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あねとおとうと。

娘がお風呂場まで乗り込んで行って、息子に向かって必死に泣き叫んでどなっている。「かえしてー!かえしてー!!うううーーーーー!!」
普段はもにょもにょと何を言っているかわからないほど小声の時もあるのに、その小さな体のどこにその激しさが潜んでいるのかと、イヤフォンをつけながら聴いている。(私は感覚が過敏なので、耐えられそうにない時はイヤフォンをつけています)

息子は息子で、いつものらりくらりとしているのに、こういうとき絶対に譲らない。「なんでそういうのかな〜りゆうになってないな〜」とかのらりくらりとまたかわして、火に油をなみなみと注いでいる。

くつしたのまま、濡れるのも厭わずにどんどんと地団駄を踏んで、凄まじい剣幕で主張する娘の姿はちょっと笑ってしまうほどで、まぁ好きなだけやらせてみるか、としばらくみていた。

「髪の毛が塩でいっぱいになった〜」と散々泣いた後の顔で、今は私の膝の上でごろごろしている。ちょっとだけすっきりしたのか、いまはちょっと笑っている。

子供と暮らす、というのは、こういう感情の爆発というか、スパークしている制御不能みたいなものと一緒に暮らすということでもあるのではないか、と思ったりする。

大人になったら、みんなそれなりに感情をやり過ごすすべを覚えて、ため込んだりすることが癖になる。こんなに誰かに向かって、がーーーっと泣き叫ぶ、なんて、家族以外の人にはまずしない。小学校や中学校、あって高校生のころくらいで、そんな記憶は消えている。

姉と弟、というのもあるし、年が近いというのもあるから、私の家の小さな人たちはとてもよく喧嘩をする。

親が一生懸命仲裁しても、まとまることは少ないし、こちらの心配をよそにころっと解決して、解決していなくとも次のシーンでけろりと遊んでいたりもするので、このごろは真面目に仲裁するのもほどほどにすることにした。

感情を相手に伝える、というのは何度もやってみる必要もあると思うし、それを外の相手に最初にやるよりも、練習としての姉弟喧嘩は悪くないのではないか、と思ったりする。
泣いたらなぐさめる、くらいで、その方が気を揉まなくて良い。
だって学校や外でいくらだって気を揉み揉みしつつ、私自身が解決できないことなんて山ほどあるのだから。ここで神経をすり減らさずに、HPを残していたい。

とはいえ、イヤフォンのノイズキャンセリングに感謝しつつ、私よりちゃんと子供たちに気長につきあっている夫に感謝しつつ、この文章を書いている。

あねとおとうと、不思議だねぇ。


あねとおとうと。

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