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ヘルツウォークと川島雄三


一視聴者の映画の感想です

「シュトロツェクの不思議な旅」
1977年・ヴェルナー・ヘルツウォーク
「洲崎パラダイス赤信号」
1956年・川島雄三

何故か続けて観た

似ている映画だったので比較してみる 「シュトロツェク〜」は同監督初期作品「小人の饗宴」と同じ風刺
ただシュトロツェクは身長165センチ、体重58キロなので「小人〜」より映画の鑑賞者に近い存在となる
近いが一般的なドイツ人よりは小さくて、小さい=卑小、象徴としての卑小さはある

これらの映画は
「訳も分からず生まれ訳も分からず死んで行く卑小なものたちが、生きてる間中、しでかす、それは往々にして反復する行為をもってしでかす、愚かな行いの記録」
と解釈した
鑑賞者は多かれ少なかれ自らの人生の卑小さを省みることになる
エモーショナルな出来事に反応しては同じことを繰り返す人々の日常を鳥の仕掛けの玩具が表している

洲崎パラダイスも同じコンセプトではある
身体を売って生きるしか術のない女と駄目男の組み合わせも同じ
しかし川島雄三監督の作品には別な見どころが満載

垢染みた着物にべかべかした安物の帯を絞めた新玉三千代がイザベラ・バートの言うところの、ヨタヨタと歩く、けれど、小股は切れ上がってるし頭から胸へのシルエットはミニマムな美、美そのもの!

一枚の反物から縫い上げたところの着物は着ているのではなく巻いて紐と帯で締めている、そこから細い前腕が伸びて駄目男を抱き締める、勝手に上がり込んだ家の古くて臭そうな布団の上で 抱き締める

「シュトロツェク〜」の方が身につまされるから教訓とはなる

「洲崎〜」は何故か美、全て美、新玉三千代と一緒なら貧乏な駄目男もめいっぱい幸せな人生に見えてしまう

寧ろ貧乏な方が愛が際立つくらいに

卑小な自己が前提で残るは美しさと愛ということ?

卑小でなくなろうと猛烈に喘ぐ卑小な者の映画をヘルツウォークは撮ってる、アギーレもヴォイツェクもフィツカラルドも

川島雄三は美しい卑小な者たちを撮っている 

そう思った


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