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[古い日記] ミサワおばはんの思い出

2011年2月8日火曜日

最近大学院で、自分の指導教官とは関係が無いが、勝手に出入りしている研究室がある。経済学や社会学の観点から、主に途上国開発の方法論を研究する人たちがいる研究室だ。

在籍者は修士課程博士課程合わせて20名程度と、文系の研究室としては大所帯で、仲が良い友人が何人もいて、院生室も広くて調度品が整っていて居心地が良いので、わしは最近、キャンパスにいるときは自分のホームよりむしろそっちの院生室にいることが多い。

ただ、仲が良い人間ばかりではない。
その研究室に、ミサワとしかいいようがなく、そのすべてをソッコーでミサワ変換したくなるオバハンがおる。
(※ミサワとしかいいようがないとは、地獄のミサワの漫画に出てきそうな、鼻につく言動をとる様子を意味している)

もともとODAの委託とか受けて途上国に技術移転とかコミュニティ開発したりする仕事をする、いわゆる開発コンサル会社で働いていて、その後政府周りのいくつかの仕事を経て今は勉学に集中するために仕事辞めて、経済学の博士課程に在籍しとる人やねんけど、日常的に繰り出されるミサワ的つぶやきが、、、まじでパネェ。。

今日も
「今度世銀(世界銀行)にCV出さねーといけねーわー、10枚以内なんだわー、でも今までの経歴全部書いたら12枚になったわー、10枚以内に収めるのキビシーわー」
といった具合に。。(←きいてないのよ。。。T_T)

初対面時にも
「英語むずいわー。英語力あげるの時間かかるわー。時間ばっか食うからTOEIC890点とったところでやめたわー」
とか言っとったな。(←890程度でイキンナヨ・・・T_T)

しかも完全なひとりごとではないから、ちゃんとリアクションしないと機嫌悪くなる。
わしは「ふーん」と「へー」しか言わないので完全に嫌われたわ。

そんでこの前、とある飲み会で、わしがお気に入りの女子の隣にすわって楽しくトークしてたらオバハン向かいに座ってきて完全に邪魔してきたわ。
いや、たぶん邪魔することは意図してないけど、金太郎飴的に次々に生産されてくるミサワ的自分語り発言がまじはんぱなく邪魔過ぎたわ。

とか鬱憤抱えつつ学期末を過ごしとりますわ。
でも生活は基本クソ楽しいことばっかだわ。
明日から、あずまんの集中講義受ける。

2011年5月11日水曜日

ミサワおばはんのその後。

おばはんは2月に博士論文を提出し、地震騒動でざわめくなか審査を受けた。
しかしけっこう修正が必要だったっぽく、結果的に今年度も元居た院生室にいる。
そしてあいかわらずミサワ的独白とともに何らかの作業を続けている姿が観察される。

おばはんは国際金融機関に就職したいのだが、どうも就職活動は、うまくいっていない模様だ。
知り合いの世○銀行のお姉さんにきいたところ、一度世銀の選考に落ちたあとで世銀の選考方法などにイチャモンをつけてきてまじうざいとのこと。

わからんが、そうゆう国際金融機関に入りたいならそもそもこの東の最高クサレ学府の学位で足りるんか?
それにリアルな話、おばはんの前の職場(某国大使館)からも干されて辞めたという噂が立つほどである、おばはんの強烈なミサワ性も禍いしているのではないかと勘繰ってしまう。

まあそのへんはあまり突っ込んでもしゃあない話だし、詳しいことは当事者とかおばはんと面接した人らにしかわからん。

しかしわしがとにかく一番気に入らんのは、このおばはんが博士号をキャリアアップのためのハクとしか考えていない点なのだ。
おばはんの独白をぼんやりきいていると、おばはんの専門とする分野での学位が国際金融機関での就職に不利であるために博論へのモチベーションがあがらんという発言がちらほら耳に入る。

博士号に含まれる「博」という字にはもともと「広く諸事に通ずる」という意味がある。
博士とは自らの学問を「広げた」人物に対して与えられる称号なのだ。

それを、ただ論文を書いて就職に有利なように履歴書にペタンと貼付けるTOEICスコアのように考えてんのはなんかいけ好かないというか。
博士号ホルダーでもないわしが言ってもなんも説得力ないけど。


それで、そんな鬱屈した思いは隠しきれていないようで、わしが愛想悪いのが完全に災いしたか、どうやら本格的におばはんに嫌われだしたっぽい。

しまった。

なんかいろいろ陰で中傷されているようで、そろそろ、自分の専攻とは関係ないのに勝手に根城にしているこの楽しい研究室界隈からも駆逐されてしまいそうだ。
おばはんの中傷癖はそれはなかなかで、この間まったく自分では話したこともない修士課程の新入生の悪口を、完全な憶測に基づいてはじめはったのには閉口した。

こんなことに煩わされているとは、わしもレベル低いな。

くそっ ←

2011年8月3日水曜日

下北沢の大樹苑で焼き肉を食べた。
ここは味はまずまずなのに、コースにしたら、安いのにどばっと量が出てきて非常にお得感がある。

極貧の院生生活の中、万難をかいくぐって久々に焼き肉を食いにきたのは何を隠そう、件のミサワおばはんの学位取得祝賀会のためである。

「なぜお前が?」

わし自身が突っ込みたい。

そう私はこの日記でおばはんの悪口を何度か書いた。
あまり好かれていない旨も記した。
そしてリアルでも、少なからぬ言葉を彼女の陰口のために費やした。

もちろんわしは幹事に呼ばれただけであって、主賓であるおばはんに歓迎されていたかは不明だ。
いや幹事すら、わしとおばはんの関係が良くないことは知っているので、完全に財布として呼ばれた可能性もある。
行かないという選択肢もあった。

しかし、結局おばはんにもええとこはあるし、焼き肉にだってええとこはある。
そこはフラットに評価し、認めていかんといけんと思ったのだ。

繰り返しになるが、彼女の言動は傍からみればミサワ的としか言いようがない。
彼女が語り続けるその波瀾万丈の人生も、性格が災いしとるだけちゃうかと毒づきたくもなる。

だが、本人から見えている世界における辛いこと、苦しいこと悲しいこと、嬉しいこと腹立たしいこと、それは、わしら第三者には、わからんことなんじゃなかろうか。


夢を見て、めげずくさらず(クサってはいる?)、頑張っているのに、なかなか認められない。

それは過去の栄光を少しは語りたくもはなるというものさ。

過去の栄光を語ってイキっていようがいまいが、
彼女にも尊敬すべきところはたくさんあるはずだ。

そう、人は皆ヤバイ。一人一人、皆が、まじヤバイから。

それぞれ比べられないくらいの美しさと、醜さの両方をもっている。

光が強いほど影は濃いもの。それを一人一人体現している人間て、存在自体がブルースだよ。


育ってきた環境、見てきた景色、経験してきた痛み、

誰一人、同じものを持っていない。だからそこから見える世界は、その人にしか切り取れない視界とアングルで迫っている。そして皆それぞれの視界で、社会(Gesellschaft)で勝負をしているんだから、歪みはあって当たり前。分かり合えないことなんて当たり前。

だからこそ、分かり合えたときは何とも素晴らしい。

おばはんと分かりあえたとは思っていないが
おばはんはおばはんのままでええと思うねん。

適材適所、つまり皆に居場所があるんだから。
誰だって皆一人では生きられないんだから。

器用に見える人は、周りの人間への甘え方と掌握術に長けているだけ。

その人単体では何も出来ないんでしょ。そうなんでしょ。

皆で、日々一つの世界を作ってるのさ!!【完】

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