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「広島の風」 #14

<流転>
 かつて物産陳列館と呼ばれた建物が「原爆ドーム」と名を変え、平和都市広島のシンボルとして鎮かに広島の復興を見守り、世界平和を希求している。
 原爆ドームの北隣にある商工会議所のひと部屋を借りて「株式会社廣島野球倶楽部」設立式がとり行われている。四階建で鉄筋コンクリートのこの建物は昭和十一年に完成し、市内一円を見渡すことのできる展望台を備えている。原爆投下後、この展望台には私のような外国人ジャーナリストやGI、日本人ジャーナリストらが訪れ、焦土の広島を俯瞰撮影した。
 あの日、原子爆弾がこの建物のほぼ真上で炸裂し、爆風によって窓ガラスと屋根が破壊、焔が内部を焼亡させた。当時この中にいた三十人ほどの職員は、全員落命した。
 地下一階にある「集会場」という五十人ほどが収容可能な部屋に並べられた席はすべて埋まり、背広姿の財界人や記者たちが歓談に耽っている。
 この晴れ舞台に東京から駆けつけた代表の永野重雄をはじめ、松原昇太郎、石本秀一、伊藤信之、河口豪ら廣島野球倶楽部の関係者、住友銀行の日本橋支店長で広島出身の葛城剛一、広島県知事の楠瀬常猪、福山市長の藤井正男、広島市長の浜井信三、広島市助役の山下久義らが登壇していて、横並びにされた椅子に腰掛けている。
 ゆっくりと立ち上がった永野が、場内に集まった財界人に深く頭を下げる。
「ただいまより、株式会社廣島野球倶楽部の設立式を行います」
 挨拶のあと、永野は「株式会社廣島野球倶楽部設立趣意書」を読み上げる。
 広島カープの産声とも言えるこの趣意書を読み上げることが叶わなかった松原は、果たせなかった己の宿願は噛み殺し、広島市民の夢と希望がこうして形になろうとしていることを素直に喜んだ。
「それでは、広島カープの監督に就任することが決まった、広島野球の雄、石本秀一さんのご挨拶です」
 永野がそう紹介し、その場を石本に譲る。
「私にこのような機会を与えて頂き、深く感謝いたします」
 石本は場内の財界人に感謝の意を述べたあと、朴訥ながらも強い野望を感じさせる言葉で締めくくる。
「あの巨人の名ショートで広島出身の白石を助監督兼任選手として入団させます。さらに、いい選手が続々と入団する予定です。みなさまにおかれましては、新生広島カープへの篤きご支援を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます」
 集まった財界人や記者たちがざわめく。
 石本の挨拶が終わり、伊藤が「増資へのご協力のお願い」をする中、場内では「やはり、あの噂は本当だったのか」「巨人の白石が入団するとは胸が熱くなる」「我が社も出資するぞ」と、みな意気軒昂としている。
 挨拶を終えて着席した石本は、壇上にいる役員たちに、
「みな、この場では支援をしてくれるようなことを言うとるが、たかだか戦後四、五年しか経たん中、そう景気のええ話があるとは思えん。どこも経済状態は良うないし、楽観視しとると危険じゃ。カープは当分、財政難が続く覚悟をしておいたほうがええ」
と、その空気を引き締めるように言う。
「はたしてそうだろうか。あの役員の顔ぶれを見るに、なんと豪華なことか。どれも広島経済界の大物ばかりではないか。あの面子が揃えば銭などすぐに集まりそうなものだ。それに、我が広島市はもちろん、広島県、福山市をはじめ、県内の市区町村が一丸となって支援する予定でいる。この場内の熱量を見よ。これぞ広島人、野球きちがいだよ。ねえ、浜井さん」
「ああ、そうですな———」
 山下の問いかけに蚊の羽音のような声で返す浜井は、広島市民の夢と希望が具現化しようとする瞬間に立ち会っているにもかかわらず、その瞳に輝きはなく、煩悶とした表情を浮かべている。
 実は、昭和二十二年にはじまり、翌昭和二十三年にも開催し、以降も毎年続ける予定でいた広島市主催の「広島平和祭」が、「不穏な朝鮮半島情勢のため」という理由で、この昭和二十四年夏のそれと、翌二十五年についても中止とされ、以降の開催も未定であるとの通達をGHQから受けていた。「広島平和祭」の中止は、彼らが世界平和を希求する場を奪われることを意味し、それはすなわち、浜井の肝煎りである、市長による「平和宣言」の発表の場を奪われることを意味する。これが浜井の煩悶の正体であった。
 GHQが相手ではどうすることもできない彼らは、どうにかこれをすり抜ける方法はないかと市の職員と知恵を絞っているところであった。下手な強硬策に打って出れば自分たちだけでなく市の職員までもがGHQに逮捕される危険もある中で、日常の復興業務に携わり、身を粉にして働きながら、どうにかして彼らに屈しない手立てはないかと呻吟していた。


「さあ、もう少しで完成だ」
 広島市の中心部から東へ二キロほどのところにある比治山の頂上には、いつしかアメリカ軍が原爆の「成果」を分析、研究するABCC(原爆傷害調査委員会)の施設が建っていた。そこから見下ろされる格好となったこの場所に建設中の孤児院が、どうにかそれらしくなってきていた。
 頂上の施設にはとうてい及ばないささやかなものだが、街に無限にひしめくバラック小屋から比べれば、格段に立派である。
 戦後の各都市における食料事情と住宅事情はいまだ完全なる改善を見ない。食料については希望の萌芽が見えつつあったが、住宅不足は以前に増して深刻であった。他県からの流入者に加え、復員者や引揚者で街は溢れ、広島市の人口が爆発的に増えていたことがその原因であった。私はいくつかの建築業者にかけあい、市民用の住宅をできるだけ用意するよう尽くしたが、まるで間に合わない。
「うちらはね、一生あの原爆スラムで暮らすのよ」
 私財を投じた孤児院が完成したあかつきには、静代を住み込みの職員として雇おうと考えていた。彼女のこの反応は予想どおりであったが、私は女性としての彼女と、作家としての彼女にとても惹かれた。
 静代について興味深かったのは、あれほど他人との接触を拒み、卑屈になっていた彼女が、私たちのところへ顔を出すようになってからは、ほかの「原爆乙女」や「原爆孤児」である子供たちを励まし、その卑屈になってしまっている精神を糺し、鼓舞する役目を担うようになっていたことだった。
 私はあれから、藤田、シュメルツァーと協力し、静代ら「原爆乙女」の渡米費用を市や県、ABCCにも要求し続けた。しかし、その結果は愕然とするもので、いずれにもことごとくあしらわれる有り様だった。とりわけ、広島市の浜井市長から断られたことに私は落胆したが、彼らとしても目の前の復興で手一杯な上、少ない予算をほかにまわす余裕もなく、また、GHQに睨まれる材料を増やしたくないという事情があるため、致し方なかった。とにかく、私たちの理念は理解してくれても、支援を集めることは困難を極めた。
 なにかを新しくつくるいうことは、想像を絶する労力と苦悩、それに膨大な金銭を要する。このささやかな木造施設もそうである。私はこの孤児院建設のため、持てるだけの私財と労力を費やした。
 完成間近のこの施設を「比治山ハウス」と名づけ、胡町教会の信者や、菜園でともに種を植えた子供たちをここに呼び寄せ、共同生活をはじめることにした。
 人が宿り、生活物資が入ると建物は命を吹き込まれたかのようになる。私は彼女たちと、孤児院のまわりに夾竹桃の苗を植えた。夏になれば一面に、可憐な少女のような花を咲かせて、私たちの心を癒してくれるに違いない。
 プロ野球チームの誕生が決まってから、この街には明らかな疾風が吹いている。なにかに向けてひた走るかつての情熱的な広島市民の特性がよみがえったように思える。
 選手集めに奔走する石本は、当初の計画がすべて順調に進んでいると新聞記者に伝えていた。しかし実際には、球団の資本金集めが難航しており、当然ながら資金がないことには選手集めもままならない。
 私は、広島市民を昂奮状態に陥れているカープの誕生と、監督就任が決まった石本についての記事、来日したドッジについて書かれた新聞記事を熟読する。
 GHQの経済顧問としてこの年、来日したジョゼフ・ドッジは、いっこうに終息の見えないインフレーションを抑制し、経済を立て直すため、金融の引き締めを行った。その結果、日本を襲っていたハイパーインフレーションの抑制には成功したものの、今度は激しいデフレーションに振れ、復興しかかっていた経済が萎縮、庶民の暮らし向きが無様に転がり落ちていた。


 羽田空港近くの漁村で借りた小舟に揺られ、まるで隠遁生活を送る翁のように静かに釣り糸を垂らす白石。水面を浮きが揺らすも、白石はこれを見つめたまましばらく気がつかない。浮きが大きく上下してようやく気がつき、釣った魚を上げ、魚籠におさめる。
 そこから離れた後楽園球場からはバットとグラブの音、それに若き巨人の選手たちの瑞々しさ溢れるかけ声がして、成長期を迎えようとする街の風景と見事に馴染んでいる。
 練習に耽る選手の前に、竿を肩に乗せ、魚籠を腰に下げた白石が現れ、視線がそちらに集まる。みな、白石の姿を見て練習動作を止め、呆然とする。
「みな、どうしたんだ。わしが釣りをするのが、そんなに珍しいか」
 ベンチに腰掛ける監督の水原茂が、選手たちの沈黙を破るように声をかける。
「よう、浦島太郎。お前、広島に行くんじゃなかったのか」
 水原に新聞を手渡された白石は、自分が広島へ移籍すると書かれた記事に驚く。
 上京した石本は白石と会う前、水原と会っていた。そこで石本は白石を譲るよう水原に頼み込んだのだが、その後、会った白石にはそれを伝えず、彼が店を出たあと水原に電話で「白石の広島移籍は本人の意思である」と伝え、巨人との間で契約書を勝手に取り交わしていた。それが報道されて大衆の知るところとなり、みながこの移籍話を知っていた。つまりこの時点で白石移籍の話を知らないのは、白石本人だけという状態であった。
「それから、奥さんから球団事務所に連絡があった」
 急いで球団事務所に駆け上がり、デスクの電話を強引に借りて、自宅にいる夫人と連絡を取る白石の姿に、球団職員の目が点になる。
『あなた、広島に入るんですって。私、なにも聞いていないわよ。今朝、あなたが釣りにいらしている間に契約書が届いて驚いているのよ』
 自宅に広島カープからの契約書が届いて驚く玉江は、受話器から漏れるほどに声を張り上げ、夫に戸惑う気持ちを伝える。
「わしが一番驚いとる。寝耳に水だ」
 グラウンドに戻った白石が水原に問い詰めても「白石本人がそう望んでおると石本さんが言うものだから、そうだと信じてしまった」と繰り返すだけで、契約の取り消しを迫るも「すでに契約を取り交わしてしまった」と突き放し、まるで要領を得ない。
 釈然としない白石は帰宅し、狼狽しながら事の経緯を玉江に話した。
「やられた。石本さんと会うたとき『広島に帰りたいじゃろう』と言われたから、てっきり里帰りのことだろうと思って『はい』と答えてしもうた。そうしたら、石本さんはそれを『白石が広島カープへの移籍を望んでいる』と意図的に曲解させて水原さんに伝えた上に、球団同士で勝手に移籍の契約を結んだんだ」
 白石の野球にかけるひたむきな情熱は戦後になっても衰えることはなかったが、かつてほどの高揚感はなく、結婚し、家庭を持ってからは、それだけで野球をやっていたころとは彼の中で占める野球の位置に変化が起きていたことは明らかであった。ましてや戦後の、一寸先も見渡せぬ暗然たる社会情勢の中では、白石とて今日を生きるのに精一杯であり、自身の契約についてセンシティブになるのはなおさらのことである。
「このような行為が罷り通るとは世も末よ。本人の意思に反して勝手に移籍契約を結ぶなど笑止千万だが、いずれにせよ、わしは石本さんのチームに入ることだけは、絶対に厭だ。石本さんは地元野球の雄で、尊敬もしとるが、それとこれとは別。あのような『野球の鬼』のスパルタにはついていく自信がないし、あれに関わったら体がいくつあっても足りん」

 石本は、広島市内の沿岸部、吉島にある古びた一軒家を知人から格安で譲り受け、暮らしていた。
 ずぼらな石本の性格は新居に移っても変わることなく、食べたものは食べっぱなし、脱いだ衣服は脱ぎっぱなしであったが、これを黙って支える扶美代は典型的な日本人女性で、夫には反論、賛意どちらについても、意見したことがなかった。その扶美代が、石本の広島行きが決まった際に周囲から止められたことに対して「周囲の反対などお気になさることはありません。私は広島でもどこでも、あなたが行かれるところに妻としてついて行くだけです。広島でやりたいと思われるなら、ぜひそうなさってください」と珍しく自分の気持ちを伝え、夫の広島行きを後押ししたという。
 電話口に立つ石本はメモに記した白石宅の電話番号を、瓶底眼鏡を外し、目元まで持ってきて凝視したあと、ダイヤルをまわす。
 電話を受けた白石であったが、話を聞かずとも石本の用件をわかっていて、開口一番に断りを入れる。石本はそれにもめげず、電話口で平身低頭し、白石への説得を続ける。
「敏さん、そがいなことを言いんさんなや。広島にはあんたがどうしても必要なんじゃ。あんたさえ来てくれたら、ええ選手も集まるしチームも強うなる。安心せえ。前にも話したとおり、わしは監督とはいうてものう、貧乏球団の悲しい宿命か、銭集めに走りまわらんといかんので、どうやら監督業に専念することは難しそうじゃ。そこで、敏さんには選手兼任の助監督を任せたい。つまりは実質、あんたが監督みたいなもんよ。そういうわけで、このとおり、わしを助けてくれ」
 石本は、白石だけでなく、後輩である阪急監督の浜崎から紹介を受けた選手や、とにかくプロ野球選手と肩書きのつく者、はたまたそれだけでは足らないのか、大学野球の経験者にまで探索網を広げ、電話攻勢を開始していた。
「そうなんじゃ。なんとかええ選手をうちに譲ってくれんか。実は、巨人の白石がうちに来ることになったんじゃが、それ以外に目ぼしいのがおらんのよ。わしはのう、広商の後輩であるあんたしか頼るところがない。浜崎よ、無理を承知で頼む、このとおり」
 それでも選手集めは困難を極め、獲得できた選手は、澤村榮治とは小学校の同窓で阪急の左腕、内藤幸三や、同じく阪急の内野手、武智修など、かろうじて名のある選手が数人いたものの、そのほかは通常のプロ野球チームでは使うのが厳しい、野球経験者というだけの会社員、自営業者、農家などをかき集めて、どうにか入団選手が二十五人を越えたような状態であった。
「内藤と武智が加わってこれで二十六人。過日、銀座の連盟事務所で鈴木から知らされたところによれば、連盟に提出する選手名簿には五十人の名前が必要らしい。いまになってそのような条件を突きつけてくるなどいかにも狡猾で狭量な鈴木らしいやり方だが、とはいえ今日の時点でようやく選手の規定数を半分しか満たしていないとは先が思いやられる。だがここで鈴木に屈して引き下がるわけにはいかん。石本さん、我々も協力しますから、引き続き選手集めをよろしく頼みます」


 名古屋市内にある、この一年ほど前にできたばかりの中日球場のグラウンドで、中日ドラゴンズの入団テストが行われていた。名古屋市は戦時中、全国の都市同様に度重なる空襲に見舞われたが、名古屋駅ビルのほか、街には大企業のビルディングも林立し、日本有数の大都市として見事な復興を遂げていた。この街は古くから、自動車産業の雄であるトヨタ自動車の城下町でもあり、東洋工業を抱える広島と同様、戦前からものづくり気風の溢れる工業の街であった。
 中日球場のグラウンド上には、身を縮こまらせながら出番を待つ男たちが並んでいる。
「それでは、そこから全力で外野に投げてください」
 さも自信ありげで屈強そうな男が、外野に打ち立てられた「100米」というベニヤ板に向かって白い息とともに気勢を上げ、ボールを投げる。男のボールは、そのベニヤ板の数歩手前に落ちる。
「失格」
 国民服姿やシャツ姿で臨む男たちの、そのほとんどが基準未満とのジャッジを受けて落選を伝えられ、悔しさを全身に滲ませながらグラウンドを去る。
「はい、次」
 ひときわ華奢な男が、中日の職員に促されるがまま全力でボールを投げるも、ほかの者と同様「100米」の看板までは届かない。
「駄目、失格」
 落胆して中日球場のグラウンドを去るこの華奢な男は、郷里の半田からこのテストを受けにやってきた長谷川良平であった。
 郷里の半田商工を卒業後、いくつかのノンプロチームを渡り歩いていた長谷川は、中日ドラゴンズの入団テストを受けるために帰省していた。
 名古屋から半田へ向けて南下する道は前日までの氷雨で泥濘んでいる。まもなく二十歳を迎えようとする青年は華奢な身体をさらに小さく折りまげるようにして、傷心の帰途につこうとしていた。
 陽が落ちかけるころ、派手に汚泥を巻き上げる一台のトラックが、長谷川を追い越したところで急ブレーキを踏む。
 助手席の窓から大柄な男が顔を出して長谷川に声をかける。
「ハセ、浮かない顔をしてどうした。入団テストはどうだったんだ」
 意図せず歓楽街付近を歩いていた長谷川に声をかけた男は、新村建設で長谷川とは同僚のような存在であった現役力士「力道山」こと百田光浩であった。
「その面(つら)を見ると、どうやら結果は駄目だったようだな」
 煙草を持った右手を運転席の窓から垂らす男は新村建設の社長、新村耕作である。シャツを泥まみれにし、顔は浅黒くて無精髭、いかにも土方風情の新村が長谷川を労うが、当の長谷川は戸惑いながら「社長、どうしたんですか。名古屋遠征はもう終わったでしょうに」と、廃車寸前の錆びたトラックの中を覗き込み、偶然に再会した二人の顔を見ては、目を点にして訊ねる。
「ああ、遠征は終わったがな、仕事が入ったんだ。今度、名古屋市内で会館を建てることが決まったんだが、いろいろと手をまわして、うちが受注したってわけよ。決して大きな仕事ではないが、我々のような零細業者は毎日が綱渡りさ。だから力道山にもこうして手伝ってもらっている。それで、これから酒場へ繰り出すんだが、こうして久々に再会したことだし、どうだ、ちょっと付き合わんか」
 新村に誘われた長谷川は、グラブが入った頭陀袋をトラックの荷台に投げ入れ、自分もそこに乗り込む。名古屋のGIから安価で譲り受けたという進駐軍払い下げのトラックは、ガソリンの匂いと黒煙を辺りにまき散らし、歓楽街へ消える。
「おい、酒だ、酒」
「しかしまあ、どこもかしこも、カストリ焼酎しかねえのか」
「食料不足にインフレ、今度はこの不景気。戦争が終わって五年も経つのに、まだ我が国はボウフラのように池の上を彷徨っている」
 トタンや廃材でできた粗末な建物が林立する歓楽街では、社会への不満を口する男たちの声が溢れ、それを掻き消すかのような音量の流行歌(はやりうた)が、コロンビアの蓄音機から漏れている。
 野太い声の新村と百田は、牛の内臓を煮込んだものとカストリ焼酎をやりながら、長谷川を慰めている。
「ハセがうちをやめてからどうしているのか心配していたんだ。新しい会社でも投げているのか」
 百田の隣で静かにカストリをやる長谷川は、テストの結果を受けて憔悴しているわけではなく、普段から静かに酒をやる男であり、彼と親しい新村と百田もその性格を熟知していて、自分たちのペースを強要することはなかった。
「しかし中日も見る目がないんだな。ハセを落とすとはよう」
 中日ドラゴンズに入団する覚悟で新村建設を退社したものの入団が叶わなかった長谷川を、兄貴分とも言える新村は気にかけ、名古屋市内に住む知人が経営する第六繊維という企業を紹介、長谷川はここに入社して、引き続きノンプロ選手として野球を続けることになった。
「わしは諦めんよ。いつか必ず、プロ野球選手になってみせる」


 後楽園のグラウンドでいまだ二の足を踏む白石の心中には、上京してようやく巨人のレギュラーの座を掴み獲り、スタープレイヤーにのし上がったという自負とプライドが回遊していた。
「いやあ、本当にすまない。わしはてっきり、この移籍話はお前が希望したことだとばかり思っていたんだ。それでなあ、もう球団同士で移籍契約も結ばれているらしいし、急な話ではあるがこれを運命と諦めてだな、武者修行のつもりで広島に行ってきたらどうだ」
 水原にそう言われて戸惑う白石は、その温厚な性格にしては珍しく、声を荒らげる。
「無茶な。本人の預かり知らんところで勝手に取り交わされた契約など無効だ。絶対に広島には行きません」
「まあ落ち着いて聞け。石本さんがな、白石本人が移籍を希望しているし、広島には白石がどうしても必要なんだと、それは熱心に言うものだから、うちとしては『そこまで言うなら、白石をいつか広島の監督にすると約束してくれるのであれば、やってもいい』と条件をつけた。そうしたら石本さんは『もちろん、そのつもりじゃ』と明答したから、これを承諾したんだ」
 頑なに態度を変えない白石に、さらに水原が続ける。
「とにかく、巨人に帰ってきたくなったらいつでも帰ってこい」
 その様子を見ていた親友の川上哲治も、
「広島は敏さんの郷里じゃないか。里帰りするくらいのつもりで、広島で野球を楽しんでこいよ」
と白石を諭す。
 前任の三原修による白石への評価は高く、戦前からチームの支柱であった彼を引き続き、戦力だと考えていた。その三原が昭和二十四年の暮れ、巨人の内紛で急遽、解任される。あとを継いだ水原は一転、白石を戦力外と考え、若いショートストッパーと交代させる構想であった。そこへ石本がやってきてその白石を譲るよう打診されたことで、水原は本人希望と思い込んでいたとはいえ、結果として本人の預かり知らぬところでこれを快諾していたのだった。

 石本が二軍監督を務めた金星スターズを永田雅一が買収して「大映スターズ」とし、監督には戦前、白石ら巨人の選手を鍛え上げた「雷神」藤本定義が据えられていた。
「白石、神妙な顔をしてどうしたんだ」
 翌日、本拠地を同じくする巨人と大映スターズの練習試合に同行すべく後楽園球場にやってきていた白石は、あの地獄の猛特訓を課した恩師、藤本定義の元を訪れた。白石は、かつての迫力のある風格からはほど遠い、まるで別人のような恩師の姿に戸惑う。
 後楽園球場の内野観客席では大映の社長である永田雅一が女をはべらせ、葉巻をくわえ、グラウンド上で練習に励むスターズの選手に「ええぞ」「しっかりやれよ」と息巻いている。京都の染物問屋に生まれた永田は、いつからか隆盛極める映画産業の雄として君臨し、それが本業だけでは飽き足らず、ついに野球チームまで買い取り、これを「大映スターズ」として、金にものを言わせて意のままに操っていた。
 その永田から監督として招聘されたのが白石の恩師、藤本定義であった。いま白石の目の前にいるその恩師は、石本と並ぶそのスパルタ野球に鍛え抜かれた選手から「雷神」とまで恐れられた男ではなかった。
「戦争は、わしから大切な妻を奪っていった」
 空襲で夫人を亡くした藤本は、一度は野球の世界から離れたものの、食うや食われずの乱世を野球以外で乗り切る術を知らず、ふたたびこうして野球の世界へと舞い戻ってきていた。
「わしはな、大陽ロビンスの田村さんの斡旋で、見合いをすることになったんや」
 古くから田村駒治郎と親しい藤本は、戦時中、空襲で自宅が焼亡した際に田村の自宅を仮寓にしていたことがある。戦後は、田村がオーナーの「パシフィック」の監督も務めた。
「お前は結婚したばかりらしいが、嫁さんを大切にしたらんといかんぞ」
 石本と同様にプロ野球選手としての経歴を持たない藤本だが、かつては大学野球のスタープレイヤーで、カーブを得意球とする早稲田大学のエースピッチャーだった。その後、誕生間もないトーキョー・ジャイアンツの監督に就任し、白石らをそのスパルタ野球で鍛え上げた。
「目の前に現れる選択肢というものには道理性と必然性が潜み、そこに己の可能性を含有する。つまり、そこにそれが現れるのは必然であり、なにを選ぶのかが道理となる。わしはそれに、運命などという安直な言葉は使いとうはない。そういうものではなくて、郷里の広島が、いままさにお前を必要としているから、それが目の前に現れたんやないかな」
 かつて指揮を執った巨人との練習試合に監督として目を配りながらも、白石が見てきた「雷神」ではなく好々爺のような藤本は、白石の心情をすべて見透かしているかのように穏やかな口調で諭す。
「まあ、わしのところへ来たということは、すでにお前の中では答えが出ているのだろう。とにかく、お前の頭でしっかりと悩めばいい。お前が巨人を出ることになったのは必然で、そこから先の道、お前が選ぶ道が自分にとっての道理、それが正しい道なんや。とにかく、後悔だけは絶対にせんよう生きるこっちゃな」
 グラウンド上では白石よりひとまわりも若い選手が飛び跳ねるようにボールを捌き、走りまわり、鋭い打球を飛ばしている。
 遠目からグラウンドをじっくりと見渡した白石は、この球場でのおもいで、いままで出会ったいろいろな人の顔、澤村、田部、吉原ら戦地に散ったチームメイトとすごした日々を瞼に呼び起こし、感傷に浸る。
 かつて内野席から天を睨みつけていたレーダーや高射砲は取り外され、そこには元どおり観客席が設置され、たくさんの人々が選手と一緒になって白球を追い、歓声が湧き立つ。
 あっという間に練習試合が終わり、泥まみれの若い選手たちと観客が引き上げてゆく。
 静まり返った球場を見渡した白石は、白いワンピースに日傘の女性に目が留まる。澤村の未亡人となった優子であった。
 優子は一服の清涼剤のように、煩悶する白石の心を宥め、あのときと変わらず、白石の懐にいとも簡単に飛び込んでくる。
 観客席にひとり残る優子は白石を気づかったのか、広島ゆきの話には触れず、ごく自然にふるまった。
 白石は、内野最前列前のフェンスに身を擡げて、優子と背中越しに話す。
 戦後、自身が歩んできた道などを淑やかに話す優子であったが、彼女によれば未亡人の生活は苦労続きで、いまは下町の縫製工場で働き、娘と女二人、細々と暮らしているのだという。
「あの人と敏さんが同じチームにいて、このグラウンドで、ユニフォームを泥んこにして、子供のような顔で野球をしていたのが、つい昨日のことのようね」
 優子が感慨を持たせるように言うと、白石は、ふとなにかを思い出したようにバッターボックス近くに駆け寄り、浅黒い手をグラウンドの土に突っ込む。すぐに掘り出した物の土を払い、優子のところに戻る。白石が掘り出したものは、かつてこの場所で、澤村との勝負の際にへし折られたバットの欠片であった。
 白石がこれをフェンス越しに優子に渡すと、彼女は受け取ったその手を胸元にやり、台湾沖で散った亡夫の俤を追うかのように瞑目し、欠片を強く握りしめた。
 数日後の早朝、東京駅のホームには大きな荷物を抱えた白石夫妻の姿があった。
 白石の広島ゆきについての情報を聞き、その真偽を確認しに集まった新聞記者たちが、白石の姿を見つけるやいなや慌ただしく駆け寄る。彼らは白い息を吐きながら、各々の質問を切れ目なく白石に投げかけている。
「白石さん、広島カープに入団されるということで間違いないのですね」
 記者たちのスピグラのストロボを浴びる白石の顔からは、巨人への未練は感じられなかった。
「もう巨人には戻らない覚悟で広島ゆきを決意されたのでしょうか」
「それにしても相当な決断をされたものです。広島といえば辺境の地。広島は白石さんの郷里ではあるものの、野球界では『巨人がスター選手の白石を島流しにした』と持ちきりですよ」
 記者から質問を投げかけられてもその表情を変えることなく、ただ飄々として「そうですか」「まあ、やれるだけやってみますよ」などと白石は答えるだけだった。
 白石は後ろを振り返ることなく、そのまま「博多ゆき」の汽車に乗り込んだ。
 汽車の窓からすぎゆく東京の街並みを眺める白石は、持ってきたグラブと、水原監督に頼み込んで譲ってもらった真っ白のニューボールを鳴らしながら、第二の郷里に別れを告げた。

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John Morris

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広島の風(全20話)

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