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現場の「暴力」は誰が解決するのか

教育や医療の現場に暴力が持ち込まれることがよくある。そのたびに,これまで多かれ少なかれ傷つく人が出てきた。なぜこのようなことが繰り返されるのか。どうすればこのようなことが防げるのか。

すきあらば暴力は持ち込まれる

最近こんなニュースがあった。

宮城県登米市の認定こども園に刃物を持った男が侵入した事件である。幸いにも園児や職員に怪我はなかったとのことだが,こういった事件は後をたたない。

子供を狙った事件で最悪の事件といえば,附属池田小事件である。この事件では,同校の児童 8 人が殺害され,職員を含め 15 人が負傷した。

医療機関でも同様の事件はあった。2016 年に発生した相模原障害者施設殺傷事件である。この事件では入所者 19 人が刺殺され,職員を含む 26 人が負傷した。

職員は暴力に対抗すべきなのか

教育機関であれ,医療機関であれ,そこにいる多くの人はサービス受給者とサービス供与者である。つまり園児に対する保育士,生徒に対する教師,患者に対する医療者だ。これらはそれぞれの施設に特化したサービスの授受をする者であって,その業務に「対暴力」は含まれていない。

冒頭の事件では職員が暴漢と対峙したという旨のインタビューがあった。危機管理マニュアルにはそのような行動はなかったが,子どもたちに危険がおよぶと判断してそのような行動をとったとのことだ。

一般的に職員は暴力に対抗する教育も訓練も受けていない。なぜなら「そのため」にいるわけではないからだ。したがって,基本的には職員も「守られるべき対象」であり,立場としては園児と同じだ。それが状況的に職員が暴力に対峙せざるを得なかったというのは,使用者(施設運営責任者)の明確な準備不足であり落ち度である。

暴力への対抗手段の基本は,私的には警備員であり,公的には警察だ。さすまたをおいて満足している使用者もいるようだが,誰がさすまたを使用することを想定しているかが重要だ。もし最初から職員が使うことを考えているのであれば,暴力への対抗の最前線に向かわせることを前提としているため不適切と言わざるを得ない。さすまたを置くことが悪いと言っているわけではない。警備員や駆けつけた警察官が使用するために置いておくならよいが,最初から職員にそれを手にとって前線にむかえというのは違うという意味だ。

病院での暴力

病院でも暴力は問題になる。最初から暴力を目的にやってくる暴漢もいるが,実際の多くは医療を受けに来た患者から医療者への暴力だ。暴力は物理的なものに限らない。言葉やセクシャルハラスメントも当然暴力だ。

たとえば救急外来を考えてみる。救外は多くの患者が受診する。その性質上,突然やってくることも多いので,患者の状態も素性もよくわからない。そんな状態で最初に接触するのが看護師であり,被害にあいやすいのもまた看護師なのだ。

私は救急医であるため,救急外来の医療チームのリーダーという立場にいる。患者と医療者との間に不穏な空気が流れれば間に入ったり,場合によってはそのまま通報したりもする。しかし突発的に暴力が発生してしまうこともある。

ある暴力事件

その日も暴力が発生した。院内で暴行歴のある患者が,酩酊状態で搬送されてきた。そのときは酩酊で帰宅させられないため,酔いが冷めてから帰宅させる方針とした。酔いが覚めるにつれて粗大な行動が顕著になり,私が介入する間もなく看護師一人が被害にあった。

暴行を受けたとの連絡をうけ,即座に警察に通報した。完全ではないにしろ酔いも冷めているため,医学的には退院可能として警察に連行してもらった。しかし暴力を予防できなかった時点で私のミスであり,落ち度であった。そこから対策を立てるために方々への働きかけを始めた。

病院事務,看護部,病院執行部,警備部門など多くの人たちと話をした。私が求めた対策は「1.予防」と「2.事後処理」の 2 つ。1 つめの予防は,暴行歴のあるような危険人物の診察,ケアの時の警備員の陪席(入院中であればその全期間)。また暴力被害に合いそうになった場合には,すかさず医療者と患者の間に警備員が物理的に入るようにすること。2 つめの事後処理は,それでも「何か」が起きたときの対応。暴力被害は被害届を本人が出さなければいけないが,被害届を出したことで被害者の個人情報が加害者にもバレてしまうデメリットがあった。看護師は一人暮らしの若い独身女性が多い。そうでなくとも氏名も住所も加害者にバレるとわかっていて誰が被害届なんか出すだろうか。実際にふじみ野市の医師殺害事件では、トラブル加害者から呼び出されたと言われている。職員の個人情報を渡すということは、「生贄」を差し出すことにほかならない。


しかしそれでは泣き寝入りになってしまうので,「病院として」法的手段をとるなり(威力業務妨害など),出入り禁止にするなり,毅然とした態度で職員を守る姿勢を示すよう求めた。

私は大切な職員が暴行を受けたのだから,当然病院は親身になって力になるだろうと思っていた。しかし反応は驚くべきものばかりだった。

そう簡単にはすすまない

病院事務は「判断しかねます」「明文化はちょっと…」の連続。暴力事件が起きたときに,だれよりも安全な一番遠いところで見ていた警備員は「それは私たちの仕事ではない」とやる気なし。直接の部下を傷つけられた現場職域部門の長は「ほかの病棟でも,そういうことされてもみんな働いてるからねえ。それくらい我慢しなくちゃ」と思いもよらないコメントだった。あまりにも他人事な態度に「それは殴られてでも働けという意味ですか?あなたはそうかもしれないが,あなたの部下は殴られるために働いてるわけじゃない!それならあなたがみんなの代わりに夜の救外で殴られればいいじゃないか!そうじゃなければ,殴られても働けとみんなにちゃんと言ってください!」と言ってしまった(冷静な対応ではなかったと思うが,今でも間違ったことは言っていないと思ってる)。

現場での暴力事件というのは,当事者以外にとってはめんどうなことに映る。通常業務以外の事後処理仕事が増えるし,対策となればさらに仕事が増える。なるべくなら「無かったこと」にしたいのだろう。

数ヶ月たっても病院の対応は遅々として進まなかった。放っておけば私の気がおさまると思われていたのかもしれない。そうこうしているうちにも、現場では細々した暴力行為は再発していた。

しつこい私は業を煮やし次の一手に出た。「病院の対策がはっきりするまで,今日から私が救急外来のリーダーの日は,酔っぱらいおよび暴力行為の恐れのある患者の受け入れを拒否します」と病院側に通告したのだ。もう私にできることはこれくらいしかなかった。正直これで怒られても最悪仕事をやめさせられてもいいやと思っていた。チームの誰かが暴力被害を受けるよりは何倍も良いと思ったからだ。

私の働きかけが続くにつれてその運動が徐々にひろまり,周囲の医師もたちも協力してくれるようになってきた。話し合いの頻度も徐々に増えていった。そしてついには病院長まで話がいき、一気に事が進んだ。最終的には私が要求していたほぼ全てが通ったのだ。

現場の「暴力」は誰が解決するのか

暴力はつねに弱い人間に向けられる。現場で働いてるひとたちは,サービス供与者としてはプロだが,暴力に対しては弱者である。この弱者を守るのは現場のリーダーであり,職員を統括する長であり,最終的には組織自体である。身体的な暴力,言葉の暴力,セクシャルハラスメントによる暴力など,あらゆる暴力を放置していないだろうか。職員の保護をないがしろにしてはいけない。大切な職員や仲間を守ること、またその姿勢を明確に示すことは,職員が安心してその職務をまっとうできることであり,ひいてはその職場を誇りに持つことにつながる。間違っても現場で対応させておいてはいけないのだ。

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