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「今日、誰のために生きる?」

「ひすいこうたろう×SHOGEN」を読んで

幸せがずっと続くその村が、大切にしていたのは、日本人が教えてくれた「心」だった!
 
僕らは江戸時代の人と比べて、何万倍幸せになっているのでしょうか?
江戸時代末期、海外から日本にやってきた外国人たちは日本人を見て口々に
「日本人は幸せで満足している」
「町中に上機嫌な様子がゆきわたっている」
「顔がいきいきしている」と記しています。
 
↓ひすいこうたろうYouTube


ある日ザイちゃんは、パパに「流れ星を捕まえたい」といいました。
もし、あなたが3歳の子から流れ星を捕まえに行きたいと言われたら、どうしますか?
その村の大人たちは全員で行くんだとか。
その日が一時間半、翌日も行こうとしたのでショーゲンはさすがにやめさせようと「流れ星なんてつかまえられるはずがない」と言ったそうです。
すると・・・「ショーゲン、お前は流れ星を捕まえに行ったことがあるから言っているのか?」と村人から聞かれた。
「行ったことは無い」というと「行ったことが無い奴に言われたくない。お前にはロマンとか夢はないのか?」と真面目な顔で言われたそうです。

「ショーゲンは、いつも無駄を省いて、効率よく生きようとしているけれど、無駄とか、しょうもないことの中に、幸せっていうものがあるのに、もったいないなぁ」さらに追い打ちとして「効率良く考えるのなら、生まれてすぐに死ねばよい。人はいかに無駄な時間を楽しむのかっていうテーマで生きているんだよ。お前の心のゆとりはどこにあるんだ?お前の幸せは、いったいどこに行ったんだ?」

でも、これ、昔の日本人の感性なんです。
 

✅無駄を楽しんだ日本人


画像は約5,000年前の縄文式土器です。
火で焦げた部分や吹きこぼれの跡があることから、食べ物の煮炊きに使う土器だとわかっていますが、ここまで世界観を盛り込んで作っちゃうと、煮炊きに使いにくい!(笑)
 
でも、これこそ「無駄を楽しむ精神の結晶」日本の心の原点だと言っていいでしょう。
 
縄文時代は14,000年もの長い間、武器を持たずに平和を貫いた世界史的に見たら奇跡と言われる時代です。
この無駄を楽しむ精神こそが心にゆとりをもたらしていたのではないのでしょうか?
 
人は心にゆとりがある時は争いませんから。
 
僕らはお金のために効率を求め、他人の目を気にして「いいね」を求め続けた結果、一番大事な「心のゆとり」(幸せを感じる心)を失ってしまったのです。

🌈学校では教えないこと☆彡

✅ブンジュ村について

アフリカには、かつて日本人の感性で生活が営まれずっと幸せであり続ける村があったのです。
日本人が誇りを取り戻し、今すぐ幸せになれる物語・・・
この本を読み終える頃には、今度はあなたがショーゲンさんのようにこの話を一人でも多くの人に伝えたくなるでしょう。
 
「幸せを感じる心」について
 
🌈この投稿を、ご覧いただきました皆様に感謝を申し上げます🙏
🌈一緒に「今すぐ」幸せを感じる心を学んでみませんか🙏
 
 
✅「幸せを感じる心」について

物語のステージについては「ショーゲン ブンジュ村」から引用↓

 


70歳を超える村長は寡黙で落ち着き払って、あぐらで座っていた。
目の奥に「深い優しさをたたえて僕を見ています」
挨拶を終えると村長は、こう言いました。
 
「ご飯を食べられることに、幸せを感じられるか、ただいまと言ったら、おかえりと言ってくれる人がいるか、抱きしめられたら、温かいと感じられる心があるか。この3つがあなたの中にあるのなら、村においで」
 
ブンジュ村に伝わる「幸せ3か条」だそうです。
 
 
✅「この世の中から、お金というものが無くなったとしたら、あなたは生きていける人間ですか?」

そして最後に村長の奥さんが僕に、こう聞いてきました。
「この世の中から、お金というものが無くなったとしたら、あなたは生きていける人間ですか?」
彼女が言うには、いつか紙幣は紙切れとなり、価値が無くなる時が来るそうです。そんな時代を生きられるのは「愛を持っている人だけ」。
愛を持って日常生活を過ごしてきた人は、その時代を生きられると言うのです。
 
✅「世界一美しい仲直り」
 
ある日ちょっとした文化の違いから、二十歳くらいの男の子と「ブンジュ村」で言い争いになりました。
言い争いは、なかなか収まらず別れることになりました。
ところが夕方になって、その彼が僕のところにやって来ました。
「ショーゲン、海に行こう」
僕は、てっきり海で喧嘩の続きをするんだ・・・と覚悟して、言われるままに海に向かいました。
 
彼は海へ入って行きます。
僕も彼のあとへついて海へ入って行きました。
どんどん海の中へ入り、腰まで浸かったあたりで彼は「向かい合って」と言いました。
彼との距離は20メートルくらい。
 
すると僕と彼の前にオレンジ色の美しい夕焼けが横たわっています。
その喧嘩していた彼は水面に映る夕日を指して「ショーゲン、これ何だと思う?」と聞いてきました。
 
「あたたかい境界線だよ」
 
そして「もう言い合いとかを終わりにして一緒に帰ろう」と言いました。
あっけに取られている僕に彼は・・・
「人間は、自然から生まれてきた。だから、圧倒的な自然に包まれた時に、すべてのことを許せるんだ。喧嘩の火種は消えていないけど、海で向かい合っている俺たちには命がある。生きられているんだから、もう終わりにしよう」
 
「ブンジュ村のルール」喧嘩は、その日のうちに仲直りする。
その理由は「言い争いをしている大人を、子供は見たくないでしょ?」
 
 ✅「フラミンゴの羽の上で寝る」
 
僕はスワヒリ語を話せなかったので、木の棒で地面に絵を描いて貰ったり、英語とジェスチャーにて教わりました。
おかげで話せるようになると友達もできるようになりました。大親友は、お世話になっているカンビリ家の三女「ザイちゃん」彼女は人見知りでしたので、鬼ごっこをしながら少しずつ仲良くなりました。
 
ある日、カンビリ家のお母さんが「ザイが夜なかなか寝てくれないの・・・」とショーゲンは聞かされました。
ショーゲンはお母さんに聞きました。
「どうしたらザイちゃんは寝てくれると思う?」
すると、お母さんは答えました。
「そうね、フラミンゴの羽の上だったら、良く寝てくれるんじゃないかしら」
ショウゲンは、なんて素敵な言葉なんだと思いました。
ブンジュ村の人たちは、みんな、こんな風に、とても優しくて温かみのある言葉を日常的に話してます。
 
 ✅「抱きしめるようにして話す」
 
ある日、僕は3歳のザイちゃんんから、こんなことを言われました。
「ショーゲンは肌と肌が触れ合うことが温かいとわかっていて、わたしに その言葉を言っているの?」
 
その頃、ショーゲンは村の習慣に慣れようとしつつも「ショーゲンは心に余裕がない」と村人から指摘されることが多かった。
 
スワヒリ語の細部を理解できるようになると、心にザクザク突き刺さり落ち込む日々もあったそうです。
 
そんな時、ザイちゃんが友達からお菓子をもらっていてザイちゃんに「ザイちゃん、ちゃんとお礼を言わないと駄目だよ」と。
まるで僕ら日本人が「親から諭される」フレーズで。
 
そこで、ザイちゃんから言われたのは「ショーゲンは、肌と肌が触れ合うことが温かいってわかっていて、わたしにその言葉を言っているの?」
 
3歳のザイちゃんは続けて
「ショーゲンの言葉には体温が乗っかってないから、わたしには伝わらない」
 
ザイちゃんには、自分の名誉挽回の言葉であったことがお見通しだったようで、続けて「言葉はね、相手をハグするように言うのよ」
「ショーゲンは、お母さんから抱きしめられたことはないの?」
 
ザイちゃんはショーゲンに近寄り「わたしが抱きしめてあげるね」といってギュッと抱きしめてくれたのです。
 
僕は母にハグしてもらったことを覚えていない。
ザイちゃんにハグされてショーゲンは泣いてしまいました。
 
ブンジュ村の子供たちは皆、お母さんから、そう教わり育ちます。
略・・・村長が言うには「人に抱きしめられた時の心の色」は優しく温かい表情をしている「サーモンピンクの夕日」でした。
 
 ✅「お腹いっぱいになったら歌おう!躍ろう!」
 
ある日、ザイちゃんが僕に言いました。
「お腹いっぱいになったら、嬉しいでしょ?嬉しかったら歌うでしょ?」
 
僕はそれまで、お腹いっぱいになったら歌いだす人を見たことがないです。
でも「ブンジュ村」を見渡すと、みんな踊ったり歌ったりしています。
 
「オーヨ・オヨオヨ・オーヨ・オヨオヨ」
 
ザイちゃんは言いました。
「嬉しかったら歌っていいし、踊っていいんだよ」
 
喜びを素直に表現するって、恥ずかしいし人の目も気になる。
喜びを素直に表現しない僕は、ザイちゃんの目には「我慢している」と
映っていたのです。
 
✅「ブンジュ村の挨拶」今日、誰のために生きる?

ブンジュ村の人たちの挨拶は、とてもユニークで
✅「おはよう、今日も空を見上げてる?」
✅「今日も裸足で土を踏みしめようね」
✅「今日は野菜たちが、すごく嬉しそうだね」

これが、この村の挨拶なんです。
究極は朝と夜の挨拶なんです。

✅「ショーゲン、おはよう。今日、わたしは自分の人生を生きるね。ショーゲンは誰の人生を生きるの?また夜ごはんの時に会おうね」
✅「ザイちゃん、おはよう。今日は誰の人生を生きる?父ちゃんは俺の人生を生きるからな」

大人も子供も、そう言います。

そして夜に寝る時には
✅「今日も自分の人生を生きられた?」
✅「今日は、どんな良いことがあった?」と聞きます。
 
最初はビックリしました!
挨拶が重い(笑)
そう感じたのは、ここでの挨拶は「型通り」の言葉ではないから。
挨拶は「とりあえず」では無くて相手の顔をみて、その人の状態を感じて声をかけるんです。
 
ショーゲンに空を見上げる余裕ができた頃「ショーゲン、自分の人生を生きている?」という挨拶に代わっていきました。

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