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第三章 存在と思考 5

 帰路をインプットしたスマートカーの中で、マリアは研究員のデータベースにアクセスを続けていた。
「ヒットしました」
 マリアはコンパクトな車内空間に、器用にエアスクリーンを出現させると、アスカ博士の研究履歴を映し出した。
「アスカ博士の職歴です。大学の後、二つの研究所に所属した履歴があります」
 職歴を示す文字データが現れる。
 最初に目に飛び込んできた機関名は、ヤマトを驚かせた。
「何だって」
 ヤマトは、驚いた。大学に次ぐアスカ博士の職歴の欄には、今朝訪問したばかりの人工知能研究所の名称があった。
「偶然でしょうか」
 マリアも珍しく、意外そうな顔をしている。この事件は、人工知能と深い関りがあるのだろうか。
 アスカ博士は、人工知能研究所の研究員を数年勤めたのち、別の研究所に移ったようだった。
 現在は、汎用型人工知能研究所という機関で主任研究員の職についているらしい。
 ベースに到着する寸前に、カナ博士からの連絡を受信した。アスカ博士の現在の所属先と彼女のアポイントに関するものだった。マリアが見つけてきたとおり、現在の所属は、汎用型人工知能研究所で間違えがないようだ。
カナ博士は、明日の午後に、アスカ博士が面会に応じるとの朗報を伝えた。
「そういえば、彼女のことでひとつ思い出したのだけど、『ジョー博士の研究が進めば、アンドロイドの性能が上がる』ということをポスドク時代に力説していたわ」
 カナ博士の立像が、捜査の進展を願っていると告げて、通信が切れた。

 何とも解せない思いのまま、ヤマトたちはベースに到着した。
「お帰りなさいませ」
 Kポッドの声に出迎えられながら、ヤマトは、おや、と思った。食欲をそそるにおいが鼻孔に届いた。
テーブルを見ると、食事が用意されている。青地の唐草模様のどんぶりが二つ。サラダの小鉢とお椀もそれぞれ二つ並べられている。それを見て、ヤマトの腹はぐうと鳴った。
「この食事はKポッドが?」
 ヤマトは、Kポットに尋ねた。
「はい。そうです。昼食もたいしたお食事をされていなかったのではないかと思いましたので。出過ぎた真似とは思いましたが、ご用意させていただきました。メニューはカツ丼とサラダ、それからみそ汁です」
用意されていた食事は、カツ丼定食だった。ヤマトが好んで食べるものだ。
ヤマトはKポットに礼を言った。
「お喜びいただけて、光栄です。ダン課長から、しっかりお二人をサポートするように、とお言葉をいただいております。お二人が心身共に健康に捜査に当たれるようにサポートを尽くさせていただきます」
 Kポッドは確固たる信念を発表するかのように、ヤマトに返答した。
 以前のヤマトなら、礼を述べて素直にカツ丼をかき込んでいたことだろう。
 ヤマトは別のことを考えていた。カツ丼というメニューのチョイスには心当たりがあった。
 最近、ソーシャルネットワークサービスのプロフィールを更新した。その際、好きな食べ物の欄を牛丼からカツ丼に変更していた。
 マリアが茶を汲みに行っているのを横目で見ながら、ヤマトはマリアのプロフィールにアクセスした。好きな食べ物の欄にはインゲン豆のサラダとあった。
 Kポッドがいそいそとマリアから茶を受け取り、テーブルに運んでくる。
二人のバイオリズムから空腹状態を測定することなど、Kポッドには朝飯前なのだろう。サポート型のアンドロイドには、人間をもてなすあらゆる方法が詳細にプログラムされている。
 ヤマトは食卓に姿を変えたテーブルの席についた。目の前のどんぶりの蓋に手を伸ばすと、まだ温かさが残っていた。
 ベースには、捜査部屋として利用できる大部屋の他に、いくつか小部屋がある。Kポッドに尋ねると、捜査に専念するための個人スペースということだった。
 ヤマトは、マリアと一室ずつ小部屋を使用することにした。部屋の中には、簡易的なベットも備え付けられている。スペースは狭いが、十分である。かつては、捜査本部が長引くと、自宅にも帰れず、自分のデスクで仮眠を取ることもあった。そういったことを考えると、横になって睡眠を取る場所が確保できるのはありがたかった。
 ヤマトは時間を確認した。そろそろ就寝しても良さそうな時間ではある。
「マリア、もう休むか?」
流しでどんぶりをすすいでから、ヤマトはマリアに聞いた。
「いえ。これから、今日入手した情報を整理しようかと思っていました」
 ヤマトはうなずいた。ヤマトも少しでも捜査を進展させておきたい気持ちだ。ダン課長に提示されたタイムリミットのせいで、焦りもあった。
 二人は、再び捜査部屋に腰を落ち着けた。
 念のため、警察内部での捜査の情報にも目を通したが、目ぼしい情報はなかった。リンダの行方についても探りを入れる。治安維持監視システムからのアラートは何もなかった。街中のセキュリティカメラがリンダの姿を追っているが、こちらも収穫はない。
 情報化社会の包囲網は優秀だ。機械は眠らない。休むこともない。
昼夜問わず働き続ける包囲網のどこにも引っかからないという事態を、ヤマトは不思議に思わずにいられなかった。
 リンダは今、一体どこにいるのだろう。
 Kポッドが気を利かせて、エアスクリーンに捜査本部で使っているものと同じ事件のチャート図を映し出してくれる。
 そこに、今日話を聞きに行った薬師寺博士とカナ博士が加わる。Kポッドがそれぞれの発言の要点を併記した。
 薬師寺博士の欄には、「アンドロイドに殺人は不可能」との書き入れが加えられていた。
「相手はアンドロイドだ。人間以上に狡猾な部分があるかもしれない。それにだ。いまだに治安維持監視システムに引っかからないなんてことも信じられない」
捜査本部では、家政婦アンドロイドのリンダも事件に巻き込まれている可能性が高いと発表されていた。事件解明の手がかりとして、リンダの探索も続けられている。
「現場周辺はもちろん、方々でリンダの追跡に総力を挙げているにも関わらず、何の成果もない。あのセキュリティカメラの目をかいくぐって姿をくらますなど、人間には到底無理だ」
 マリアがうなづく。
「薬師寺博士はアンドロイドには殺人は不可能だと言っていたが、本当にそうなんだろうか?人間の行動を司っている脳だって誤作動を起こす。それなら、機械を動かしている人工知能だって同じことが言えるんじゃないのか?」
 マリアがかぶりを振る。
「いいえ、アンドロイドは人を傷つけることはないと思います」
「なぜそう言い切れる?お偉い学者が断言したからか?アンドロイドなんて所詮、人間が作った機械だろう?人型アンドロイドだって精巧な製品に過ぎない」
「私は人型アンドロイドをたくさん見てきました。自分自身も身体の一部がアンドロイド化されていると言ってもいいでしょう。彼らは本当に人間に従順です。そんな彼らが殺人マシーンになるとは思えません」
 マリアはヤマトの疑問を真っ向から否定する。トランスヒューマンであることが、マリアにアンドロイドに過剰な肩入れをさせるのだろうか。
「マリアはどう思う?リンダがジョー博士を殺したと思うか?」
 マリアはすぐに答えた。
「いいえ。私は薬師寺博士と同意見です。アンドロイドは人間に従順な機械だと思っています。それに、ロボット工学三原則に類する規制もあります。構造的にも、無理があります」
 ロボット工学三原則。この原理に基づくと、ヤマトも薬師寺博士に同調せざるを得ない。しかし、議論せずには置けない要点だ。もう少し掘り下げておく必要があるだろう。
「もし、リンダがロボット工学三原則に基づかない構造を有していたらどうだろう?それが、人間が作為的にもたらしたことかどうかは別問題として」
 マリアは小首をかしげた。
「リンダには、人に危害を加えないという制御がかかっていない、ということですか?」
「まあ、そうなる。もし、リンダに殺人が可能だとしたら、そう考えるのが筋だろう」
「ロボット兵器……」
 マリアは、そう言って口を噤んだ。
 自国内で所有されるアンドロイドが不可抗力以外の理由で人を殺めた場合には、国家が国際的に厳罰に処せられる世界的なルールがある。
世界は、ロボット兵器の製造も所有も認めていない。
殺戮アンドロイドの製造は、国防とも呼べない完全なタブーであり、国際的にも徹底的な糾弾に晒される。真偽が定かではなくとも、疑いが持たれた時点で、世界的に孤立を強いられることもありえるのだ。
今や、自国の自給率は十パーセントを切っている。自然資源の乏しい我が国には、世界的な孤立など、死に等しい厳罰である。それは、全国民が共通理解していることだった。
 そんな危険を冒してまで、自律的に殺人が可能なアンドロイドが製造されたとは、話題を向けた本人であるヤマトにも考えられなかった。
 マリアは、先ほどの一言を口にしてから、黙り込んでいる。ヤマトが会話を繋いだ。
「じゃあ、こうしよう。リンダは平均的な家政婦アンドロイドだった」
 マリアの表情から多少、険が和らいで見えた。
「被害者のジョー博士は、深刻な脳の疾患に悩んでいた。発病前のジョー博士は、大変優秀な研究者だった。だが、年度末で大学の職を自ら放棄する決断をしていた。ジョー博士は、生きる意味を見失っていたのかもしれない」
 じっとヤマトを見つめるマリアの眼光が鋭くなる。
「この殺人事件は、自殺、あるいは事故と考える、ということですか?」
「そうだ」
 マリアが沈黙した。何やらデータにアクセスしているようだ。
「そう考えたとしても、論破したことにはなりません。自分で自らの首を切り落とし、さらに首のない状態で、一キロ離れた空き地まで移動するなんて……」
 B級ホラー映画も真っ青な展開だ。
「そうだよな」と言って、ヤマトは大きな身体を反らせて椅子にのけぞった。
「第三者が関係しないとしたらこの殺人は成立しないのです。そして、リンダがその第三者であれば、自殺の幇助だとしても、ロボット工学三原則に反する行為に当たります」
「何か似たようなケースはないのか?」
 マリアがデータに繋がっているのは明らかだった。ヤマトは遠慮なく聞いた。
「アンドロイドを自殺の幇助に利用しようとしたケースは数多くあります。ですが、すべて未遂に終わっています。自殺の幇助が成功した事例は一件もありません」
 マリアは自殺と成功という言葉を合わせて使った。クールな印象がより強くなる。
「一件もないか。良く出来ているもんだな。人工知能のプログラムってやつは」
「リンダの場合、調理用のレーザーカッターを人体に向けて照射する行為自体が不可能です」
「そうか」
 いくら、リンダを容疑者に据えても、ロボット工学三原則がある限り、最終的にはリンダを犯人と仮定することすらできなかった。
 ヤマトとマリアは考え付く限りのシュミレーションを行ったが、やはり結論は変わらなかった。
 時刻は、すでに深夜を回っていた。
「だめだな。堂々巡りだ」
 ヤマトは、椅子の背もたれに大きな身体を投げ出した。
「ヤマト警部補」
 マリアが慎重に呼びかけた。ヤマトは、マリアが何かを切り出すつもりであることを察した。
「リンダが容疑者であるという筋は、一度捨ててみませんか?」
 ヤマトも薄々思っていたことだった。
 だが、それを肯定するわけにはいかない。リンダを容疑者と仮定しない捜査は、すでに表立った捜査本部で行われている。
ヤマトの同僚であるショウたちが、この何日間かの間に、重要参考人を上げてくれるのではないか、という期待を持っていないこともない。
 しかし、それが叶わないことは、ヤマトもマリアも重々承知してこの場にいるはずだった。犯罪予測システムがリンダを容疑者と認知したからには、それを終結させる任務がある。二人が召喚されたのは、リンダが容疑者であるというあり得ない事態を収拾するためなのだ。
「だが、マリア、俺たちはリンダを捕まえなければならない。ジョー博士を殺したのは、リンダだという筋に妥当性を見つけるのが、俺たちに与えられた仕事だ」
 マリアは静かにうなずく。ヤマトに言われなくとも、マリアの聡明な頭脳なら、わかりきっていることだろう。
「ヤマト警部補。少し、私の話を聞いていただけますか?それから、ご判断いただきたいのです。お願いできませんか?」
 ヤマトはマリアの本意がわかりかねたが、いつになく思い詰めた表情を見て、首肯した。
「あまり楽しい話ではありません。私がこうした身体になった話です」
 マリアは、左手で自分の右肩に触れながら言った。
「私には、一回り年の離れた兄がいました。私が十一歳の時、兄は二十三歳。大学ではロボット工学を学んでいました。卒業すると、研究を続けるために、大学院に進みました。私は両親にとって、遅くに出来た子どもでしたので、大変可愛がられて育ちました。兄も私のことを大変可愛がってくれていました。標準的な仲の良い家族だったと思います」
家族に思いを馳せているマリアは、少しだけ柔らかな雰囲気をたたえていた。
「ヤマト警部補もご存知のとおり、私はトランスヒューマンです。重傷を負った身体を修復するために、一部を機械で補いました。サイボーグ化した人間です」
 マリアが触れていた右の肩の辺りを捻ると、かすかな電子音が聞こえた。
「小学生の頃のことです。十一歳の時のある出来事のために、こうなりました。私の身に何があったか、ヤマト警部補はお聞き及びでしょうか?」
「いや。詳しいことは知らない」
 ヤマトはかぶりを振った。
「そうですか。警察内部にもいろいろな方がいますから、公にはしていないのです」
 マリアは含みを持った言い方をした。
「私は第二のラッダイト運動被害者の生き残りです」
 ヤマトは息を飲んだ。ロボット工学と十数年前の出来事という二つのワードが像を結ぶ。
 ラッダイト運動は、一八一一年頃に起こった後年の労働運動の先駆とも言われる運動だ。産業革命により、機械に職を奪われた労働者が機械を破壊する暴動を起こした。たしか、当時の運動は、処刑者が出て事態が収拾されたはずだ。
 第二のラッダイト運動とは、我が国で十数年前に起こった暴動を指している。
 第二と呼ばれる所以は、首謀者がやはり、機械に職を奪われた労働者が中心となっているからだ。
 第五次産業革命で職を失った人間が組織化し、反社会的なテロ行為を起こした事件が第二のラッダイト運動である。
 産業革命は、人間の生活を激変させ、多くの豊かさをもたらす。一方、雇用の在り方も必然的に変化する。そのことが引き金となった悲劇の再来がこの事件である。
 第五次産業革命によって、生産活動の高度なオートメーション化が実現した。
 中でも、最も高度化した技術といえば、人工知能を搭載したアンドロイドだ。それまで限られた範囲でしか利用できなかった人工知能が「知識の創造」と呼ばれる発達と共に、人間に代用される汎用性を持つようになったのだ。
 第四次産業革命期までは、人工知能が高度化したと言っても、特化型人工知能、つまりはある目的に特化して用いることしかできなかった。
例えば、将棋用の人工知能は将棋しかできないし、囲碁用の人工知能も同様だ。プロ棋士に勝利したポナンザがいくら最強だからといっても、囲碁を打つことはできない。
 人工知能の得意分野は数の処理だ。自ずと台頭する分野は、数字を扱う分野から進んできた。特に金融などの情報空間では、人間の処理スピードでは到底処理しきれない情報を人工知能は扱って見せる。
 それでも、人間のような行動ができる思考パターンの解析は難しく、人間性を備えたアンドロイドの実用化はまだまだ先のことと考えられていた。
ところが、第五次産業革命では、人工知能にホスピタリティを持たせることが成功したのだ。ホスピタリティを獲得した人工知能は、ある程度の汎用性を持つようになった。実現までは時間がかかると思われていた技術だ。多種多様な行動の求めにも応じることができるようになったアンドロイドは、あらゆる場面で活躍するようになった。
 最も打撃を受けたのは、サービス業に従事する労働者だ。介護や家事代行などは、人間を労働力とするよりも、アンドロイドを使った方がはるかに安価だった。
 第二のラッダイト運動の首謀者は、アンドロイドに職を奪われて、自暴自棄になっている労働者たちを集めて、犯行に及んだと証言している。反アンドロイド組織のメンバーの一員だったことも後に分かっている。
 標的になったのは、ロボット工学の最高峰であった大学だった。犯人たちは、大学構内に自由に入れるイベント日を狙い、構内を占拠した。挙句に、ロボット開発の施設の破壊にとどまらず、多数の死傷者を出した。
「私が体験したあの事件を直接お伝えします」
 マリアが手を差し伸べてきた。
「目を閉じて下さい」
 テーブルに置いた右手に、マリアの冷たい指先が触れる。
「力を抜いて、ゆっくり呼吸をしてください」
 マリアが何をしようとしているのか、ヤマトは理解した。次の瞬間、ヤマトの意識は大学の構内にいた。


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