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『一瞬の馬』に見る櫻坂46の歌詞世界

永遠はないと誰も知ってる
僕たちも忘れられていく
しあわせを感じる今この瞬間さえ
遠く曖昧な記憶だ

一瞬の馬

『一瞬の馬』をはじめて聴いた時、これは遠藤光莉に向けた曲ではないかと根拠なく直感する。現実も未来もない、ただ前を見ていればいい。6thシングルミニライブで披露されたとき、最初と最後でメンバー同士が手をつなぐ所作が出てくるように、仲間がいることを示唆している。

「永遠」=「愛」=「理想の世界」

櫻坂46の歌詞世界にたびたび出てくる「永遠」「愛」。『五月雨よ』で「永遠を愛と信じてる」と紐付けをするかたわら、「永遠の幸せはないんだ」(『条件反射で泣けてくる』)と嘯いてみたりする。「永遠」「愛」とは、変わらない普遍性を表すキーワードだが、次の瞬間には「遠く曖昧な記憶」になってしまう。「永遠」=「愛」を信じ求めながら、同時にそれを手にすることができないことも知っている。それでもなお前に進み続ける、というのが櫻坂のテーゼである。

「永遠」=「愛」に満たされた世界とはどんなものだろうか。彼女たちがずっとそこにいたいと願う場所。夢や希望が叶うと信じられる場所。その具現化といえるのは、3rd TOUR2023での『桜月』の世界だ。圧倒的なBANの興奮冷めやらぬライブ終盤で、センターステージに一人現れた守屋。彼女が向かう先には、満開の桜の樹。守屋が辿り着いたときに、チラチラと花びらが落ちるものの、曲が始まってからは、花びらは激しく舞いながら決して落ちることはない。

『桜月』の桜は決して散らない、時が止まった世界。アイドルが永遠のアイコンとして存在できる虚構の世界を美しく描く。しかし、楽曲が終わると、メンバーから背中を押されるようにして、守屋は桜のもとから歩き始める。すると、桜がチラチラと「落ち」はじめ、現実の時間が流れ出したのを知るのだ(ここは、MVの時計のモチーフともリンクする)。

演出プランとの兼ね合いもあるのだろうが、ステージに桜の木を出しているのに、花を散らせないことで、この桜はずっと咲き続ける「永遠」=「愛」を象徴する存在となる。また舞台セットとして、ステージ前面に設置させた大きなフレームが境界の役割をして、客席=現実、ステージ=非現実の対比をつくっている。

アンコールで『Start over!』を披露した藤吉が「この世界を生きることができて幸せでした」というようなコメントをしていたが、楽曲の世界やステージはまさに「(愛や幸せに満ちた)世界」ということだろう。楽曲の世界では「永遠」=「愛」を手に入れることができる。でもそれは、楽曲世界を理想や幻想としてカッコに入れてしまったり、現実を味気ないものとして否定しているわけではない。

櫻坂といえば、ライブの盛り上がりに桜吹雪……と勝手に思い込んでいたが、実際は3rd  Single BACKS LIVE !! 以降やっていなくて、2nd TOUR 2022の『ずっと春だったらなあ』でちょっと散らしているだけである(MVでは『夏の近道』『ドローン旋回中』で桜が舞うけど、これらはまた別の機会で考えたい)。

「一瞬」=「恋」=「現実の世界」

「永遠」に対応するものは「一瞬」。「愛」に対応するのは「恋」。

でも恋をしてみてわかったんだ
人は何のために生きるのか?
巡り合って愛し合って無になって
自分じゃないホントの自分見つけたい

なぜ 恋をして来なかったんだろう?

「恋」とは現実世界の人生そのものである。
また別のカップリング曲でも「愛」は結局自分は自分でしかないというような対称性であり(『それが愛なのね』)、「恋」は自分でも自分が解明できないような非対称性(『Microscope』)として表現される。
そのため「恋」は必然的に行動が伴う。

幸せは参加すること

なぜ 恋をして来なかったんだろう?

答えなんか出るわけない
それが恋だ

五月雨よ

「恋」は非対称性であり、能動性であり、『恋が絶滅する日』のように過剰である。答えがわからない状態なのに行動し続けることが、自分自身を強くしていく。逆に「永遠」=「愛」を手に入れたと思った瞬間、するりと指の間からこぼれてしまう。

愛を少しでも語り始めてしまったら
“愛してる”その真剣な気持ちは
心から漏れていくものだ

無言の宇宙

櫻坂の歌詞世界のおいて、

  • 「永遠」=「愛」=「理想の世界」

  • 「一瞬」=「恋」=「現実の世界」

の2つのラインが存在していて、それを行き来することでダイナミズムが生まれるという構造になっていると思う。例えば『桜月』と『Cool』といった真逆の楽曲であるのに、どちらも“櫻坂”らしさ全開なのは、歌詞世界を理解し表現する力の表れである。『Start over!』では自ら破壊/再構築を果たしてしまう。

以前、TAKAHIRO先生が三坂の歌詞世界を比較して、乃木坂は理想、日向坂は幻想、櫻坂はリアリティと表現していたが、それに倣えば、「理想世界」のみを歌う乃木坂、「理想世界」のために「現実世界」を否定する日向坂、「理想」も「現実」も肯定する櫻坂といったところか。すべてにNOを突きつけた欅坂に対し、すべてをYESと受け入れる櫻坂という図式も成り立つかもしれない。

「永遠」はない。あるのは「一瞬」の連続である。それでも『一瞬の馬』は「大丈夫だよ」と語りかける。しかも、かなり生身に近いところに語りかけている感じがする。曲全体にあふれている優しさが、遠藤に向けてのものだったら、と夢想してしまうのだ。

三期生たちが引き受ける「孤独」

これまでも「孤独」を描いた楽曲があったが、三期生によって新たな意味合いが込められてきているように思う。それについては、また改めて考えてみたい。



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