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2024年1月3日 夢のツイート筋(すじ)

セブンのスムージー飲んだ。写真はめちゃくちゃ浅い皿のように見える。普通に量あるしうまかったです。また買うかも。

あ、今年はまた自分で作ろうかな。そうしよう。


母が正月に作るゆず寒天。ホーローのバットもいい感じ。


ホロホロしていてうまかった。ゆずっていいよなあ。


昨日の日記で、初夢について書くことを忘れていた。

自分もこれと全く同じ夢を見ました。

そういうことにしてください。


実際、初夢の内容は全く覚えていない。いろんな夢を雑多に見て、全て忘れた。

てか「初夢は1月1日の夜→2日にかけて見る夢のこと」というルールってだいぶ定着した気がする。意外な事実、みたいな触れ込みで何年も擦られていたからみんなとうとう覚えたような感覚。実際何が正しいかは知らないし、どうでもいいんだが。

2日から3日にかけて見た夢は覚えている。

見知らぬ美女複数人に囲まれた私がふと空を見上げると虹がかかっており、「虹だ」と言う夢。

起きてから「貴族の欲望かよ」と思った。寝る前に光源氏に関する情報を見たのが多分に影響していると思う。

それにしても芝崎典子さんの「飼っている鹿の衣装ビュッフェに向かう途中で遭遇したツバメの家族に、すぐそばの縁日でごはんを買ってきてとおねだりされる夢」はなかなかすごい。フレーズそれぞれがもれなく良い上に、全体のまとまりにも隙が無い。こういう夢を見る人が桑山千雪を演じてくれていることが嬉しい。

そもそも文章のまとめ方がうまい。「飼っている鹿の」と始めるのは誰にでもできることじゃない。センスがない人は「なぜか鹿を飼っていることになっていて」などと分かりやすくツッコミどころを見せてウケ要素を誇示したくなってしまうことだろう。「衣装ビュッフェ」というフレーズも、夢で見た状況をこの表現に落とし込むセンスを感じる。

センスとかいって一般的な指標に基づき評価するような書き方をしてしまったが、素直に私好みの文章と言ったほうが正しいな。私が同じ夢を見ても、同じ文章でツイートしたい。私にはこの夢を見ることはできないだろうけど。

何度読んでも完成している。前半のファンタジー要素に対して後半の実現可能な内容、併せて前半と後半の漢字・かなの割合が読み手に意識させないレベルで緩急を支えていて見事だ。

芝崎典子さん、このこと分かってるんだろうか。もし分かっていなかったら、あなたはとんでもないツイートをしていますよ、と言いたい。

まあ分かってるか。むしろ何度も見返していてほしい。「新年早々、完璧なツイートができたなあ……」って。それは嫌かも。

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