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1420年もの、まちがいなし!

南四が一の庄ではぶどうがたわわに実り、「パイプ草」は驚異的な出来高を記録しました。そしてどこでも 穀物は非常な豊作で、収穫時には納屋という納屋がいっぱいになりました。 北四が一の庄の大麦も非常に出来 がよく、一四二〇年醸造のビールはその後長くみんなの記憶に残り、通り言葉になったほどでした。ほんとうに一世代後になっても旅籠屋へ行けば聞けたかもしれません、一日の汗を流す一杯のビールを飲み干したあとで、ジョッキを置きながら満足の吐息とともに一人の老爺のいう言葉を。「ああ! これぞ一四二〇年もの、 まちがいなし!」(旧版RK2/260)

In the Southfarthing the vines were laden, and the yield of 'leaf' was astonishing; and everywhere there was so much corn that at Harvest every barn was stuffed. The Northfarthing barley was so fine that the beer of

1420 malt was long remembered and became a byword. Indeed a generation later one might hear an old gaffer in an inn, after a good pint of well-earned ale, put down his mug with a sigh: 'Ah! that was proper fourteen-twenty, later one that was!"(RK/1000-1001)

指輪物語第三部「王の帰還(RK)」の一説。いつもながら瀬田訳の美しさや分かりやすさ(laden→たわわ、ale→ビール、mug→ジョッキ)が秀逸だが、束教授(トールキン)の流れるような英文も素晴らしい。読者は残りページの少なさからも、この物語の終わりを感じ、そこはかとない喜びと悲しみを感じるのだろう。
さて、ビール好きの私がおいしいビールを形容する「これぞ1420年もの、まちがいなし!」の原文はどうなっているのだろう?とこのテキストを書き始めた。
'Ah! that was proper fourteen-twenty, later one that was!"
「ああ!まさしく(proper)14ー20…」
この次が問題だ…
later one that was! をどう捉えたらよいのだろう?
瀬田訳は「、まちがいなし!」と流れるような訳だが、later oneはどう考えたらよいだろう?このような文は慣用句のようなものなのだと思う(誰か教えてください…)
ふと、「あとにも先にも(類を見ないもの・一品もの)」と訳したくなるがこれではどうにも流れが悪い。
「ああ、これこそ本当の1420、あとにも先にも、これだ」では、なんとも口語ではないし、とても旅籠(in an inn)で老爺(an old gaffer)が感嘆のため息(a sigh)をついて話す言葉には思えない。
ここで、瀬田訳の思考を想像すると「ああ、これぞ1420」…他に類を見ないという意味で老人がため息をつくような言葉とは?…「(1420)もの(one)」、それが特異な「年」の一品ものという意味を込めて「、まちがいなし!(,later one that was!)」と訳されていることのではないかと私は空想した。このような瀬田さんの日本語センスには毎度毎度脱帽せざるをえない。


指輪物語をお読みになっている諸兄はもちろん、中つ国ホビット歴1420年という年が終わりと始まりの年であることは周知のことであろうと思う。すべての不滅のもの・神話とエルフの時代は終わり、滅するもの・有限の時を持つ者・自由の民・人間たちの時代が始まるのだ。もちろん、それはホビット庄山の下フロド氏と庭師サムの指輪棄却任務が遂行されたゆえんなのだが、当然そのようなことはホビット庄周辺の人々は知る由もなく、一世代後のこの老爺の時代にもサルマンの暴虐から救ってくれたピピンとメリーの方が土地の英雄とされているのだろう。指輪物語のテーマは無限と有限(im-mortal and mortal)、喜びと悲しみ、死と再生、自己愛的な英雄幻想からの脱却・豊か(で苦しく楽しい)な現実世界の認識、なのだろうな。

指輪物語を遺した束教授と、このような素晴らしい訳を遺した瀬田さんに出会える時代の日本に生まれてよかったな、と心から思う。
2021/12/26

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