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母がゆかたを新調した

〇月〇日 木曜日

母は、午前中横浜に行くと言って出かけた。ちょうど昼に帰ってきたが、弁当も何も買ってきてなくて、昼食はお茶漬けだった。

母は、ゆかたを買いに行ったのだと言った。そのゆかたは、死んだときに着せてもらうものだそうだ。古いのをもっているが、そろそろ新しくしておかないといけないと考えたという。値段が上がっているだろうと思ってはいたが、4万円以上もしたので買わずに帰ってきたのだという。

こわくて聞けないのだが、そのゆかたというのはいったいなんなのだろう。 まさか白いゆかたなのだろうか? わたしとしては、高くて買えなくてちょうどよかったという気がしている。そもそもなんでそんなものが必要なのかもよくわからない。そういうのは葬式屋が用意するのではないのだろうか?


〇月〇日 土曜日

今週もいつものように午後から、妹が旦那と二人で来た。とつぜん「そういえば、今日はおばあちゃん(母の母)の月命日だ」と母が言い出した。妹がクルミのお菓子を買ってきて、一瞬だが仏壇に供えたと言ったので、母は、「それでいいわ、おばあちゃんは大ネズミのすることはわかってるわ」と言う。

母が大ネズミで妹が子ネズミ。二人とも干支がネズミなのである。むかし、妹がまだ幼いころに、「子ネズミは賢いが大ネズミはねえ」と母はおばあちゃんにあきれ顔で言われたことがあるのだという。いったい何をやらかしたのだろうか。

おばあちゃんは県会議員の娘で、しっかり者という評判だったらしいから、さぞかし母が心配だったのかもしれない。死んだときに着せてもらうゆかたに妙にこだわっている母をみていると、おばあちゃんの心配ももっともな気がしてくる。

ゆかたは近くの呉服屋に年寄向きの柄で手縫いの仕立券つきで3万2千円のものがあったので頼んできたという。母が、妹に死んだときに着せてもらうゆかたの話をすると、病院に勤めている人間らしく、即座に、「入院するときに持って行ってしっかり言っておかないと着せてもらえないからね」と、えらくドライな話になった。母が相手だからなのか、妹は時として非常にドライにみえることがある。もっとも、母本人が死んだときの話を自分からしてるわけだから、気を使う必要なんてないのかもしれない。

でも、普通は、娘なら、「おかあさん、なにいってんのよ、そんなに元気なくせに」くらいは言ってから、ドライな話を始めるもんなんじゃないのか、とちょっと思ってしまった。まあ、いつもの妹である。そういうところが賢い子ネズミたる所以のような気もする。

母は、5歳下の同窓生が、亡くなったときにありったけの着物をお棺に詰め(られて)ていた、というその友人から聞いたという話をした。母は、自分にはお棺に入れてもらう着物もないし、といったが、話しているうちに実際にはなにか良い着物がいくつかあることを思い出したらしく、妹に「欲しいならいまのうちにみておかないとどこかいっちゃうわよ」というと、妹は話の途中でさっさと席をたって探しに行き(ほんとにもらうつもりなのだろうか)母もついていったので、わたしは、妹の旦那を残して、さっさと仕事部屋に戻った。


〇月〇日 土曜日

今週、妹はひとりできた。母は、午前中に呉服屋からゆかたが仕上がったという電話があったせいでご機嫌だった。予定よりも1週間以上早い仕上がりだった。

着物は、おばあちゃんが生きているときは、すべて縫ってくれたという。わたしの父も、おばあちゃんが縫った着物が非常にお気に入りで、絹の着物を毎晩着てすぐだめにした、という話を母はした。わたしも父が毎晩着物姿だったことは覚えていたので、それは紺の着物だろう、と言うと、母は、「いいえ茶色だったわ」とにべもなく否定された。わたしには茶色の着物はまったく記憶になかった。

母は、絶好調で、昔のことを思い出したらしく、わたしの幼稚園のときの二大事件は、わたしが池に落ちたことと、妹を運動会で忘れて帰りかけたことだと笑いながら話した。母が気付かずに帰ろうとしたのを、おばあちゃんに、「アイ子はどうしたの?」と言われたのを思い出したのだろう。まさに大ネズミの面目躍如である。

そのとき意外だったのは、わたしが池に落ちたあと、母は幼稚園には来なかったらしいことである。母が乗換駅のバス停で待っていたら、朝とは全く違う服を着て、自分の服を手に下げた袋に入れたわたしがバスから降りてきたのでびっくり仰天したそうである。そういわれてみるとそうだったかもしれないが、まったく記憶にない。

ちなみに、わたしはバスで通っていた同級生と一緒に、毎朝バスに乗ると最後尾に走っていき、リアウィンドウに張り付いて、見えなくなるまで母にむかって泣き叫んでいたという。それもまったく記憶にない。


〇月〇日 土曜日

今週も妹はひとりでやってきた。母がカレンダーの金曜日(昨日)のところに赤マジックで書かれた「上り」という文字の意味が不明なの、と妹に聞いた。朝、わたしも聞かれてまったく記憶になく、答えようがなかったのである。もちろん、妹にもわかるはずはなかった。

ところが、それからしばらくして、カレンダーのその文字をみたときに、最初にそれをみた時にはハッキリとその意味を理解していた、という記憶が甦ってきた。

その時は完全に意味のある言葉だったのだから、わたしも知っているなにかのイベントだったに違いないが、さてそれはなんだったろうか、と考えているうちに、「ゆかたの仕立て上り」だったことを思い出した。先週の土曜日に呉服屋から電話があったので、もうカレンダーのしるしは用なしになっていた。それで母は、何のために書いたのかも忘れてしまったというわけなのだった。

実は、先月にも似たようなことがあったばかりだった。カレンダーの17日のところに黒いボールペンで「ティッシュ4/15」と書かれていたのに、母は何のために書いたのか忘れてしまっていた。ティッシュと書いてあるのだからティッシュに関係することなのだろうが、普段赤マジックしか使わないのに、黒ボールペンというところも気になった。

こちらは、未だに謎のままである。


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