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読めるのに読めない女子大生の導入編 発達特性について知る話

こんばんは。ねこっこです。
今夜は、私の特性の中でも今一番困っている「読むこと」についてお話しします。

〇私の普通と、「致命的欠陥」

私の感覚は私にとって「普通」でしかなく、みんなの「普通」と同じだと思って生きてきた。特性やできないことは自分の努力不足だと思ってきたし、ごまかしと自責感と規範意識と具体的な対策によってなんとかしてきた。というか、わりとなんとかなった。大学の一般入試も突破した。
いや、いま思うと、全くなんとかなってなかったし、早く特性について知っていれば、と悔やまれることは多いけど、少なくとも何とかなっていると私は信じていた。昨夏、心身を壊すまでは。
まあ、それはまた詳しく書くとして、いったん置いておく。

自己紹介でも述べた通り、私は「難関国立大の文系学生」をやっている。

でも、私には、「難関国立大の文系学生」をやる上で絶対必要なのに、どうやってもカバーできない致命的欠陥があった。
それは、『本が読めるのに、読めないこと』

〇本が読めるのに、読めない

正確に言うと、本、教科書や物語、小説の類は読めた。小学生から中学生までは活字中毒でさえあった。新学期に配られた国語の教科書は、新しい活字を読めるのが嬉しくて、だいたいその日のうちに読み終えていた。背伸びしてちょっと大人向けの小説にも手を出して、漢字や言葉の表現はほとんど本を読んで身につけたし、難しい言葉も使えた。高校レベルの古文漢文、現代文も大丈夫だった。

初めて躓いたのは、高校で新書を1冊読まされた時。内容が全く頭に入ってこなかった上、読み切ることができなかった。ごまかして読んだふりをした。高校生レベルでは難しいことをさせられているし、そもそも興味がないのだ、と自分の中で言い訳をした。
次に困ったのは、世界史Bと日本史Bの教科書の内容が読んでも頭に入ってこないことだった。授業を聞いて理解することはできても、教科書を読んで覚える、ことはできなかった。困惑したけど、進学校のいわゆる特進クラスで2~3年にもなって「教科書が読めない」なんて言えなかったし、当時発達障害のはの字も知らなかった私は、誰にも相談できなかった。
英語の長文読解も苦手だった。内容が頭に入ってこず、何度も返り読みしてものすごく時間がかかった。

それでも何とか大学には入学できた。
大学生になって困ったのは、新書や学術書などの文献を読んで書くレポートと、毎週本を読んできて議論する形式のゼミだった。レポートやレジュメや答案を作成すること自体は問題なかったが、どうしても1冊の本を読み切ることができなかった。レポートは情報を拾い読みしてそれっぽく書いたら単位が来た。でも、ゼミはほんとうにダメだった。

読まないとレジュメも作れないし、疑問も持てない、発言ができない。最初のほうだけ読んで読んだふりしたり、時間がなくてとごまかすのも限界があった。私はほとんど発言ができなくなった。
先生や他のゼミ生は、決して私を責めたりしなかったけど、「あいつはサボっている」「できそこないだ」、そう思われてるに違いないと思った。実際に、先生が「ねこっこは本さえ読めばなあ・・」という趣旨の発言をしていたと人づてに聞いてしまった。

これまでは、できない自分を責めて責めて追い込めば、なんとかなった。本も、努力してないだけで、怠けているだけで、本当は読めるはずなのに、私は何てダメなんだろう、と思った。
ゼミの同期の子たちの中には、本から情報を読み取って表現するのが得意な子も苦手な子もいたけど、苦手な子も二年目にはしっかり読めるようになっていった。読めないのは私だけで、それがいっそう私の自責感を搔き立てた。

体調を崩した直接の原因はそれだけではないけれど、たぶん一因ではあった。みんなが出来ること、出来るようになっていくことが、いつまで経ってもできないのは、とても辛かった。

〇心身を壊して、初めて発達特性について知る

やっぱりなにかおかしいんじゃないか、と思ったときにはもう心身はボロボロだったけど、カウンセリングを受け始め、なんやかんやでWAIS-Ⅲや発達障害の検査を受けた。

・そもそも処理に時間がかかる
・読んで理解しながら覚えるという同時複数処理が苦手
・視覚(特に文字や記号)から情報を得ることが苦手
・細かい部分にこだわってしまい、全体把握が苦手
解説してもらったWAIS-Ⅲの結果には、このようなことが書かれていた。
私の困り感やその理由が初めて客観的に言葉にされた。目から鱗だった。
そして、適応障害、ADHD傾向、限局性学習障害の診断がついた。

なぜ小説は1冊読み切れるのに新書はダメなのか、現代文は大丈夫だったのに論文や書籍になるとダメなのかは分からなかったけど、それでも、私が悪かったわけじゃないのかもしれない、というその事実だけで少し救われた。

〇それでも私は、本を読みたい

だけど、何かを学びたいと思ったときに音声や映像だけに頼るのはかなり難しい。
私はいま、学びたいことがある。特性上難しくても、どうしても本を読めるようになりたい。他に恵まれた能力があるとしても、そう願ってしまうのは、私のわがままだろうか。

特性上の理由があって困難がありそうだということはぼんやり分かっても、具体的に何がダメなのか、どうしたらマシになるのかは未だによくわかっていない。私の中では仮説と実践を重ねて分析をしているところだ。その一つのヒントとして、最近「リーディングルーラー」というものがあることを知った。

次回は、私の立ててきた仮説や実践と、「リーディングルーラー」について書いてみたい。

発達特性(ADHD・ASD・限局性学習障害)、二次障害持ちの女子大生です。これまでの経験や自身の感覚、特性や考察、対策について言葉を紡いでいきます。