手のなるほうへ進むよ

近頃、僕にとって致命的な事実に気づいてしまいました。それは「僕のやろうとしていることは、スポーツビジネスにおいて価値のあることではない」ということ。ここ数年スポーツビジネスに足を突っ込もうと、それなりの労力をかけてきた僕にとって、この事実は非常にショッキングなことでした。
スポーツビジネスにおける価値とは、つまりカネです。当たり前です。ビジネスだもの。
そのカネという尺度において、僕の信念がいかに価値を持たないかを痛感することとなりました。それも一度や二度ではなく何度もなので、確信できるのです。
具体的に何がどうだったとかいうことを言うつもりではないですし、そういう問題ではないんです。

W杯の決勝と子どもの運動会、どちらがスポーツイベントとして優れてるのでしょうか。野暮な質問です。でもスポーツビジネスにおいて、どちらがカネを生み出すのかは明らかです。じゃあスポーツビジネスを追求するだけで良いのかと。考えればどうすべきかは分かる話ですが、この前提すら理解されず、スポーツビジネスこそが全てと思われてしまう風潮が予想以上に進行してしまっているのは残念なところであります。僕の生きがいは、スタジアムに来た人をどう楽しませるかを考えることなのですが、やはりビジネスを基準にして考えるのは限界がありました。

ありがたいことに、僕の「やれる」ことはスポーツビジネスにおいてそれなりの価値は生み出せることはここ数年いろいろやってわかりました。ただ、それは僕の「やりたい」ことで評価されていたのではないことも感じました。
そして逆にスポーツをカルチャーとして生きる人たちは、僕の「やりたい」ことで評価してくれたというのもありがたいことでした。スポーツビジネスで生きなくてもいいんだ、というのは、長く続いた疑念から解放されることでもあり、また寂しい現実でもあるのです。

これはここ最近気づいてしまったことのうちの、表面上のほんの一部のことに過ぎないのかもしれません。その恐怖も、発展的可能性もまだまだ存在します。

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