」。
 ペットショップでは何件も断られるが、中には1軒くらいOKのところがある。そこに行かせると、時間になっても戻ってこない。居場所を感じて戻ってこない。
 不登校の2人に1人がトライやるウイークを経験、そのうちの3人に1人が学校にくるようになる。

  ☆      ☆      ☆      ☆

 やりたいことがない-という子にどうする?
 ジョブカフェに行くと、そういった子に対処できる人は技がある。
 小学校の時の低学年の時に好きだったもの。これならでてくることが多い。

「何になりたかった?」
「野球選手」
「それは今は無理だな。だけど、そのことで何か覚えているものはないか?」
「野球を見に行ったとき青い芝生の美しさに圧倒された」
「そうか、その芝生はどうやって作るか調べてみよう」
「どうやってですか?」
「インターネットでだ」
「調べました、こんなところがあります」
「じゃ、電話してみろ」
「求人してませんよ」
「いいから電話掛けて、どんなに芝生が好きか言ってみろ」

-で、実際に実際に行くことになり、面接もした。
 運転ができないといけないと言うので、彼はペーパードライバーだったから、運転の練習もした。
 最終的にどうなったかは分からない。

 とにかくやりたいことをやっている人の横にいろ。
 見ておもしろそうならそこから考えろ-という人もいる。

  ☆      ☆      ☆      ☆

 やりたいことがなければいけないとは思わない。

 売れてる本の条件を聞いたことがある。
 一つ目は誰に読んでもらいたいかはっきりしていること。
 二つ目は一言でいうと何?かが言えること。
 三つ目は妥協してはいけない、けれど意固地になってはいけない
 この三つ目はキャリアにも言える。

 あるプラント・エンジニアがトラブルなどが相次いでにっちもさっちもいかなくなったことがある。
 そのとき、「とにかく開き直ろう、でも諦めるはやめよう」と思った。
 それで最後までやり遂げた。

 これが伝えられることがキャリア教育では?
 「ちゃんといい加減に生きる」ということ。

 吉本興業の横澤さんは新人研修で「社会人になると必ず壁にぶつかります。でもそれは乗り越えられません。学生時代に培ったものは全然通用しません。壁にぶつかったら壁の前でちゃんとうろうろしていればいい」という。
 うろうろしていると偶然壁に穴が空いているのを見つけたり、自然に崩れたり、だれかたすけてくれたりということが起こる。

 再就職支援会社に行くと「4~5行でどんな仕事をしてきたかを書いてください」といわれる。
 これが書けない。
 お客さんから評判のいいドライバーがいて、どんなことを心がけているのかを聞いたら「自分は決めたことがある。これをしないとトラックに乗らない。それは乗車の前に必ずトイレに行くことだ」
 こうしたたわいもないけれど大切にしている一言が誰にもあるはず。

 大学の授業評価がされる。
 分かりやすい授業は本当によい授業か?
 分からないけれどなんだか気になる。調べてみよう、考えてみようと思うのが大学の授業ではないか。
 何でもわかりやすければよいと言うものではない。
 世の中分からないものも多い。

 ウィーク・タイズも大切。
 転職して良かったか、良くなかったかは、誰に相談したか、誰の助言を得たかにも関係があって、うまくいくのは会社の外のたまにしかあわない友人に相談したとき。
 そうした緩やかな関係が大切。
 それは例えば小学校の同窓生。

  ☆      ☆      ☆      ☆

 やりたいことはなければいけないのか?
 夢をもとうというが、そういうのは成功した人しかいない。
 好きなことをやろうというのも、それでうまくいったからそういっているのかもしれない。
 「13歳のハローワーク」も好きなことがあれば有利といっているだけで、無ければいけないとは書いてない。

 やりたいことをやれと親がいうのが子供の混乱を招く。
 何をやってもいいけど、「これだけはだめ」というのがあった方がよい。
 それに根拠はなくても良いと思う

★やりたいことを仕事にすべきか?

 以上、玄田先生の話がうまく伝わっていればいいのですけど。
 ところで今日出てきた話題に「やりたいことを仕事にすべき」「やりたいことを仕事にしてはいけない」のどちらが正しいのかというのがありました。
 私はどちらも間違いだと思います。
 やりたいことを仕事にしたら絶対うまくいくわけでもないし、やりたいことを仕事にしなかったら絶対うまくいくわけでもない。
 どちらも確率論でしかない。
 そうなる人が多いよ。
 あるいはそういう発言をする人の経験だけだったり。
 でも、当人にとっては、確率論はなんの意味もない。
 60%の確率であっても、本人にとっては○か×。

 それよりも、どちらかを本人が決めること。
 やりたいことを仕事にしたいと思うのか、仕事にしたくないと思うのかを。
 どっちが当たりかはやってみないと分からない。
 もっというと当たりかどうかは人生終わってみないと分からない。

 こんなところでなんですけど、私、今の配偶者と結婚して本当に良かったと思っています(今はね)。でも、10年と少しの間、後悔したことがないかというと、そんなことはなくて、え~と思ったことも多々あります(註:30年たった今も、本当に良かったと思っています。え~!!と思うことは本当に、本当に多々ありますが…)。
 やりたいことを仕事にするかどうかもそんなものではないでしょうか?
 やりたいことを仕事にしていて良かった~ と思うときもあれば
 こんな辛いならやめとけば良かった~ と思うときもあると思うのです。決めつけは禁物!!

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