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小竹良来と佐藤翔子によるデザイン事務所。www.catcatcatcat.cat

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最近の記事

自分の不向きは分析しないほうがいい

自分の能力を客観的に自己分析するのは、もちろん大事だ。自覚的に長所を押し付けて短所はカバーするのは強い。だがここで多くの人は、「現状で低い能力」を「自分には向いていないこと」だと勘違いしてしまう。基本的に、どの能力も訓練によって伸ばすことができる。 実際に苦手なことはずっと苦手な場合が多いではないか、と思うかもしれないが、それを苦手たらしめているのは自己の「これは向いていない」という意識である事が多い。普通向いていないことにリソースは割かないし、向いていないと思った時点で改

    • 能力はセットで揃えて初めて機能する

      人間の持っている能力や特性は、あればあるほどいいというわけではない。多くは、セットの状態で持っていて初めて機能する。 例として、優れた創作者に必要な特性である「自己への期待値の高さ」と「メンタルの強さ」を考えてみよう。自己への期待値が高くなければ、過去の作品に満足してしまって向上しない。しかし、期待値が高いと作ったものに満足できず幸福にはなれない。そこでメンタルが弱いと一生満足できない世界に身を投じることをやめてしまう。常に満足できないなかで、なお自己批判を繰り返す事ができ

      • 目と手

        何かをつくる能力を目と手の2つに分けてみる。 目は、いいわるいを見極める力。人がつくったものや自分が今つくっているものを判定する能力。 手は、つくる力。イメージを頭の中で思い描く力や、それを実現する技術、知識。 この2つがバランス良く機能しなければいいものは作れない。目だけが先行すればつくったものがよくないことだけはわかるけど、どうすればいいかがわからなくて手が止まる。手だけが先行すれば、ただなにかを作った気になってしまって、本当に意味のあるなにかを作ろうという思いを持

        • 学校とはなんなのか

          昨今のウィルス騒動の影響で、母校である武蔵野美術大学も例に漏れずオンライン授業の試みをすすめている。新しい授業形態を模索していく上で人手が足りず、僕も授業の手伝いをさせてもらうことになった。これを機に、学生の頃から長くぬるく温めてきた学校・授業・先生などそのあたりについての考えを記しておこうと思う。 教育という行為は原理的に矛盾している 大学の卒業式で壇上の教授が喋っていた内容は何一つ覚えていないが、自分が壇上に立ったら何を喋るかを考えていたことは覚えている。4年間の大学生

        自分の不向きは分析しないほうがいい

          デザイン=理と美の統合

          今日、「デザイン」は最も多様な定義、用法を持つ概念の1つです。そして「デザイン思考」は最もふんわりとした捉え方をされている思考法の一つです。デザインは問題解決である、いや問題提起だ、という議論がされる横で絵としての表現がデザインと呼ばれ、ある巨匠は機能について、またある巨匠はシンプルであることについて、それ以外の巨匠はコミニュケーションについて言及します。いや、細部について語る巨匠や長く残ることについて語る巨匠もいましたね。 なぜデザインは、そんなにも人々の頭をプリンのよう

          デザイン=理と美の統合

          認知行動療法をうけてみた話

          こんにちは。CATの共同代表佐藤です。知ってる方もそうでない方もいると思うので説明しておきますね。わたしは前職のときにうつ病になり、長期療養しておりました。今現在は躁うつ病と名前が変わり、治療を継続しているところです。 治療の過程で投薬やら医師とのカウンセリングやら心理士とのカウンセリングがあったのですが、結論からかくと一番わたしがなおる兆しが見えるまでに押し上げたのはデザイン系の展示でした。傷を受けた分野によって寛解が近くなったのです。傷口に塩を塗り込むような感じですね。

          認知行動療法をうけてみた話

          破壊的言論

          なにかを否定することは、非常に容易に言論をセンセーショナルにできる。人々が時間をかけて積み上げたスタイルや手法を否定することで、認知されている巨大な物の上にマウントを取ることができるからである。発言者を、既存の概念を超越した者のように見せることができる。また往々にして、壊すことは作るより簡単である。ジェンガをイメージしてもらいたい。 それと同時に、優れた批判は最も知的な活動のひとつである。無意識の通念を疑い新しい何かを模索することは、慣例に従って積み上げることよりも気力や体

          破壊的言論

          才能の正体

          才能が先天的なものか、後天的なものかとか、天才は要因なのか結果なのか、自分は何者になれるのか、考えたことのない人はいないと思うんですけど、最近かなりシンプルに考えられるようになったのでご紹介します。 効率×量=才能なんだか最初からわかりきっていることのようにも感じますが、意外とこのように表現されることは少ないのではないでしょうか。説明のために言い換えるとしたら効率は頭の良さであり、量は体力、精神力、モチベーションです。結局、効率と量の積が桁違いな人を天才と呼びたいです。ここ

          才能の正体

          小さな創造物

          作ることも発表するとこも、どんどん小さくなってきている。 技術もメディアもひたすら便利になってきて全ての難易度が下がるにつれ、回数を稼いで表面積を増やし、軌道修正を繰り返し最適化していくことが今の環境の強いムーブです。 この環境から生まれる創造物はどういったものでしょうか。 完成品は存在しない 常に改善の対象であり続け、周りが変わるごとに自身も対応し続ける様はある意味油絵のようです。 物よりも人 創造物自体ではなく、それ以上に作者の人間性や過程をコンテンツとして昇華するこ

          小さな創造物

          古びていってしまうものは新しいものではない

          これは新しい!面白い!と思えるような制作物が毎日のようにタイムラインに流れる。1万RTとかされちゃったりして、でも見た3分後にはみんな忘れてる。そしてすぐにあーそんなのあったねとなる。それが新しかったのは3分間だけだ。 繰り返すものはどうしていつまでも美しいのだろう 朝の光もあなたの微笑みも いま聞こえているヘンデルも…… 一度きりのものはあっという間に古びてしまうのに 谷川俊太郎『朝の光』よりの一節 すべてのものは、それが生まれた瞬間においてたしかに新しい。しかしなぜ

          古びていってしまうものは新しいものではない

          今、デザインは「機能と美の統合」の合言葉として使われている

          私は現在、デザインとは、機能する美であると定義しています。 機能は客観的で、理性的で、社会的で、経済的で、定量的で、民主的なのに対して、 美は、主観的で、直感的で、個人的で、文化的で、定性的で、独善的です。 今、デザインという言葉は両者を統合するための合言葉として使われています。 そしてなぜデザイナーがそのような重荷を担いでいるかといえば、 デザインにおける問いと編集と造形という技術が美意識との親和性が高いからに過ぎません。 しかし本来、美意識はあらゆる職業人が持ちうるも

          今、デザインは「機能と美の統合」の合言葉として使われている

          知の無知

          無知を自覚している状態を無知の知だとするなら、知を自覚していない状態を知の無知と呼べるのではないか。 例えば、部下の能力が足りないとき。Twitterなどで理解できない愚かな行動を目にしたとき。社会全体に対して特定の分野のリテラシーが低いとかんじるとき。 他人が何かをできないことに対して憤りを感じるのは、知の無知で説明できる。自分が特定の領域において知識や能力を持って居る限られた人種であることに無自覚で、万人にそれを求めてしまうと不幸になる。そんなときは、自分はその領域に

          知の無知

          ないことへの祝福

          初めてnoteをかくので緊張しています。 弊事務所CATの小竹のメガネは半分壊れています。セロハンテープでとめてかれこれもう1年以上は使っています。いい加減買いかえろと思うのですが、なかなかかえません。男性はそういうものなのでしょうか? 今回は私、佐藤が思っている空間と物体の考え方について書こうと思います。 これは私がなにかを作る際に必ず意識しており、またそれを面白がっています。 簡単にいうと極薄の世界があると思っています。 頭おかしいと思われるかもしれませんが、空間を、な

          ないことへの祝福

          納豆巻き

          コンビニの納豆巻きを小学生の時に始めて開けた時のことを覚えている。海苔を湿気らせないためにフィルムで仕切られてるやつの円柱バージョンのあれである。初心者とっては手順がかなり複雑で、丁寧に説明を読みながら成功したときの喜びの感覚がまだ記憶にある。 大人になった今ではもうそれを開けるときに説明書を見ないし、かといって手順を空で順に説明しろと言われても出来ないが、実際やってみるとなんとなくでうまくいく。ここから得られる考察はなにか。 物事をうまくやるときに、全ての工程を正確に把

          納豆巻き

          表現の不自由展騒動およびTwitterを見てて最近思うこと

          子供の頃、祖母に信号の使い方を教えてもらった時のことを覚えている。記憶が曖昧なのでもしかしたら母親だったかもしれないし両方だったかもしれないが、おかげで今でも信号を無事渡ることができている。 電車に乗るときはまず降りる人を待ってから乗るようにしている。待たなくても逮捕されることはないが、そうしたほうがみんな得するしみんながそうしてくれてるから自分もみんなのためにそうしている。 ソーシャルメディアでは毎日交通事故が起きている。災害といってもいい。自分が災害の一部になっている

          表現の不自由展騒動およびTwitterを見てて最近思うこと

          2択は破ったほうがいい

          ことがおおい。2択はとにかく視野を狭めるのにうってつけの方法だ。それを提示された瞬間それ以外の可能性が見えなくなる。 そもそも2択の問いが正しくなければいけない。そして適切な問いを提示することは非常に難しい。安易な2案に身を委ねるのは非常に危険だ。 2択が目の前に現れたらとりあえず思考停止して両方と言ってみよう。それがだめそうなら、どちらも違うと言ってからそのあと3つ目や4つ目をひねり出そう。当然、たまに正しい2択もあるから注意しよう。 天気の子、面白かったです。※

          2択は破ったほうがいい