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高橋留美子先生紫綬褒章受章おめでとうございます

受賞が決まったニュースのコメントで
「中学生の時サンデーで勝手なやつらをみて衝撃を受けました・・・」というものがあり、あれ自分知らないうちに書き込みしたかな、と思いました。
全く同意。

勝手なやつらを呼んだ時の衝撃はいまだに忘れられません。
なんでだろう、と冷静に考えてみると、それまでの漫画(特に少年漫画)の常識を大胆に打ち破っていたからです。

それらを挙げてみますと。

1 主人公が能動的でない
  

 当時の漫画の描き方とかには、とにかく「主人公を魅力的にすべし!」みたいなことが書いてあったと思うのです。物語をかき回していく、活動的な主人公を!と。
ところが、本作品の主人公のケイは、新聞配達以外のことにはまるで興味がなく、自分からストーリーをかき回すことはまるでしない。新聞配達には異常な情熱を燃やしていますが、なぜそうなのかは特に説明はなし。
いわゆる不条理キャラなのですが、当時の自分にはとても新鮮に見えました。
評者のコメントに(多分ベテランの漫画家の方だったと思うのですが)その部分を指摘されていた方がいた記憶があるのですが、中坊の自分は「そこがいいんじゃないかー」と一人憤慨しておりました。

2 ツリ目のヒロイン

これも、自分の個人的な感覚なのですが、当時ツリ目の女性キャラはライバルのいやな奴では存在したかもしれませんが、少年漫画のヒロインではありえなかったような気がします。
なので、とても新鮮に感じました。 

これが、ラムちゃんや響子さんへ繋がっていったのですな。

3 そして伝説に


留美子以前と以降ではサンデーは全く変わりました(呼び捨てで偉そう、すいません((+_+))
当時のサンデー、特にコミックス売り場は、ジャンプ系に押されて、新刊もあまり平積みにされていませんでした。また、並んでいる本もまことちゃん、漂流教室、サバイバル、愛と誠等の過去の名作しかなく、それもあまりよくない場所に置かれていたような気がします。
絵はうまいけどなんか地味な感じ、それが当時のサンデー漫画でした。
うる星やつらのコミックス1巻も、それほど派手に売り出されてはおらず、前述のようにサンデー系コミックスは当時平積みとかで売っていなかったので、探すのに相当苦労しました。ネット書店などない時代のこと、自転車で走り回り、自宅から1時間くらい先の本屋で最後の1冊を見つけた時の喜びは筆舌に尽くしがたいものがありました。

これ以降サンデーは、あだち充、高橋留美子、島本和彦、細野不二彦と、ナウでお洒落(^^♪(それ以前の比べてですが)なラブコメ路線雑誌になっていったと思います。
新人賞と言えば、勝手なやつらの数年後の「木星ピケットライン」にもかなり衝撃を受けました。これは後のあさりよしとお氏である浅利 義遠氏のデビュー作でございました。
今ではサンデーに限らず少年誌をとんと読まなくなったおじさんではございますが、少年だった日のことを時折懐かしく思い出すのでございます。

いずれにせよ、留美子先生の受勲を祝して乾杯!

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